曖昧模糊な『ラメン』
「俺も料理人だからな。できるだけ手抜きはしたくないって、ブラドの気持ちはよーくわかる! でもよ。それって、誰のための努力なんだ?」
「えっ、誰って……? それは当然、お客様のためですよ! 僕はプロのラメン・シェフですからね。料理に手は抜けません」
熱のこもったブラドの答えに、レンは首を振った。
「いいや。違うぜ、ブラド。逆だよ。客を思えばこそ、プロだからこそ、妥協が必要なんだ。使いたい食材を全て使って、時間も手間暇もかけて作った料理は、そりゃあ美味いだろうさ……でもな。その料理に掛けた金や時間は、誰が払うことになる? 客だろ」
「――っ!」
ブラドはハッとした顔になる。
レンは、冷静な声で続けた。
「趣味なら好きにすればいい。どんな高級食材でも使えばいいし、何十時間でも鍋の前にいればいい。だけど仕事にするなら、それじゃダメだ! 突き放した言い方をするならば、満足のいく味の追求なんては、料理人の独りよがりにすぎねえのさ」
レンの言い様は乱暴だが、真実でもあった。
私は同意する。
「うむ、その通りだ。ほとんどの客は、『安い値段で普通に美味い料理』を好む。『高くても究極に美味い料理』を食べたいなんてのは、暇に飽かせた金持ちか、私たちのような美食に命を掛ける変人しかいないよ」
オーリも隣でウンウンと頷いてる。
レンは言う。
「普通の中華屋と違って、ちゃんぽん専門店だと客はちゃんぽんだけを食べにくる。麺料理ってのは伸びきる前に食べなきゃだから、客の食べる速度が速いし、食ったらすぐに席を立つ。回転率がとてもいい。麺の別茹では、お客を待たせないための工夫なんだよ」
どんな仕事でも一緒である。
納期やコストを守って、その上で客を納得させるのが一流だ。
どれだけすごい品が作れても、買い手が納得しなければ商売にはならない。
ブラドはうついて唇を噛む。
「……そ、そうか。レンさんは、あんなにすごい『ワンタンメン』が作れるんでしたね。それを商売にするのを、一度は諦めていたんだ……!」
思えばブラドは、とても恵まれた環境にいた。
なにしろ作りたい物と客の求める物が、どちらも同じ『タイショのラメン』だったのだから。
そんな芸術家肌のブラドの気持ちを、商売の上手いオーリがよく理解して経営を手伝ったからこそ、『黄金のメンマ亭』は王都一のラメン・レストランになれたのだ。
もっとも、そういう料理人の情熱が新たな味を生み出すのだし、我々美食家にとってはありがたいものである。
うなだれるブラドに、レンは苦笑した。
「そもそもブラドが気にしてるのは、アレだろ? 『一緒に煮込まない』という手抜きによって、味が大きく落ちる……これを心配してるわけだろ。つまり味が大きく変わらない手抜きならば、妥協できるんじゃねえか?」
「ええ、はい。それはそうですね」
「だったら、心配いらねえよ。麺を別茹でにして作っても、ちゃんとしっかり美味いからだ。確かに、一体感って部分では煮込みと差はでるけどな。なあ、マリア。麺抜きのラーメンを想像してみてくれ……どうだ?」
突然、話を振られたマリアは、首を傾げて考え込む。
「ふへぇ? どうって……うーん。ペラペラの肉と少ない具材に、沢山のスープ。料理としては、かなり寂しいわね! 味付けもしょっぱいし、全部飲み切れるとは思えないわ」
「だよな。ところがちゃんぽんは、麺を抜いた具とスープだけでも、シチューや豚汁みたいな『一品料理』として通用する。つまり煮込みなしのちゃんぽんは、具とスープをオカズに麺を食うってことになる」
ブラドはポンと手を打った。
「なるほど! メンをスープの付け合わせと考えれば、煮込んでないチャンポンも成立するわけか」
ふむ? 理屈はわかった。
しかしだとすると、ひとつ大きな問題が……私は手を上げる。
「ちょっと待ってくれ! そうなると、前提が大きく崩れないかね?」
皆が注目する中、私はレンに問いかける。
「レン。さっき君は、『チャンポンは厳密にはラメンではない』と言ったな? しかし今の話を聞く限り、ラメンとの違いであるチャンポンの二つの条件……『トウアクメン』と『煮込み』。どちらも絶対に必要な要素だとは、私には思えぬ」
条件が変わることで、全く別の味になる。
マズくなる。それならわかる。
だけどトウアクメンがなくても、メンと一緒に煮込まなくても、それでも十分に美味いのだとレンは言う……。
「ならば、チャンポンのメンをラメンのメンに変えて煮込まなかった料理は、ラメンとチャンポンの、一体どちらになるのだ?」
レンはしばらく黙った後で、口を開いた。
「具もスープもチャンポンで使われてるものは、全てラーメンにも使われてる。煮込みの工程も、煮込みラーメンなんてのがある。だからそういうチャンポンの条件を満たしてない料理は、本来ならば『ちゃんぽん風ラーメン』とでも呼ぶべきだろう」
「おお! やはりそれらは、ラメンに分類されるのか!」
するとレンは、困ったように首を傾げた。
「なんだけど……うーん。俺にはそれ、正解とは思えないんだよな」
「正解ではない。なぜだね?」
そう私が問い返すと、彼にしては珍しくなんとも歯切れが悪そうに言う。
「さっきも言ったが煮込まないで作ったからって、味が落ちるわけじゃない。むしろ麺のコシが残る分、煮こまないで作った方が今のトレンドに合ってるとも言える……でもよ。結局それって、『ちゃんぽんが美味いから美味い』だけじゃねえか? ただ麺を変えただけで、ちゃんぽんをラーメンにするための工夫は何もしちゃいないんだ。……それって、本当にラーメンと言えるのかよ?」
レンは、複雑そうな顔で続ける。
「ちゃんぽんってのは、ラーメンが今みたいな『多種多様な形』になる前に作られた料理だ。その頃のラーメンと言えば醤油味の中華そばだから、ちゃんぽんとは作り方や材料だけじゃなく、味も見た目も何もかもが違ってた……。だけど、ラーメンが『なんでもあり』になっちまったせいで、ちゃんぽんとの境界線が曖昧になっちまった」
「ラメンの世界はなんでも許される。ゆえに他の似ている料理の世界を、飲み込んでしまったわけだな?」
「ああ、そうだ。逆に言えば、チャンポンの煮込みの縛りは、おそらくラーメンと区別するためにあるんであって、ラーメンが『昔ながらの中華そば』のまま形を変えずにいたならば、煮込んでないチャンポンだってチャンポンと認められてたはずなんだ」
と、オーリが言う。
「確かにな。チャンポン(ごちゃまぜ)なんてカッケェ名前の料理がよ。ちいとばかり作り方を変えただけで別モンになっちまうなんて、俺っちにも違和感あるぜ」
ううむ。聞けばチャンポン風ラメンとは、なんとも曖昧模糊とした存在ではないかっ!
チャンポン風ラメンがなぜ美味いのかと言えば、『チャンポン味だから美味い』のである。
チャンポンがおいしいからチャンポン風ラメンもおいしいのであって、それ以上の理由は存在しない。
また、なぜチャンポンではなくラメンなのかと言えば、『チャンポンではないからラメン』なのである。
これまた他に、理由は存在しない。
ラメンにするための工夫だとか味を高める努力は、なんにもしていない。
99%チャンポンでありながら、煮込んでいないというだけでラメンなのだ。
た、確かにこれはモヤモヤというか、なんとも理不尽を感じる話だッ!
大体、チャンポン風ラメンはラメンではなく、チャンポンから生まれた存在ではないか。
なぜ、それがチャンポン界に属せない!?
世界がほんの少し違っていれば、『ラメン界のチャンポン寄り』という位置ではなく、『チャンポン界の若手のエース』として大活躍してたはずなのだ。
まるで悪辣な貴族がメイドに手を出し子を産ませ、手切れ金だけ渡して「認知しません。うちは関係ありません」と放逐するような、そんな憤りすら感じる……。
な、なんと卑劣な! こんな事が許されていいものかッ!
ずっとダウンしてましたが、活動再開します。
二巻とコミカライズは続報あるまでお待ち下さい……。
本日はあと2話更新。