そして、無事に帰還する
ヒカリの背からエリーがピョイと飛び降りて、私たちと自分がいた場所を交互に見やる。
「ブッブゥ、ブゥ。ブキィッ!」
何かを訴えかけているようなので、そちらをよく見たら金色の獣毛に埋もれるように、ジュリアンヌが乗せられていた。背から降ろすと、服は濡れているが怪我はない。
お湯で身体を温めて乾いた服に着替えさせ、毛布に包んで寝床に横たえると、しばらくして彼女は無事に目を覚ました……。
と言っても少し話をしただけで、また眠ってしまったのだが。
ジュリアンヌから聞き取りをした後、別室に集まってる皆と話をまとめることにした。
まず、開口一番はサラである。
「いやー、ビックリだわ。まさか、ヴァナロに神獣がいたなんてね!」
「む? サラ殿は、ヒカリの事を知らなかったのですか?」
サラはぶんぶか首を振る。
「知らないわよ。っていうか、あんな目立つ子がいたら忘れるわけないでしょ」
伝説によると、神獣は全部で十二体いるらしい。
我がエルフの女王の所有する天切鳥の他、東方の国王は猿の神獣を家臣にしてるし、騎馬民族と暮らす馬の神獣や、はるか北では厳しい環境から人々を守る羊の神獣もいると聞く……。
神獣は『神』が作りしものだから、それに似た姿である『人』に従うのは、彼等の本能なのかもしれない。
「ふむ? 言われてみれば、確かにおかしい! 『神獣の人化』には、高度な魔術知識と大きな魔力が必要なはずだ。言っては悪いが、ヴァナロの魔術はそうとう遅れている。現に東方の王が従えている神獣は、猿のままで人になれないと聞く。シンザン殿からは魔力を感じられないし、魔術が発展していないヴァナロで、なぜヒカリは人の姿を――」
言ってる途中で、ハッとする。
「――あ。シェヘラザードか!」
カザンが頷く。
「はい。ヒカリに人の子としての姿を与えたのは、義母でございます」
サラがヴァナロを出た後でシェヘラザードが漂着し、大陸から持ちこんだ魔術知識とダークエルフの強大な魔力によって、ヒカリを人化させた……ならば、サラが知らないのも無理はない。
「でも私、大きな猪の姿だって一度も見てないけど?」
「当然です。ヒカリはかつてはその巨体で人々を怖がらせることを嫌がり、人目を避けて山中で暮らしていたのです。年に一度、『フシの山』への道を作り直す時以外、街に降りてくることはありませんでした。そもそもヒカリの正体は、本来であれば外部の方には秘密なのです」
オーリが尋ねる。
「そりゃ、なんでだよ」
「もしも万が一、三つの神器のうち二つを奪われた際、残る一つの神器だけでは、どうやっても対抗できません。三つの神器を全て奪われることだけは、絶対に避けなければならない。それを防ぐ奥の手が『神獣』なのです。神器は神の造りしもの……人にはどうやっても壊せない。でも、同じ『神の造った獣』である神獣ならば、それを壊すことができるはず」
なるほど。
その発想はなかったが、あの『物質をエーテル化する能力』ならば、おそらくは神のアイテムも壊すことが可能だろう。
もっとも、そんなことすればヒカリ自身もただではすまないだろうがな。
だけど、これで全てが繋がった!
ヴァナロの人々が猪肉を食わない理由。
レンがヒカリの性別を聞いた時、カザンが男女どちらとも言わなかった理由。
そして青い巨大な山まで続く、恐ろしいほど真っ直ぐな一本道。
全ての答えは、『神獣』だった!
そして、もうひとつ……ヒカリがジュリアンヌに妙に懐いてた理由もなんとなくわかった。
ペットのエリザベスの存在である。
ヒカリからしてみれば、『自分の姿によく似た小さな生き物』を連れた外国の女の子なんて、さぞや気になってしょうがなかったのだろう。
さて、ここからはジュリアンヌに聞いた話である。
朝早くに屋敷を出た彼女は、芋を掘りに山へと向かった。
しかし途中で道に迷ってしまいオマケに足をくじいてしまって、にっちもさっちも行かなくなった。
やがて雨まで降りだして、絶望的な気持ちになったそうだ。
するとエリーがスカートの裾をブヒブヒ引っ張るので、そちらに向かうと大きな洞穴があった。
獣の気配はなく、奥には枯れ草が積み上げられてフカフカしていて休めそうだ。
これらはすべて、運のいい偶然……などではない。
その洞穴は、かつてヒカリがねぐらにしていた場所だったのだ。
動物たちにとってみれば、今はいなくなったとはいえ『山のヌシ』のテリトリー。おいそれと踏み込めるわけがない。
逆にエリーにしてみれば、『主人とオヤツ交換していた者の匂い』が染み付いた洞穴である。
かくして、ジュリアンヌは安全な場所で身を休めるうち、昨日のお披露目会での疲れと早起きが相まって、いつの間にか寝入ってしまった……というわけらしい。
ジュリアンヌの無事が確保できた以上、もうヴァナロに残る理由はない。
眠ったままのジュリアンヌはオーリがおぶって、私たちはファーレンハイトに帰ることにした。
と、去り際にレンが言う。
「そうだ。忘れてた! 俺、ヴァナロに来たら聞いてみたいことがあったんだよ」
見送りに来た剣の頭首のシンザンが応じる。
「なんでござろう、レン殿」
「あのさ。この国のミシャウや剣術って、数百年前にやってきた異世界人がもたらしたんだろ? その異世界人の名前とか残ってないのか?」
「もちろん残ってござるよ。我ら『剣の一族』にとっては偉人でござるからな」
と、サラがニヤニヤしながら割り込んだ。
「あー! それ、聞いちゃう~?」
「なんだよ。サラはもう知ってたのか」
「まあね。私も昔、テンザンに同じこと聞いたなー」
「へえ。で、シンザンさん。その人の名は?」
「『サブロー』にござる」
「……さ、三郎……」
レンは、あからさまに落胆している。
首を傾げて私は尋ねた。
「なんだ、レン。異世界人の名前がサブローではいけないのか? サブローという名には、変な意味でもあるのかね?」
「あ。いやいや、いけないってこたねえよ! 特別な意味もない。普通の名前だ」
そしてブツブツと呟き始める。
「うーん、でもなー。『デ・アルカ』なんて方言や、『サムライ』なんて言葉も残ってるわけだし。こっちは信長とか光秀とか豊久とか……そういう大物の名前を期待してたわけで……三郎はちょっとなー。あんまりにも普通すぎるっていうか。いや、最近じゃ逆に珍しくはあるんだけど」
レンはサラと顔を見合わせて苦笑し、
「ガッカリだよなー!」
「ガッカリだわねー!」
と、同時に言った。
うーむ、わからん。
サブロー……良い響きだと思うのだがなぁ。
そんなこんなでファーレンハイトに戻ると、そこにはヤキモキした様子のダルゲとミヒャエルが待っていた。
予定の時間よりずいぶん遅れてしまったので、二人にはだいぶ悪いことをしてしまったな……。
私が事の次第を話して、オーリがジュリアンヌを引き渡す。
毛布に包まれたジュリアンヌは、ダルゲの大きな背中でスヤスヤと静かな寝息を立てていた。
カザンはファーレンハイトでの住処に帰り、サラもまた、レンの身体に魔力が残ってないことを確認すると、「もう、日本に帰れるはずよ。それじゃまたね!」と言い残して消えてしまう。
もう帰れるならばこれ以上遅らせても仕方ないので、夜が明ける前にレンも日本に帰ることになった。
オーリは黄金のメンマ亭にヤタイを取りに行き、レンと二人きりになってしまったので、私は彼に言うことにする。
「レン。君の一番の先生はどんな人だね?」
「そうだな。俺には、恩師や先生って呼べる人はたくさんいる。けど一番尊敬してるのは梁師父だ! 中学時代に出会った、俺の最初の師匠だぜ。特級麺点師ってすげえ資格を持っててよ。横浜の中華街にデカい店があるんだけど、そこを跡継ぎに譲って悠々自適の半隠居生活を送ってたよ。梁師父には麺料理だけじゃなく、中華のいろんなことを教わった! 今の俺があるのは、師父のおかげさ」
「その方はきっと、とても厳しい人なのだろうな。おそらくは放任主義でまともに教えることをせず、めったに褒めずに苦言ばかりを呈するタイプだ。知りたい事は自分で盗め、欠点があれば指摘する。気難しくて人嫌い。弟子が仕事場に入るのは許すが、自分の仕事に手を出すのは許さない……そんな感じだろう?」
私が言うと、レンは感心した声を出す。
「おお、すげえ! リンスィールさん、よくわかるな。まあ、性格的には偏屈老人に片足突っこんだような人だよ。俺より二つ年上の娘孫までいる歳だしな」
「そうか。レン、その教え方は君には合ってないぞ」
「……え?」
「だから、教え方の話だよ。その先生は、君にとっては尊敬できる良き師だったのだろう。だけど、エルフには『北の森と南の森では景色が違う、森の数だけ世界はある』という言い回しがある。日本語に訳せば『十人十色』とか、そういう意味になるのだがね。君にとっての良い先生が、他の者にとっても必ずしも良いとは限らない」
「…………」
「レン。君の魅力は、タイショ譲りの優しさだと私は思う。君は見た目やポーズこそ威圧的だが、その実、誰よりも他人を思いやる素晴らしい心を持っている。もう少し君らしく、弟子であるジュリアンヌ嬢に接してみてはどうかね?」
「…………あのよ、リンスィールさん。大雨の中で、俺が叫んだことって……?」
「ああ、ばっちり聞こえてたよ。私はエルフだぞ、耳は良いんだ」
「うっわ!? マジかよ!」
ずっと引っかかっていたのである。ヴァナロでのレンの冷たい態度が、だ。
ジュリアンヌに対するつっけんどんな扱いや、イッシンが『ニギリズシ』に感動してレンに弟子入りを求めた際の、不機嫌そうな言動の数々。
本場の味はもっとすごいとか、あいつはまだまだ力不足だとか。
あれらはおそらく、レンの師匠の『模倣』である。
レンは、ジュリアンヌを『初めての弟子』と呼んだ。今まで弟子を取ったことがないレンには、教え子への接し方がわからなかったのだろう。
ジュリアンヌと違ってイッシンには丁寧に仕事を教えてたのは、結局はイッシンの弟子入りを認めなかったか、ヴァナロにラメンを伝えるという己の仕事を優先したのか。
思えば私やオーリとも最初は衝突したし、人付き合いには少々不器用な所がある。
ジュリアンヌの方も、レンがラメンを食べにいくたびにアドバイスを求めてきたりと、おそらく想いは同じなのだろう。
だけど、どちらも恥ずかしがってハッキリと弟子師匠の関係を言葉にしない。
そのせいで想いは同じなのに、行動はすれ違ってしまった、というわけだな。
顔を赤らめるレンに、私はちょっと嫌味っぽい口調で言った。
「それにしても、『初めての弟子』かね? 君は私の故郷で、エルフたちに料理を教えてくれたのに……」
「いやいや! あれはほとんど『お料理教室』だったろ!? みんな、料理の基本すらできてなかった。イッシンやジュリアンヌは、ちゃんとした料理人じゃねえかよ。ブラドは俺の弟子じゃなくて、親父の弟子って感じだしな」
「ふむ? ま、それは否定しないがね」
里の市場の料理人は、外の世界の素人レベルである。
少なくとも、『あの時点』までは。
今はもう少し、レベルが上がっているといいが……。
やがてオーリがブラドとマリアを連れ、ヤタイを引いてやってきた。
長く家を留守にしたので、しばらくは掃除をしたり仕入れの業者に挨拶したりするそうで、ヤタイを再開するのはその後だと言う。
新しいラメンを食べさせてくれるのは、四日後の深夜。いつもの、この路地で。
また、集まろうと。
我々は順番に固い握手を交わし……レンは、ニホンに帰ってしまった。
次回はAnotherSide、舞台はあの場所です。
ゲコゲコモクモクメラメラドシャン。
せっかく ほんのうじから いきのびたのに だれもかんしん してくれません。
サブロー、すてきな なまえ なのに。




