仁義なきチャーシュ勝負・解
ゴトーチ・ラメンのお披露目会は明後日に決まった。
その日の夜。
ホコホコと湯気のあがる風呂上りの私は、縁側で月を見ているレンに声を掛ける。
「やあ、レン。おつかれさま」
「よう、リンスィールさん。おつかれ。今夜は寒いな」
私は彼の隣に座り、しばし一緒に月を見る。
それから静かな声で彼に尋ねた。
「ひとつ、聞いてもいいかね」
「ん、なんだ?」
「先ほどのチャーシュ勝負。もし、君が審査する立場だったら……どちらのチャーシュに票を投じた?」
レンはしばらく黙った後で、口を開く。
「ジュリアンヌの串焼きだな」
「お、おお……! そうか。そうなのか!」
もっともこれは、ある程度予想できたことである。
ジュリアンヌのチャーシュが『自分のチャーシュに匹敵している』と考えなければ、審査形式の勝負などやるはずがない。
レンの中では少なくとも『迷いが生じる』くらいには、ジュリアンヌのチャーシュは美味かった、ということになる。
レンは拳と手の平をパシンと打ち鳴らし、妙にワクワクした声で言う。
「正直、あいつの串焼きチャーシューを見た時はシビれたぜ! ありゃあ、俺の頭からは絶対に出てこない発想だからな」
「なんだって! 君が思いつかないだなんて、いくらなんでも大袈裟じゃないか?」
レンは首を振る。
「いいや、無理だ。俺じゃ絶対に思いつかない。正確には、思いついたとしても無意識に忘れちまう。なぜならジュリアンヌの串焼きは、ブラドのイカ干しラーメンと同じ『とある欠陥』を抱えているんだ」
「欠陥だと。あの美味いチャーシュにか?」
「そうだ。ジュリアンヌの串焼きチャーシューは、俺の世界では商売にならないんだよ。『手間とコスト』がかかりすぎるからだ」
「……ああ。なるほど」
私はポンと手を打った。
レンは言う。
「鳥の胸肉を串に刺して、炭火で炙って香ばしさを出すなんて、いちいちやってたら人件費がバカにならねえ。しかも、ジュリアンヌの『焼き』の技術は一級品だ! バイトを雇って教えたからって、一日や二日で習得できるもんじゃない」
「うむ。それに鶏肉に炭火でじっくり火を通すのは、メンを茹でるより時間がかかる。つまりチャーシュの出来上がりを待ってからメンを茹でるという……。作業工程が、完全に逆になってしまうわけだね?」
私の言葉に、レンは頷く。
「その通りだぜ。エルフの里で、リンスィールさんにトマトラーメンのオムレツを頼んだろ? 俺は、あのくらいが『すぐ提供できるラーメンのトッピング』の限界点だと思ってる。だからまあ、現実的に考えるなら……あらかじめスチームと串打ちした鶏むね肉を業者に発注、提供直前にバーナーで炙る。商売にするなら、こんな感じになるだろうな。味のレベルは、どうやったって大幅に落ちる」
それから彼は、苦笑した。
「とはいえ、今回は商売が目的じゃねえ! 一回こっきりのイベントなら、ジュリアンヌの串焼きもありになる。だから俺には、あいつのチャーシューが俺と同レベルか少し上に思えた。けれど俺は、あいつの『串焼き』って発想自体にシビれちまったからな……。純粋な味の評価を、みんなにもしてもらいたかったのさ」
「……レン。君、なんだか嬉しそうだね」
「ふふふ。実はな。向こうの世界に帰るのに、唯一の心残りがジュリアンヌだったんだ。あいつはまだまだ成長途中だ。今、たくさんの事を覚えれば、きっとものすごい腕前に成長する! だから、もうちょっとだけ色々と教えてやりたかったんだけど……よっと!」
レンは立ち上がり、グーっと伸びをすると言う。
「あんなすげえチャーシューを自力で思いつけるなら、俺の教えは必要ねえ。これで安心して自分の世界に帰れるよ」
そう言うとレンは、廊下を歩いて行ってしまった。
私も自室に戻ろうと腰を上げる。と、今度はエリザベスを連れてジュリアンヌが歩いてきた。
どうやら風呂に行くらしく、湯あみ着を持っている。
「やあ、ジュリアンヌ嬢。いい知らせだ。レンが君のことを褒めてたよ!」
私は彼女に、ついさっきレンが言ってたことをそのまま伝えた。
すると彼女は、引きつった顔で驚きの声を上げる。
「えっ! レ、レンが……そんなことを?」
それからオロオロとうろたえ始めた。
「マ、マズいですわ。それじゃ、あたくしの計画とまるっきり逆じゃありませんの!」
「どうしたのだね、ジュリアンヌ嬢? 君は、あのレンを感心させたんだ。もっと喜びたまえよ。君が成し遂げたことは快挙だぞ!」
そう言うと、彼女はハッと顔を上げた。
「リンスィール……っ。そ、そうですわね。あなたには、本当のことを話しておくべきですわ」
それからジュリアンヌは背筋を伸ばし、私に言う。
「まず、レンもあなたも勘違いをしていますわ。あの『串焼きチャーシュ』は、あたくし一人で考えたものではありませんのよ」
「なんだって、協力者がいたのかね? ほほう。それはつまり、君にあのチャーシュの知啓を与えた人物がいる……私の知らない『グルメに造詣の深い者』が、君の身近にいたということか。それは一体、誰なんだ!? その方にぜひ会ってみたい、ラメンについて語り合いたい!」
勢い込んで尋ねると、ジュリアンヌはモジモジしながら私の顔を上目遣いで見る。
「そ、それは……あなた……ですわよ、リンスィール」
「……私が? いやいや、ちょっと待て。私は君に、そんなアイデアを伝えた覚えはないぞ」
そう否定したが、ジュリアンヌは首を振る。
「いいえ。あたくしにあのチャーシュを作らせたのは、間違いなくあなたなのですわ。正確には、あなたの文字が……というべきかしら? リンスィール。あなた、ダルゲにラメンの挿絵を描くよう、ご自分の原稿を渡してますでしょ」
「うむ。レンが今まで作ってくれたラメンをまとめた、『異世界・ラメン・ヤタイ』という本を出そうと思っているのだがね。やはり文字だけよりも、イラストがあった方がわかりやすい。ダルゲ君の絵は、実に挿絵向きだ! 完成が今から楽しみだよ……って。あっ、まさか!?」
私は気づいた。ジュリアンヌはコクリと頷く。
「そうですわ。あたくし、あなたの原稿を覗き見しましたの」
「そ、そういうことかぁ……!」
『レンが今まで作ってきたチャーシュ』は、どれもあらかじめ作り置いた味付け肉を、ラメン完成と同時に乗せるだけという、徹底的に無駄のない合理的な形だった。
レン風に言えば、『人件費のかからない』『商売になる』トッピングというわけだ。
ジュリアンヌは私の文章を通して、それら『レンのチャーシュ』を知った……。
そして、まるで『タイルの抜け落ちたモザイク画』を見て、落ちたタイルと周りの色から『そこに何が描かれてていたのか?』を推理するように、『今までのレンのチャーシュには絶対にない、真逆の発想』を読み取って、『全く新しい形のチャーシュ』を作り上げたのだ!
彼女の『串焼きチャーシュ』を、レンが思いつかないのは当然である。
なぜなら彼女のチャーシュは、そうなるべくして作られたのだから。
ジュリアンヌが不安そうな声で言う。
「リ、リンスィール……。ダルゲを叱らないでやってくださいまし! あたくしが無理やり見せてと頼んだのですわ。彼があたくしに逆らえないのは知ってますでしょ?」
本来、出版前の原稿を他人に見せるのはご法度だ。
とある人気作家の小説の結末を流出させたとして、仕事を干された絵描きもいる。
ダルゲは絵で食ってるわけではないが、悪評が立っては街を歩き辛くなるだろう。
私は、彼女に優しく笑いかける。
「ジュリアンヌ嬢。私は物書きである以前に、美食家だ。私の原稿が新たな美食を生み出したのなら、喜びこそすれ怒りなどしないよ」
ジュリアンヌはホッとした顔をした。
「そ、そうですの……ふう、安心しましたわ! ええっと、それでですけど、リンスィール。実は今、話したことを、レンにも伝えていただけませんこと」
「なに? 今の話を、レンにもかね」
その申し出は、私には意外に思えた。
ジュリアンヌは高慢で負けず嫌い、意地っ張りな性格である。
そういう人物は『自分の実力以上の評価』をされた時、陰でこっそり努力して追いつこうとするもので、評価自体をわざわざ訂正しないはずである。
「……まあ。君がそうして欲しいと言うなら、折を見てレンにも伝えておくが」
「感謝いたしますわ。それではあたくし、お風呂に入ってまいりますので。ごきげんよう」
「うむ、ごきげんよう。くれぐれも湯冷めして風邪などひかぬようにな。なにしろゴトーチラメンのお披露目会で、串焼きチャーシュを担当するのは君なのだからね」
などとすっかり湯冷めしてしまった私は言い、ジュリアンヌと別れたのであった。
ジュリアンヌ「あ、あたくしが一人で、美味しいチャーシュを作らないと……」
ジュリアンヌ「レンが安心して……、」
ジュリアンヌ「帰れないんですわ!」
サラ「――って展開はどうかしら。胸熱じゃない!?」
カザン「お姉様。なんのお話でございますか?」