ジュリアンヌの勝手な行い
猛烈な勢いで走り去った彼女を見送り、おそるおそる厨房を覗くとレンとオーリがいた。
なにやらレンは、珍しく不機嫌そうな顔をしている。
「どうしたんだね、一体?」
「……チッ。ジュリアンヌのやつ、チャーシュー作りは自分にやらせろって駄々こねやがったんだよ!」
「なんだ、それくらい。やらせてあげればいいじゃないか」
「ダメだよ。そんな」
「そうかね? 彼女は肉の扱いに関しては、天賦の才があると思うぞ」
しかし、レンは手をパタパタと横に振る。
「ダメダメ! 今回はラーメン未体験のヴァナロの人たちに食わせて、この地にラーメンが根付くかどうかを決める大事な一品だ! 万が一にも失敗できねえ。あいつじゃ、まだまだ力不足だからな」
「…………」
私は、無言でその場を離れる。
外を探すと、大きな木の下でジュリアンヌが蹲ってグズグズ泣いていた。
「ミ、ミヒャエルぅ、こんな時に知恵を出すのが、あなたの仕事でなくって? ダルゲぇ、いつもみたいに、あたくしを慰めなさいですわぁ……!」
おおっ。あの気の強いジュリアンヌが泣くとは……!?
………いや。けっこう泣いてるところ見てるな。
気が強いというか、変に意地っ張りなだけだし。
それにしても、自分が無理やり置いてきた従者の名を呼ぶとは。
まだ三日目だというのに、ホームシックにでもかかったのだろうか……?
私は彼女に近づいて、そっと声をかけた。
「大丈夫かね? 元気を出したまえ、ジュリアンヌ嬢」
ジュリアンヌはハッと顔を上げる。
「リ、リンスィール!? なんですの。さては、あたくしを笑いにきましたわね!」
「そんなことしないよ。私もレンも、君を心配してるだけさ」
ジュリアンヌはガックリとうなだれる。
「あなたに言われなくったって、自分の実力不足は誰よりもわかってますわよ……。あたくしは勝手についてきただけ。レンの腕には遥か及ばないし、会議でも何もアイデアが出せませんでしたわ」
私は苦笑する。
「それは当然だろう。私もオーリも、君の生きてきた何十倍も何百倍も美食に費やし、世界を旅してきたのだ。そうやすやすと知識や発想力で追いつかれてはかなわないよ」
「で、でも……だからって。レンもあなたも、あんまりじゃありませんこと? あたくしをそんな、『心配』だなんてッ! 役立たずのお荷物扱いしなくったって――」
私は慌てて首を振る。
「あ。いやいや、違う違う。誤解だ! 私もレンも、君をお荷物だなんて思ってない。私の言う『心配』とは、文字通りに『君の身を案じて』という意味だ」
私の言葉に、ジュリアンヌは不思議そうに首を傾げる。
「あたくしの身を案じて……レンが? それって、どういうことですの?」
「うむ。私が見たところ、君の力は十分にある。おそらくはミシャウに合う、美味いチャーシュも作れるはずだ。だけど、この地の者たちはラメンを食べたことがない。食材だって、大陸とは微妙に違うかもしれない。当日、材料に不備があるかもしれない。そういう事情を考えれば、絶対に大丈夫とまでは言えない」
「え、ええ。そうかもしれないですわね」
「ラメン本体は、レンが作るわけだからね。チャーシュひとつミスしても、評価に大きな影響はないだろう。だが客たちは失敗したチャーシュを口にした瞬間、きっと失望を顔に表すはずだ。レンのラメンが美味ければ美味いほど、その落胆は大きなものとなる……。君はそれを見て、ショックを受けずにいられるか? 君は全力で否定するだろうが、あまりメンタルは強くない。レンは、君がつぶれるところを見たくないのだよ」
ジュリアンヌは、しばらく黙りこくった。
それから絞り出すような声で言う。
「……でも、でしたら。あたくし、どうしたらいいんですの……? この旅の間に……レンが向こうの世界に帰るまでに。何としても絶対に、もう一度あたくしの料理を食べさせなければなりませんのに……」
ずいぶん悲壮な顔をしている。
単に手伝わせてもらえなくて拗ねてるという風ではない。
ジュリアンヌは生意気なところはあるが、才能あふれる若きラメン・シェフである。
鴨ラメンの進化を見てもわかる通り、なかなかの努力家でもある。
レンに失礼な態度をとった一件はあるが、私は彼女が嫌いではなかった。
「そんなにチャーシュが作りたいのか……しかし、困ったね。君を助けてあげたいが、私にはレンを説得できるだけの材料はないよ」
なにしろ、ゴトーチラメン作りの責任者はレンなのだ。
彼がダメだと言えば、なんでもダメになってしまう。
二人で木陰に腰を下ろし、頭を悩ませる。
と、そんな我らに声が掛かった。
「ったく。二人して、なぁにくだらねえ事で悩んでやがんだ」
「あっ、オーリ! 君もジュリアンヌが心配で、追いかけて来たのか」
「まあな。なんだかよう、俺っちもちょいと、レンが厳しすぎるような気がしてよ。らしくねえっていうか、ありゃちょっと意固地すぎる」
「うむ。どうにも彼らしくない態度だった」
「普段のレンならきっと、失敗なんて恐れずにやってみろって言うはずだぜ! 万が一失敗しても、俺が責任とってやるってな」
「私も同意見だな。で、オーリ。レンを説得する良い方法でもあるのかね?」
オーリは首を横に振った。
「いいや、なんもねえ。けどよ、そもそもレンを説得する必要なんてねえだろ」
「……なんだと」
オーリはジュリアンヌを見て、ニヤリと笑う。
「なあ、『無敵のチャーシュ亭』の店主さんよ。勝手に色々やりまくるのが、お前さんの流儀だろ? 勝手に勝負すると決める。勝手についてくる。だったらレンが許さなくっても、チャーシュぐらいまた勝手に作っちまえばいいだけだ! レンが認めるような美味えチャーシュさえ作っちまえば、こっちのもんじゃねえか」
私とジュリアンヌは、ハッと顔を見合わせた。
「そ、その手があったかッ! ミシャウに合う美味いチャーシュがあれば、レンなら食べずにいられない! もしそれがとんでもなく美味ければ、ゴトーチラメンに採用されるかもしれないぞ!」
ジュリアンヌはすっくと立ちあがり、拳を握る。
「ようし、やりますわよ! レンのチャーシュに匹敵するような……いいえ。レンのチャーシュを超えるチャーシュを、あたくし作ってみせますわ!」
こうしてレンのゴトーチラメン作りの裏で、ジュリアンヌの『勝手なチャーシュ作り』が始まったのである。