別れの鴨『ラメン』
「ぷはー、ごっそさん! ……ジュリアンヌの奴、また腕を上げたな」
レンが空のドンブリを置いて、そう言った。
ここは『無敵のチャーシュ亭』の庭園である。
綺麗に整備された植木やバラなどの間には椅子とテーブルが置かれており、美味しそうにラメンを啜る人々でいっぱいだ。
それもそのはず、ここ『無敵のチャーシュ亭』でランチタイム限定に提供されてる『鴨ラメン』は、なんと青銅貨三枚で普通のラメンの三分の一以下の値段である!
量は普通のラメンより少ないし、それでも庶民の昼食には少し高いが、年に一、二回しかラメンを食べられない市井の者たちにとっては、十分にありがたい価格だった。
少し、背伸びすれば手が届く……ナンシー商会がコップ売りしてる高級酒、『ワンカップ』と同じような商売だな。もっとも、こちらのラメンはおそらく利益度外視で、儲けはほとんどないだろう。
なお、レンと二人で食べに来るのは今日で三度目だが、味は確実に進化している。
と、頭の布に半分隠れたレンの目つきが鋭く光った。
視線の先には、ガラの悪い町のごろつき達がいる。
なんと、そのうちの一人がドンブリに巻きタバコの吸い殻を放り込んだのだ!
レンは即座に立ち上がり、そいつの元へ行って怒鳴った。
「おいコラッ! 丼にゴミを捨てんじゃねえ!」
ニホン語なので言葉は通じなかったが、レンがドンブリを指さしたので意味は伝わったらしい。
ごろつきは立ち上がり、威嚇するようにレンを下からねめつける。
「ああん? ッだよ、てめえ! 文句あんのか!」
私は即座にレンの元へと行き、加勢する。
「あるとも! 大いにある。君、ドンブリに吸い殻を捨てたろう? そのような真似は、ラメンに対する冒涜である! 一生懸命に作ってくれたシェフに申し訳ないし、第一、汚いではないか!」
私たちの声を聞きつけて、周りの客たちが騒ぎ始める。
「おい。あれ、レンだぞ」
「えっ! 『異世界ラメン屋さん』のレンかよ!」
「なにか怒ってるみたいだわ。どうしたのかしら?」
「俺、見てたぜ。あいつがドンブリに吸い殻を捨てたんだよ」
「そりゃあ、怒るのも仕方ねえ!」
「レン、がんばれー! 俺はあんたのファンなんだー!」
周囲の反応から不利を悟ったのだろう、リーダー格と見られる男が「おい、行くぞ」と言って立ち上がる。
他のごろつきも、庭園の出口へとそそくさと向かった。
だが、その前に巨漢の男が立ちふさがる……ダルゲだ。
「おーっと! ちょい待ち、お客はん。帰る前に、汚したドンブリしっかり洗ってってもらいまひょか?」
ごろつきたちは、無視してダルゲの横を通ろうとする。
だがしかし、またもや別の声が響いた。
「ドンブリを綺麗にしなければ、二度とうちのラメンは食べさせませんですわよッ!」
ジュリアンヌである。手には、吸い殻の入ったドンブリを持っている。
さらには彼女の横に立つミヒャエルも、周りの客に呼びかける。
「今、いらっしゃる、お客様方ーっ! 今後、こいつらがこっそりラメンを食べようとしたら、ぜひあっしに教えて欲しいでヤンスよ。教えてくれたお客様には、鴨チャーシュの端っこをサービスするでヤンス!」
周囲からはオオーっと喜びの声が上がる。
ミヒャエルめ……狡猾というか、扇動が上手いというか。
この手の周りを巻き込むやり方は、相変わらずだな。
リーダー格の男はチッと舌打ちをすると、吸い殻を捨てたごろつきの頭を張り飛ばした。
「おい。テメエ、ドンブリを洗ってこい」
「えっ!? で、でも、お頭……!」
「バカ野郎! 俺はこれからも、ここのラメンが食いてえんだよ! なんでテメエがやらかした不始末のせいで、俺までラメン食えなくならなきゃならねんだ!?」
リーダーにも見放されて孤立無援となった男は、情けなくペコペコしながら言う。
「え、えへへ。すみませんでしたね、レンさん、ジュリアンヌさん。喜んでドンブリ、洗わせていただきます!」
リーダー格の男も、我々に頭を下げる。
「というわけで、今日はこの辺で手打ちにしちゃもらえませんかね? あいつは夜まで皿洗いでもなんでもさせてもらって、かまいませんので……」
「いいですわよ。ただし、今回だけですわ。ダルゲ、ミヒャエル! その方を洗い場まで連れて行って、こきつかってさしあげなさい!」
「「アーイアイサー!」」
吸い殻男が連れ去られると、リーダー格の男とその他のごろつきも庭園を去って行った。
レンがニヤリと笑う。
「やるじゃねえか、ジュリアンヌ! お前のラーメンの完全勝利だ!」
レンに褒められ、ジュリアンヌは嬉しそうに高笑いした。
「オーッホッホッホ、当然ですわ! あたくしのラメンの魅力に、抗えるわけありませんもの!」
それから腕組みをして、フンと鼻を鳴らして言う。
「レン、リンスィールさん、ごきげんよう。たまたま、偶然、本当に何気なく外に出てみたら……あらま。来てましたのね?」
「こんにちは、ジュリアンヌ嬢。それにしても我々が食べにくると、いつも君と出くわすね」
彼女の店は大きいから、料理人もたくさんいる。
ジュリアンヌがちょっと外に出たくらいでは、たいした影響もないのだろう。
だが、挨拶ついでに私が言った言葉に、なぜかジュリアンヌは焦りまくる。
「あ、あ、あ、当たり前ですわよッ!? だ、だだだだ、だって、ここはあたくしのお店ですものっ! あたくしがいておかしいことなんて、なーんにもないですわ! 決してミヒャエルに入り口を見張らせて、レンが来たら食べ終わったのを見計らって出てったりなんかしてませんですわッ!」
それからジュリアンヌは頬を赤らめ、咳払いをして言った。
「こほん。そう言えば……レン。あなたにいただいた、『テボザル』……でしたっけ? あれ、いいですわね。職人に何個か作らせたのですけど、一度にいくつも湯切りができるから、忙しい時はなかなか重宝してますわよ?」
「おう。そうだろ、そうだろ。お前のラーメン、また美味くなってたな」
ジュリアンヌは、ふいっと視線を逸らす。
「……別に? 前に、あなたがおっしゃっていた、鶏の油『チーユ』。それを参考に、鴨チャーシュを作った時の油をとっておいて、スープに浮かせただけですわ」
「そうか。味わいもリッチになってたし、ネギも香ばしくなってたよ」
「ふ、ふーん……そう。もっと他になにかこう、アドバイス的な事を言いたければ、聞いてさしあげてもよろしくってよ?」
レンは腕組みをして、しばし考えてから言う。
「アドバイスか……? そうだな。麺の形を変えてみるのはどうだ? この世界の麺って、ほとんどが押し出し式で断面が丸いだろ。鴨の油を浮かせるんだったら、平打ち麺とかスープが良く絡んで面白いんじゃねえかな。極細麺なんかも合いそうだ」
「なるほど、メンの形ですわね? ま、あたくしもそれくらい、とっくに気づいてましたわ」
「そっか。で、俺はそろそろ自分の世界に帰るからよ。最後にお前の成長が見れてよかったぜ」
何気ないレンの一言に、ジュリアンヌはギョッとする。
「そうですの。レン、自分の世界に……って、えええっ!? レ、レン……あなた、自分の世界に帰ってしまうんですの!?」
「ああ、そうだ」
「…………」
「お? どしたよ、ジュリアンヌ。急に黙り込んじまって」
「て、てっきりあたくし、レンはこちらの世界に移住してきたものとばかり。だから……だから。ずっと、ずっと……ファーレンハイトにいるのかと……」
絞り出すようなジュリアンヌの言葉に、レンは首を振る。
「いや、ちげえよ。トラブルがあって、ちょっとの間だけ帰れなくなってただけさ」
なにやらショックを受けた様子のジュリアンヌに、私は言う。
「ジュリアンヌ嬢。レンは、二度とこっちの世界に来ないわけじゃないよ。と言うか、ほぼ毎晩のようにこちらの世界の路地に来て、みんなにラメンを食べさせてるんだ」
レンも頷く。
「そうそう。ジュリアンヌ、お前もよかったら食べに来いよ!」
だけどジュリアンヌはレンの誘いにも反応せず、ただ呆然と突っ立ったままである。
レンは彼女の目の前で、手をヒラヒラさせる。
「……おい。おーい! なあ、リンスィールさん。どうしたんだ、こいつ?」
「さあな、わからぬ。今生の別れというわけでもないだろうに」
私たちは顔を見合わせ首を傾げて、ひっきりなしに客が出入りする『無敵のチャーシュ亭』の庭園を後にした。




