興奮と鎮静
皆の視線がレンに集中すると、彼は腕組み顎上げポーズで言った。
「人間の身体には、『興奮の神経』と『リラックスの神経』の二種類がある! 周りの環境に応じて、どちらかが働きだすんだ……例えば、勇ましい歌を聞けば気持ちが昂るし、静かな森に行けば落ち着いた気分になるだろ?」
な、なるほどッ!
同じように食べ物や飲み物によっても、どちらかの神経が働くのだろう。
さしずめ、辛い料理は『興奮』で、甘い料理は『沈静』といったところか?
レンは続ける。
「で、今回の料理はとびきり辛くて、神経を興奮させるラーメンだった。刺激によって血管が広がり、体温が上がって汗がバンバン流れ出す。だけど、人間ってのはずっと興奮できるもんじゃねえ。どちらかの神経が働いた後は、もう片方の神経が、しばらく優位になるんだよ」
ララノア殿が、真っ赤なソースでベトベトにしたアイバルバトの口元を拭きながら、感心した顔をした。
「へえ。さっき、夜風が入って来た時の身体が軽くなるような気持ち良さは、そういう仕組みだったわけか」
レンは、女王様に視線を向けて尋ねる。
「アグラリエルはここ数日、世界中を飛び回ってエルフのみんなからお祝いされてたんだろ? いくらめでたい誕生日とはいえ、それじゃ疲れる一方だ。たぶん、飯もあんまり食えてなかったんじゃないか?」
女王様は頷かれた。
「はい、そうです。実は、旅先での料理があまり口に合わなくて……毎日、別の宿に泊まったり、アイバルバトの背の上で眠ったりと、生活も不規則で少し身体が疲れてました」
レンはニヤリと笑う。
「俺の担々麺は、そんなアグラリエルの身体に喝を入れて、内臓を活性化させたわけだな! つまり今現在の状態が、『アグラリエル本来の食欲』ってことなのさ」
それを聞いたアグラリエル様は頬を赤く染め、恥ずかし気に告白された。
「……わ、わたくし、子供の頃はとっても食いしん坊だったんです。よくオヤツをつまみ食いして、お父様やお母様、ひいお爺様に叱られてましたわ……けれども女王になってからは忙しく、とても食事を楽しむどころではなくて。それがレンとラメンに出会ってからは、まるで少女時代に戻ったみたいなんです」
エルフの里での食事は、決して美味い物ではない。
しかし王族ともなれば、それなりに手を掛けた料理が提供されるはずだ。
それでも小食になってしまうとは……王の責務とは、かように大変な物であるか。
レンが言った。
「いいことじゃねえか。俺は、いっぱい食べるヒトを魅力的だと思うぜ?」
その言葉に、女王様は嬉しそうな顔をされる。
「そ、そうですか? わたくしは魅力的ですか?」
「ああ。それに、アグラリエルは女王様だろ。エルフのみんなに長生きして欲しいなら、手本になってやらなきゃよ。美味い物をたくさん食べて、しっかり寝る! それが長生きの秘訣だからな」
と、カザンが手を上げた。
「はい、おじ様! カザンもたくさん食べるほうです。カザンも、おじ様の好みでしょうか?」
マリアも手を上げる。
「わ、私だって人より食べるわよ、レンさん!」
アイバルバトも元気よく手を上げた。
「あいっ! あいも、いっぱいたべる!」
レンは吹き出す。
「ぶっはははは! そっか……ありがとな。みんな大好きだぜ」
そんな彼らを見て、サラがクスクスと笑ってる。
……私はふと、彼女も昔、ヴァナロで同じような経験をしたのではないかと思った。
無実の罪を着せられて、足しげく通ってた国から『裏切り者の魔女』として追われる覚悟など、自分を好いてくれる人たちを守るためにしかできないだろう。
もっとも、誤解はすでに解けている。今回のラメンに使われた『ミシャウ』も、サラ殿が空間転移でヴァナロまで行って持ってきたものだしな。
私は、冷めかけのお茶を飲みながら言う。
「それにしても、さっきの痺れはすごかったねえ! 女王様が驚かれるのも無理ないよ」
レンが答える。
「あれは花椒。ミカン科の植物の皮を乾燥させたものだよ。本場四川の味を作るには、欠かせない調味料なんだ。ナンシー商会で取り扱ってて、助かったぜ」
「ふむ? お茶やスパイスなどの軽くて日持ちするものは、ファーレンハイトまで輸送できるからね。『ホアジャオ』か……私もその昔、タケノコを食べに東方の地を旅したことがある。だけど、あんな強烈なスパイスは知らなかったぞ!」
もっとも東方と言っても、私が旅したのは砂漠を超えた先にある、『ギィファン』という商人街だけである。
そこでテンザンと出会って命を救われ、大陸での旅に不慣れな彼を助けるために、またこの地へと引き返してきたわけだ。
レンは、私たちをぐるりと見まわした。
「まあ、難しい話はこれくらいにしようや。で、どうだ? 汗をかくってのは、それだけで体力を消耗するからよ。こうやって話してるうちに、また腹が減って来たんじゃないか?」
ララノア殿が、腹をさする。
「そ、そうだな。女王様にあんなことを言った手前、言い出しにくいが……なんだか、オレも腹が減ったよ」
「よし。ブラド、例のやつを出そう」
レンとブラドは厨房へと引っ込んだ。
しばらくしてから戻ってくると、我々のテーブルのティーポットへと熱々のお湯を注いで回り、料理を並べる。
それを見て、サラが言った。
「ああ、なるほど。レン、これは飲茶ね?」
「そうだ。こいつは、餃子と杏仁豆腐だぜ。さあ、食ってくれ!」
ギョーザは小皿に三つだけ。付け合わせの調味料は、酢にコショウである。
ひき肉とニンニクのコッテリ感が、酸味でサッパリと洗い流されて実にいい感じだ!
『アンニンドーフ』は、アーモンドの香りのするゼリーだった。
甘いシロップに沈んでいて、上には刻んだ干しアンズが乗っている。
ツルンとした牛乳のとろけるような口当たりが優しくて、ゲキカラケイで痺れに痺れて、辛さに悶えた口や舌を優しく癒してくれる……。
どちらも東方のお茶との相性が抜群で、量がひかえめだったこともあり、『タンタンメン』を食べた後だというのに、ペロリと平らげてしまった!
散々飲み食いしたというのに、胃はちっとももたれずに気持ちよく落ち着いてる。
満足気に食後のお茶のお代わりをする私たちを見て、レンが宣言した。
「これで、今夜の料理は終わりだ。俺の作ったラーメンが、アグラリエルの誕生日もてなしとなり、みんなの楽しい思い出となってくれたなら、こんなに嬉しい事はない」
アグラリエル女王様は立ち上がり、レンの手を取ってニッコリと笑う。
「ごちそうさま、レン。ブラドさん、リンスィールもありがとうございます! あなたたちのおかげで、最高の誕生日になりました。今日という日はわたくしの人生の中でも、比類なき良い日として刻まれるでしょう」
こうして、女王様たっての願いで作られた『汁なしラメンのゲキカラケイ』、その祝宴は幕を閉じたのだった。
ちょっとタチの悪いウイルスにやられてました。




