another side 17 part3
二週間後、夕食の席である。
酒を飲みながらエレノアと話していたゲラが、唐突にポンと手を打った。
「あっ。そういや、姐さん。アレ、どうなりました!?」
「……アレ? アレってなんだい、ゲラ」
「シオキャラですよ。シオキャラ」
エレノアもポンと手を打つ。
「あ。ああー! アレって、ソレかぁ! すっかり忘れてたよ……一応、船底近くの保管庫に入れてあるよ。あそこなら涼しいからね」
「ふうん。で、もう味見はしたんで?」
「いや、まだだ。……でも、そうだね。そろそろできてるはずだよ。持ってこようか!」
エレノアはジョッキを机に置くと、食堂を出て行った。
しばらくしてからエレノアが、瓶を片手に戻ってくる。厚手なので中身はよく見えないが、なにやら赤茶けた色である……。
不気味な気配を漂わせる瓶に、食堂内がシーンと静まり返った。
船員たちがゴクリと固唾を飲み、エレノアの手元に注目する。
エレノアは蓋を開けて、中身を皿の上に出した。
ヌチョ……ドチャリ、グチャっ!
落ちてきたのは粘液に塗れて、テラテラ光るクラーケンの切り身っ!
船員たちがウオオっと仰け反り、それから一斉にヒソヒソ話を始める。
「お、おいっ! なんでピンク色なんだよ!?」
「わからん……しかし、あれは絶対食べちゃダメなやつだと思う」
「って言うか、そもそも生だろ? イカって生で食えるのか?」
「えらくグロいな」
「う、げえ。ドロドロだ」
「腐ってやがる……遅すぎたんだ!」
「あんなもん食ったら腹を壊すぞ。誰か止めた方がいいんじゃないか?」
「止める? 止めるって……誰が?」
船員たちは互いに視線を交差させる。
それから、ゲラをジッと見た。
ゲラが『えっ、俺!?』とジェスチャーすると、皆一斉に頷く。
「そうだよ。お前だよ」
「ゲラ、お前が姐さんに話振ったんだろ?」
「ちゃんと責任取って止めろよな!」
「……わ、わかったよ」
みんなにせっつかれて、ゲラはおずおずとエレノアに声を掛けた。
「あ、あのう……姐さん。あっしが見るに、それ、失敗しちゃってませんかね? 食わない方が、よろしいんじゃねえでしょうか……?」
エレノアはしばらく塩辛をジッと見つめていたが、やがて首を振って言う。
「……いや。こいつは失敗しちゃいない。リンスィールは見た目がピンク色でドロドロしてて、食べるのに勇気がいるって言ってたからね。もっともあたいも、ここまでキモい物体ができあがるとは思ってなかったけどさ」
エレノアは真剣な表情で、切り身のひとつをフォークで突き刺した。
「みんな、見てろよ。あたいが今からこれ食って、ちゃんと美味いって確かめてやるから」
ゲラが慌ててその手を掴む。
「姐さんっ! 意地を張るのはやめてください! そんなもん食ったら、死んじまうかもしれねえです!」
エレノアは乱暴にゲラの手を振り解く。
「うるさいね、ゲラ! あんただって、散々エルフの舌をバカにしてたじゃないかっ!? 確かに、エルフは味に無頓着だよ……でもね。嘘は、決して言わないんだ! リンスィールは妹の子、あたいの家族だ。あいつの言う事は、あたいが証明してやるのさ!」
そう叫ぶとエレノアは、フォークを持ち上げ口へと運んだ。
「うっ」
途端、顔色が変わる。
その周りで、船員たちが右往左往する。
「あ、姐さんっ! 無理しないでください!」
「あっしらが悪かったです! 謝りますから!」
「吐き出してください、ほら、早く!」
「こっちのお皿、空いてますから! ペッてして! ペーって!」
「メディーック、メディーッッック! 毒消し、持って来ーい!」
「姐さーん! 俺らがエルフの悪口言ったせいで、姐さんが死んじまうよーっ!」
泣く者、叫ぶ者、怒鳴る者、走り回る者。
エレノアの周りは大パニックである!
だが、しかし。
「う……。美ン味ぁい!」
「「「「「「……えっ?」」」」」」
船員たちの目が点になる。
エレノアは、そんな彼らの前で塩辛をパクパクと食べ始めた。
「いや……めっちゃくちゃ美味ぁい! なんだこれ!? 絶妙にコッテリしてて、クニクニとした歯ごたえで、口の中で潮の香りが膨らんで……こんな美味い食べ物、千年生きてて初めて食べたよっ!」
「……お、おい。本当に美味いのかなぁ?」
「さあな。でも、無理して食ってるようには見えないぜ」
「見た目の悪いゲテ物ほど、実は美味かったりするよな?」
しばらくしてから、ゲラが言う。
「……あ、あのう、姐さん。ちょっとだけ、あっしにも食べさせてやもらえませんかね?」
「やだねーっ! こんな美味いもの、お前らなんかに絶対やんない!」
「そんなこと言わずに、お願いしますよ。一口だけ! 一口だけでいいんで」
「チッ……わかったよ。ちょっとだけだぞ?」
「やったぁ! さすがは姐さん、押しに弱い!」
エレノアは、ぶっきらぼうに皿をゲラへと押しやった。
ゲラもフォークでイカの切り身を突き刺し、口へと運ぶ。
「なんっっっすか、これぇ!? うめえっ! ラム酒にめっちゃ合いますねっ!」
「そうだろ、そうだろ。ほら、ゲラ。もっと食えよ。あたいが許す!」
「いただきます! いや、うまっ。こら、うまっ! 手が止まらねえやっ」
その様子を、他のみんなは涎を垂らして見つめてる。
エレノアがニヤリと笑い、塩辛の入った瓶を見せびらかして言った。
「ふん……お前ら、あたいに謝るか?」
船員たちはズザッと一列に並ぶ。
そして一糸乱れぬ動きで、一斉に頭を下げた。
「「「「「謝りますっ! 姐さん、すいませんでした!」」」」」
それから一ヵ月、日を追うごとに塩辛は熟成されて美味くなり、船員たちを驚愕させた。
エレノアは十瓶を仕込んでいたが、陸に着く頃には一瓶だけになってしまう……。
港町で羽を伸ばしていたゲラは、エレノアが行商人姿のエルフと話してるのを見つけた。
彼女は行商人に二言、三言なにかを告げて、瓶と手紙を渡して別れる。
ゲラは、エレノアに駆け寄った。
「姐さーん! なにやってんですかい?」
「ああ。シオキャラさ。残った最後の一瓶を、行商人のエルフに託したんだ。もうすぐ、女王様の誕生日でね。近々この港町に立ち寄るらしいから、女王様にご献上しようと思ったんだよ」
「誕生日。そういや、エルフは十一年ごとに誕生日を祝うんでしたね」
「あたいらは長生きだからね。一年ごとにやってると、すぐありがたみがなくなっちまうのさ。代わりに日にちも十日ほどかけて、ゆっくり長くお祝いするんだ」
ゲラは首を傾げつつ、言った。
「……にしても。そんな事情があるなら、行商人に託さずに自分でお渡しになればよいのでは? 姐さんが休みを欲しいって言えば、船長も断りゃしないでしょう」
エレノアは、ゲラの頭をコツンと小突く。
「バーカ! あたいがいなかったら、誰があんたらを海の魔物から守るんだい? こないだのクラーケンもそうだけど、最近は怪物どもの動きが活発だよ……なにか嫌な予感がする。『氷の魔女の幽霊船』も近くの海域に出たって言うじゃないか!」
「だけど、せっかく女王様のお誕生日でしょう? 久しぶりに双子のララノアさんとも会いたいんじゃねえですか?」
エレノアは苦笑する。
「いいんだよ。エルフは長生きだって言ったろ。まだ、いくらでもチャンスはあるのさ。それより、早く海に出よう! 海には、まだまだ不思議がいっぱいだよ」
そう言うとエレノアはニッコリ笑い、鼻歌交じりで去って行った。
それを見送るゲラのもとに、他の船員たちがやってくる。
「お、ゲラじゃねえか。こんなとこ突っ立って、どうしたんだよ」
ゲラは、ボーっとした顔で言う。
「……な、なあ。なんか、姐さん……前と少し変わってないか?」
「変わった? 変わったって、どこが」
「どこがってのは、わからんけども。なんて言うんだろ……? 若返った……って言うか」
ゲラの言葉に、船員たちは顔を見合わせる。
「若返った、だってよ?」
「ゲラ。お前、なに言ってんだ!」
「エルフは大人になったら、ずーっと見た目が変わんねーだろ」
「ああ、そうだな。姐さんはいつまでも若いままだ」
「……でもよ。ゲラが言うなら、ホントにどっか変わってるかもしれんぜ?」
船員たちは、それぞれが頷いた。
「かもな。ゲラは、姐さん大好きだからな。いっつも姐さんばっか見てる」
「ま。姐さんのことは、みんな大好きだけどもよ」
「あはは、違いねえや!」
「とびきり美人だしな。惚れちまうぜ」
「押しに弱くて、意外とチョロいとこも可愛いよなー。強く頼んだら、一発やらせてくれねえかな?」
「無理無理。姐さんが好きなのは、俺らみたいな下品でむさ苦しい野郎じゃなくって、純粋で目がキラキラした可愛い子だぞ!」
「ああ、だな。でも姐さんは、俺らの事も大切に思ってくれてるぜ」
船員たちは皆もう一度、力強く頷いた。
「よっしゃッ! 姐さんも誘って、みんなで酒飲もう!」
おおーっと船員たちの声が響く。
その後、一行は大いに飲んで騒いで、酔っぱらって船に帰ったのだが……。
なんといつもは港の住民に配っても半分以上が余るクラーケンの干物が、綺麗さっぱりなくなっている。
「えっ!? あんなに沢山あったのにか……? いつも食い切れずに、釣り餌にするくらいじゃねえか」
「なんでも、王都ファーレンハイトのラメン・レストランが大量に注文したんだってよ。タダで配ってる干物が金になるってんで、船長も商会も大喜びらしいぜ? 俺らにも特別ボーナス出るってよ」
「そりゃめでてえ! クラーケン様様だな。また襲われるのが楽しみだ」
泥酔して絡んでくるエレノアに肩を貸しながら、ゲラはふと呟いた。
「……ふうん。クラーケンの干物をラメンにねえ? 変わった店もあったもんだ! 今度ヒマができたら、姐さんと一緒に行ってみるかな」
「おい、ゲラ。聞いてるか? あたいの恋人アウロラはなあ、あたいを助けるためにリヴァイアサンと戦ったんだぞ!?」
「あ、はいはい。聞いてますよ。それ、今日で5回目です」
「アレ? そうか……じゃあ、別の話にするか。あたいとアウロラの船はなぁ、南の海の――」
「無人島の隠し入り江に停めてあるってんでしょ? そこに秘宝が隠してあるんすよね。それも3回目です」
「そうか。えーっと、それじゃあ……?」
ぐでんぐでんに酔っ払ったエレノアを支えながら、ゲラはふと少年時代を思い出す。
漁師の息子として育ったゲラは、ある日、沖合で立派な商船とすれ違った。
船首には、美しい女エルフが立っていた。
潮風に髪をなびかせながら、憂いを含んだ瞳で気怠く海を眺めるその姿……ゲラは、一瞬で恋に落ちた。
いつか彼女の隣に立ちたくて、船乗りになって十五年。
今の自分は下品でむさ苦しくて可愛げがなく、ヒゲまで生えてて片足もない……。
決して、エレノアの求める恋人にはなれないだろう。
それでも彼女に対する憧れの気持ちは、あの日の少年時代のままである。
エレノアと一緒の船に乗れるのは、ゲラにとって無上の喜びなのだった。
次は、女王様の誕生日
エルフの女王アグラリエルは、誕生日に何を欲しがる?




