敗者の『ラメン』
それを皮切りに、様々な声が上がり始める。
「あんな美味そうにラメン食ってるとこ見せられて、もう辛抱できねえぞ!」
「そうだ、そうだ! 早く俺たちにもラメンを食わせろーッ!」
「お母さん。僕、もうお腹ペコペコだよー!」
「ええ、そうねえ。食べられるラメンって、ジュリアンヌ様の鴨ラメンなのかしら?」
「匂いばっか嗅がされて、胃袋が限界だぜ……」
と、一人が指さす。
「おい……見ろよ、あれ! レンのヤタイ、スープもメンも残ってるぞ!」
「本当だ。ワンタンは品切れみたいだけど、他はたっぷり残ってるな」
「審査員たちを夢中にさせたマルドリ・ショーユが、まだまだ作れるってことか!?」
「鴨ラメンとマルドリ・ショーユ。この人数じゃ、食べられるのはどっちかひとつだ」
「ゴクリ。なら、やっぱり……!」
人垣が崩れて、観客たちが殺到する。
数秒後に広がった光景を見て、私は絶句した。
「……! こ、これは……なんと、残酷な!」
レンのヤタイには、長く長く行列が伸びてる。
対するジュリアンヌの調理台は……ゼロである。
誰も並んでいない。
勝者と敗者、明と暗……あまりに惨い!
彼女のラメンだって、十分に美味かった。称賛に値するものだった。
このような扱いを受ける謂われはない。
だが観客もまた、『レンの友達』でも『ジュリアンヌの常連客』でもないのである。
彼らにはどこに並ぶか、自由に選ぶ権利があった。
レンが焦った声で叫ぶ。
「お、おいコラっ! 俺ぁ、タダでラーメン食べさせる気なんてねえぞ!? その麺や具材は余ったスープで商売しようと持ってきたんだ!」
ジュリアンヌが立ち上がり、服の砂を払いながら言った。
「レン。ラメンの代金ならば、あたくしが払いますですわ。並んでる庶民の皆さまに、どうぞ好きなだけ食べさせてあげてくださいまし」
「えっ。でも……いいのかよ、ジュリアンヌ?」
「もちろんですわ。先着百名限定で無敵のチャーシュ亭のオーナーシェフ、ジュリアンヌより『本物のラメン』をご馳走いたします……貴族として、『約束』は守らなければなりませんもの」
レンは渋々と言った様子で、並んだ客たちにラメンを提供し始める。
一方、ジュリアンヌは誰もいない調理台に立ち、ギュッと唇を噛みしめて前を見て、拳を強く握っている。
ミヒャエルとダルゲは、そんな彼女に寄り添うように黙って立つ。
ヤタイからは熱々のラメンがどんどん出ていき、ジュリアンヌの前にはただ、冷え冷えとした空のドンブリが並ぶのみである。
「……オーリ。もう一杯ぐらい食べられるな?」
「おうともよ! あと、五杯はいけるぜッ!」
見るに見かねた私とオーリが、ジュリアンヌの前に行こうとした、その時だ。
麦わら帽子に着古した麻のシャツを着た男がひとり、ジュリアンヌの調理台に並ぶ。
そして指を一本立てて、言った。
「ラメン、いいだか? お嬢さん」
あ、あれは……チャックルズ!?
チャックルズは、善良で朴訥な農夫である。かつてはタイショの常連客でもあった。
広大な小麦とヤクミ畑を作り上げた功績で勲章をもらい、地位も名誉も十分に得ているはずなのに、町の外に質素な家を建て、朝早く畑に出て泥だらけになって農作業をし、日が落ちるまでクタクタになって働く生活を送っている。
家族は妻と5人の息子に3人の娘で、みな同じように働き者だ。
酒は滅多に口にせず、夜眠る前は神への祈りを欠かさない。
おそらく彼は、ジュリアンヌのような貴族からは『精神的に最も遠い』人間だろう。
みすぼらしい服装のチャックルズを見て、ジュリアンヌは自嘲気味に笑った。
「ふっ、そうですわね。こちらなら並ばずに、すぐ食べられますもの。ただ空腹を満たすのならば、あたくしのラメンでも十分ですわよ」
チャックルズは首を振る。
「んなことねえだ。オラぁ、あんたのラメンが食いたくて、こっちに来ただよ!」
「……えっ。あなた、レンのラメンより、あたくしのラメンが食べたいっておっしゃるんですの?」
「んだ。そう言ってるだよ。どっちか選べるなら、オラが食いてえのはあんたの鴨ラメンだ」
チャックルズはニコニコ顔で、嬉しそうな声で続けた。
「鴨ってのは、オラたち農家にとっては馴染みの深い鳥だべ! 夏の間は畑の害虫を食ってくれるだども、冬になったら麦の穂を食うから、罠をしかけて狩らなきゃならねえ。だどもせっかく獲っても、オラたち農民にできるのは田舎料理ばかりだぁ……肉は焼いて塩漬けしたコケモモのソースで、骨は根菜やキャベツと煮込んでスープにするだよ」
身振り手振りを加え、チャックルズは熱弁する。
「んだどもよぉ! そんッな垢ぬけない料理でもよぉ、鴨の肉と脂はよぉ!? 驚くほど濃くってよぉ! スープも美味ぐてっよぉ!? オラも妻も子供たちも、鴨が獲れると大喜びだべよ! 鴨は、農民のご馳走だぁ……そんな鴨が、オラの大好きなラメンになっちまったって!? オラもう、勝負の途中からあんたのラメンにワクワクしっぱなしだべ!」
さらに、もう二人。
チャックルズの後ろに、誰かが並ぶ。
「あーあ、司会ばっかりで、お腹へっちゃったわ。私にも美味しいやつ、一杯ちょうだい!」
「ヴァナロにおいても、鴨は常食されてる野鳥です。カザンにも、鴨ラメンをくださいな」
サラとカザンだ!
と、後方から人の群れを分け入って、さらに二人が姿を現す。
「ほら、急いでアーシャ! もうラーメン、配り始めてるニャ!」
「まったくもう。コノミが寝坊するからいけないにゃ」
その姿を見て、オーリが声を出した。
「アーシャ!? あいつ、ずーっと顔見せねえと思ったら……こんなとこで何やってやがんだ!」
「……もう一人の少女は誰だ? どうやら、ニホン語を話しているようだが……?」
魔族角隠しの黒くて大きな魔女帽子を被ったアーシャが、ヤタイと調理台を交互に指さして言う。
「えーっと。なんでも、片方は『マルドリ・ショーユ』ってので、もう片方は鴨ラメンだって話だにゃ」
すると猫耳フードの少女は叫ぶ。
「鴨ぉ!? だったら当然、鴨でしょー!」
「でも、試合はマルドリ・ショーユの勝ちみたいだにゃ? 人気も上だにゃー」
「な~に言ってんのニャ、アーシャ。鶏肉なんていつでも食べられるけど、鴨はお正月のおせちくらいでしかお目にかかれない超レア食材だニャ! さあ、鴨ラーメンの列に並ぶニャアーっ!」
アーシャと猫耳フードの見知らぬ少女は、いそいそと列に加わる。
列……そう。五人も並べば、もう立派な『列』である!
「ダルゲっ! お客様にテーブルと椅子をご用意ですわ! ミヒャエル、ドンブリを五つ温めて、ヤクミを刻んで!」
「「アーイアイサー!」」
よく晴れた昼下がりの空に、三人の声が元気よく響いた。
オッス、オラチャックルズ!
おめえのラメン、すっげえなぁ……オラ、ワクワクすっぞ。
よーし、いっちょやってみっかぁ???