ハイスペック・ショーユ『ラメン』
「ハ、ハイスペック・ショーユラメンだと……?」
レンは頷く。
「ああ! 少し前に、某マンガで提唱された言葉でな。クラシカルな中華そばを一流の技術と材料で、高レベルに仕上げたラーメンをそう呼ぶんだ! 主な特徴としては丸鶏スープに、低温調理された豚と鶏のチャーシュー二枚乗せ。麺は細麺か熟成させた平打ち麺、メンマはサクサク柔らかめって感じのラーメンだな」
ちなみに『マンガ』と言うのは、絵と文字と仕切りで構成された書物である。
友人の大錬金術師のタルタルが、タイショからもらった『マンガ・ザッシ』を一冊もってる。
「でも、君のワンタンメンは豚チャーシュが一枚だけだし、メンマもコリコリで歯応えが良かったぞ。メンも中細で、断面も丸かった!」
私の指摘に、レンは平然と言葉を返した。
「そりゃそうだ。俺のは、最初からハイスペック醤油ラーメンを目指して作ったわけじゃなく、親父のラーメンを進化させた結果、ハイスペック醤油ラーメンになっちまったってだけだからな。他にも、丸鶏にこだわらない『NEOノス系』、水と鶏と醤油だけでスープを作る『水鳥系』もこの亜種に当たるぜ!」
彼は苦笑しながら、どこか寂しげな表情で語る。
「俺らの世界のラーメンの歴史は百年余り……。その中でも醤油ラーメンは、もっとも古い部類のラーメンになる。もはや俺たちの日常に馴染みすぎて、なんの特別感もない一杯になっちまってる……どこでも食べられる、どこで食べても変わらない。ま、そんな感じのラーメンだわな」
ラメンが普及するのは、とても良い事だと思う。
けれど、その結果として『なんの感動もない一杯』になってしまうのは、少し悲しい。
と、ナンシーが言う。
「その認識を変えるべく生み出されたのが、さっき言った『ハイスペック』とか『ネオノスケイ』とか、『ミズドリケイ』ってラメンなんだね?」
レンは、『ラーメン太陽』の真っ赤なノレンを指さした。
「そうだ! かつて、俺にもあったんだよ……。親父のラーメンを『最強』にして古臭いと言われる醤油ラーメンのイメージを覆し、それで商売しようって考えてた頃がな」
オーリが首を傾げる。
「かつて……だと? つまり、今は違うのかよ。そう言や、レンがヤタイで出してるのは『ベジポタケイ』だよな。こんなに美味えラメンなのに、どうして商売にしねえんだ?」
レンはフッと笑った。
「俺のハイスペック醤油ラーメンには、大きな弱点が三つあるのさ」
その言葉に、私たちはギョッとする。
な、なんだとっ!?
この完全無欠に思えるラメンに、三つも弱点があるのか!
レンは指を一本立てる。
「まず、ひとつ目。『価格』だ。丸鶏スープは、原価がかかりすぎるんだよ。材料の質がもろに出るスープだからな。コストを落とすわけにゃいかねえ! どれだけ勉強しても、一杯1200円。それが限界だな」
「うむ、価格は大事であーるな。貴族や金持ちならともかく、庶民が食事に使える値段は限られている……たまの贅沢であっても、銅貨一枚でも安い所へと考えるのは当然であーる!」
レンは以前、向こうの世界のラメンの値段は500円~850円だと言っていた。
それに勤め人がランチで使えるのも、せいぜい1000円が上限だと。
たった2割ではあるが、『初めての店』に入る時に『上限をギリギリ超える』と言うのは、心理的に『大きな障害』になりえるのだろう。
レンは、二本目の指を立てる。
「そして、二つ目。それは、スープが『美味すぎる』って事だよ」
ナンシーが首を傾げた。
「……美味すぎるだって? レン。スープが美味くて、どうしていけないんだい?」
すると、レンは彼女に尋ね返す。
「みんな親父のラーメンを食いに、毎晩のように屋台に通ってたんだろ? だったら、わかるはずだぜ……このラーメンはどうだ? このラーメン、毎日食えるかよ?」
オーリがハッとする。
「な、なるほど。レン、おめえの言いたいこと、わかったぜ! 強烈に美味い料理は、飽きが来るのも早いっ!」
「そういうこった。親父が出そうとしてたワンタンメンも、本来は豚ひき肉のワンタンだけをどっさり乗せるスタイルだった。だけど、俺の作ったスープだと、旨味が強すぎてすぐ飽きがきちまうんだよ。それで、エビとニラ玉のワンタンも追加したんだ。これも、コストが掛かる一因だな。三種のワンタンを乗せるとなると、さらに400円追加だぜ」
一杯、1600円か!
さらに厳しくなってきたな。
レンは三本目の指を立てた。
「最後に、三つ目。どれだけ美味くても、『醤油ラーメンは醤油ラーメン』だからだ」
思わず、レンの言葉を繰り返す。
「ショーユラメンはショーユラメンだって……?」
「ああ。俺らの世界じゃ、『食の多様化』が進みすぎててな。年に数度は聞いたこともないような料理がブームになり、深夜までやってるコンビニやチェーン店は月一で商品を入れ替えてフェアをやる。『食の選択肢』の幅が広がりすぎてるんだ」
オーリが、何度もウンウンと頷いた
「俺っちが味わったラメンだけでも、ものすごい数だったもんな!」
「さっきも言ったが醤油ラーメンは日常食であり、どこでも安く食える味だ。客を呼び込む強い引き、『珍しさ』がないんだよ! それに昨今、チェーン店やインスタントラーメンの味も飛躍的に上がってきている。手軽に『近い体験』ができるなら、店まで足を運ばなくていいだろう?」
ナンシーも頷く。
「ああ、確かにそうさね! あたしゃ、色んな町に支店を出してるからわかるよ……商品の『質』だけで客の入りが決まるなら、こんなに楽なことはない。でも実際は客は、立地や価格、品ぞろえや雰囲気など、総合的に考えてもっとも入りやすい店を選ぶもんさ」
その通りである。
味だけで決まるならば、この町のラメン・レストランだって、数軒を残して全部消えているはずだ。
数ブロック先まで歩く労力を考えたら、目の前の店でいいか、となるのも理解できる。
レンは拳と手の平をパシンと打ち鳴らし、強い口調で言う。
「ラーメンの世界は、いくら美味くても『どこかに似たような味がある』ようじゃダメなんだ! ……それじゃ、上には行けねえ。実際、丸鶏を使ったハイスペック醤油ラーメンの中でも、味にはっきりと特徴が出せない店は、『コピペ清湯』なんて揶揄されてるしな」
『コピペ・チンタン』……おそらく、『マタオマケイ』と同じような意味だろう。
それらの店は、『どこでも食べられるありきたりの味』からの脱却を目指して作られたのに、できあがったのは『どこでも食べられるありきたりの味』になってしまったわけである。
悲劇であり、喜劇的でもあるな。
レンは腕組みをして顎を上げ、強い口調で言う。
「俺は悩みに悩んだ末に、苦労して作り上げた『最強の親父のラーメン』を封印し、大きく舵を切る事にした。そして辿り着いたのが他では食べられない珍しい味で、しかも安価で話のタネになる。そんな『ペジポタ系』ってわけだぜ!」
だが、あの素晴らしい味を、ワンタンメンを、そう簡単に諦められるはずがない……。
きっと言葉では言い表せぬほどの、深い苦悩の連続があったに違いない。
私は悔しさを滲ませながら言う。
「……レン。君が『タイショのラメン』とは似ても似つかぬ『ベジポタケイ』を出してるわけ、ようやくわかったよ。しかし、こんなに美味いラメンが封印されたままなのは、実にもったいないね」
するとレンは、明るい笑顔を見せる。
「ふふふ。このワンタンメンは、俺の最高傑作のひとつだ。いつかは商売にしたいと思ってるし、今回みんなに披露できたことは、俺の『救い』と『自信』にもなった!」
「……! ま、まだ夢は諦めていないのだな。よかった……それが聞けて、本当によかったよ!」
「ま、『最強の親父のラーメン』で商売をするなら、名が売れてから……三軒目くらいでセカンド・ブランドとして、銀座、赤坂、六本木辺りでやるのがベストだろうな」
レンはふと視線を移し、それから言った。
「さて。そろそろ『本当の決着』をつけるとするか」
そして彼は、地面にへたり込んでいるジュリアンヌへと歩いて行き、声を掛けた。
有名なラーメン屋の多くは『物語』があります。
物語は行列に並ぶ、ラーメン屋の大きな『看板』の1つです。
名の売れたラーメン屋がセカンドブランドで『最強の親父のラーメンとワンタン麺』なんてメニューを出したら、ちょっと食べてみたくなりませんかね……?