Another side 16
いよいよ明日は勝負の日だ。
昼下がりのカーテンを閉め切った部屋に、ジュリアンヌはいた。
「……ぐすっ。ラ、ラメンが作れませんわ……お母様」
そう呻く彼女の目には、涙が光る。
腕の中のエリザベスが、心配そうに彼女の頬を舐めた。
「ブウ、ブキィ?」
壁には一枚の肖像画がかかっている。
ジュリアンヌの母親の絵だ。
母はラーメンが大好きで、月に一度は使用人たちを集めて『ラーメン食事会』を開いていた。
庭に椅子やテーブルを出して、執事もメイドも庭師も関係なく、みんなで熱々の丼を抱えてフウフウ息を吹きかけて食べるのだ……それは、今でもジュリアンヌの一番大切な思い出である。
「ラメンって、とっても美味しいですわね、お母様!」
幼いジュリアンヌがそう言うと、母は薄く笑って、いつも同じ言葉を口にした。
「ええ、そうね……でも、昔お母様が食べた本物のラメンは、もっと美味しかったのよ」
なんでもそれはジュリアンヌが生まれる前、舞踏会の帰り道を遠回りした深夜のこと。とある路地で、偶然みかけた不思議な店で食べたそうだ。
いい匂いに抗えずに席に座ると、言葉の通じぬ白装束の店主が、深皿に入った熱々のスープと黄色い紐の料理を出した。
それは鶏と魚介のとてつもない旨味に満ちていて、食事は済ませたずなのに一口食べたら手が止まらず、あっという間に平らげてしまった!
その後、味にほれ込んで何度か通ったが、ある日を境に店は忽然と消えてしまった。
「もしもあの店が消えずにいたら、きっと私もお父様も常連になっていたでしょうね」
あれこそが『本物』であり、今ファーレンハイトで食べられているのは全て『模造品』なのだと母は語った。
それを聞いて、幼いジュリアンヌは笑顔で言った。
「だったら、お母様! あたくしがいつか、その『本物のラメン』を作って、お母様に食べさせてさしあげますわ!」
結局、その願いは叶わずにジュリアンヌが八歳の時に、母は流行り病で死んだ。
貴族や王族にも被害が出ていたので、父が一縷の望みをかけて出したエリクサーの陳情も、聞き届けられることはなかった。
だから、ジュリアンヌにとって『ラーメン』とは母と一緒に食べた味で、『本物のラーメン』とは自分が懸命に作り続ける先に存在するであろう、もっと美味しい『何か』なのである。
ゆえに、それ以外のラーメンは否定する。
徹底的にバカにして、排除する。
己やこの町が目指すべき至高の一品は、母が食べたがっていた『本物のラーメン』でなければならないのだ。
なのに鶏ガラが手に入らない……このままではラーメンが作れず、明日の勝負に負けてしまう。
スープなしの『もどき』を作る相手に、自分が負ける……。
それはまるで『母との大切な思い出』までが否定されるみたいに、ジュリアンヌには感じられた。
そんな風にめそめそと泣く彼女を、扉の隙間から覗く者がいる。
ミヒャエルとダルゲだ。
二人はそっと扉を閉めると、ため息交じりに言い合う。
「お嬢……。あないに泣くくらいやったら、レンに突っ張らんと黙っとればよかったのになぁ」
「今さら言ってもしょうがないでヤンショ? あの後も散々町を探し回ったのに、とうとう鶏は手に入らずじまいでヤンス」
「どないする、ミヒャはん? そろそろスープ作りに取り掛からんと、明日の勝負に間に合わんで!」
「そうは言っても、鶏がないでヤンスからねえ。明日の勝負どころか、今日の商売用のスープさえも作れないありさまでヤンス」
「昨日は前日に仕込んだスープがあったからなんとか開店できてんけど、今日は鶏も手に入らず、店も開けられずや……さすがのお嬢も、心がポッキリ折れてしもうたか」
二人は同時に、大きくため息を吐いた。
と、ミヒャエルは重々しい口調で言う。
「ダルゲ。実はあっし、ちょっと気になって調べてみたんでヤンスけどね。どうやらあのレンって野郎、異世界人らしいんでヤンス」
「な、なんやてぇ!? 異世界人って、アレやろ? 地球の外に住んでる奴らの事やろ!?」
「そうそう。月とか火星とかに住んでる……って、それは異星人でヤンスよ!」
この世界では望遠鏡と超遠視魔法の組み合わせで、月や他の惑星の観察がなされてる。
その結果、月や火星には不思議な建造物や知的生命体の痕跡が存在することがわかっていた。
それを探索しようとその昔、『超魔法大国ニルヴァーナ』が月に向けて魔法の船を飛ばしたが、予想外に遠すぎてニルヴァーナ滅亡から二百年たった今でも、その道程の三分の一しか進んでいない……。
これをもって、『無謀な挑戦』や『無駄な努力』と言う意味で、『ニルヴァーナの魔法船』という慣用句が使われている。
ミヒャエルは言う。
「あっしもリンスィールってエルフの本でちょこっと読んだり、噂で聞いただけなんで全部は理解できてないんでヤンスがね……あっしらの世界とは別に、もうひとつ他の世界があるらしいんでヤンス」
「ああ。神話で神様が作って移住したっちゅー、『素晴らしき新世界』みたいにやな?」
「そうでヤンス。で、あのイトー・レンの父親こそが、この世界にラメンをもたらしたラメン・シェフらしいんでヤンスよ」
「えーっ! な、なんやてぇッ!? せやったら、お嬢のお母はんが食べたっちゅー、ほんまもんのラメンってひょっとして……?」
ミヒャエルは深刻な顔して頷いた。
「……おそらく。で、ヤンスなぁ」
「それ、お嬢には言ったんか?」
声を潜めるダルゲに、ミヒャエルは憂鬱そうに首を振る。
「言えるわけないでヤンショ? あんな状態のジュリ様に……」
「せやな……言えるわけないな」
また、二人は盛大なため息を吐く。
「ダルゲ、それだけじゃないでヤンスよ。もし明日の勝負でレンが父親のラメンを出してきたら、あっしらがどんなラメンを作ろうと、必ず負けてしまうでヤンス!」
「あ! そ、そや……『これが正真正銘。ほんまのラメンや!』って元祖である親父のラメン出されたら、わいらなーんも言い返せんやないか!? くそう……えげつないやっちゃのう!」
「チィーッ! どうりでジュリ様に勝負を挑まれた時、平然とした顔をしてたでヤンス。絶対に勝つとわかってる勝負して、一体なにが楽しいんヤンショ!?」
舌打ち交じりのミヒャエルの言葉に、ダルゲは何度もうんうんと頷く。
「せやな。わいならそんな結果が決まり切った勝負、しょうもなくてやっとられへんけどな」
「本当でヤンスよ。あっしらにはまるで理解できない思考でヤンスね」
「けったくそ悪い。人から教えてもらったラメンまんまで勝ったって、おもろくもなんともないわ」
「まったくでヤンス。あーいう卑怯者には、なりたくないもんでヤンスなぁ」
「こんなもん、イジメやないか。弱い者イジメや!」
「恐るべき陰謀でヤンス! このミヒャエルの目をもってしても見抜けなかったでヤンス」
「男なら、拳ひとつで勝負せんかい!」
二人は自分たちのことを棚に上げてレンの悪口をボロクソに言い合うと、グッと拳を握って頷き合う。
「とにかく、ミヒャはん。わかっとるな……お嬢のことは、わいらで守ったらなあかんで」
「もちろんでヤンス。ジュリ様にはあっしら、一生かかっても返しきれない恩があるでヤンスからね」
ダルゲは難しい顔で腕組みをして、天井を見上げながら言う。
「しっかし、鶏なしでどうやって明日の勝負に勝てばええんや……? ミヒャはん、なんぞええ考えはあらへんか?」
ミヒャエルはずる賢そうに笑って、己の頭を人差し指で突っつく。
「ウシシシシ! アイデアばっちり、頭は冴えてるでヤンス。ひとつ作戦があるでヤンスよ! 『マジェリカ村一の知恵者』と呼ばれた、このミヒャエルにおまかせあれ、でヤンス」
大阪弁は劇場版コナンとじゃりン子チエで勉強しました。
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