吠えるジュリアンヌ
女豪商のナンシー……。
確かに彼女の名前を出されたら、一介の肉屋が逆らう事などできないだろう。
「……ああ、わかった。その鶏は君に返そう」
絞り出すような声で私がそう言うと、店主は鶏を片手にそそくさと肉屋に戻って行った。
それを見て、レンとサラが駆けてくる。
「おーい! リンスィールさん、どうしたんだよ!」
「えーっ、なんで鶏を返しちゃったの!?」
私は慌てて二人に事情を説明する。
レンは、呆れた声を出した。
「なんだよ、あのおばさん! 余計なことしやがるなぁ」
「しかし妙だな。ナンシーは、こんな悪辣な真似をする人間ではないはずだが……?」
「そんな大人物が絡んでいるとなると、店先で個別に交渉しても無駄でしょうね。ナンシー商会に乗り込んで、彼女を説得するしかないんじゃない?」
「よっしゃ! 待ってろ、ジュリアンヌ。俺たちがすぐに鶏を買えるようにしてや――」
「ちょーっとお待ちなさいですわッ! どーして、あたくしを無視して勝手に話が進んでますの!?」
突然の少女の叫びに、我々の目が点になる。
ややあって、サラが言う。
「……え。だってあなた、鶏が買えずに困ってたんでしょ?」
ジュリアンヌはすまし顔で答える。
「あーら。あたくし別に、なーんにも困ってなんていませんですわよ?」
レンが困惑した様子で言う。
「でもほら、お前半べそ掻いてたじゃねえか……あんまり可哀想だったからよ」
「な、ななななっ!? べ、べそなんて掻いてませんわ! 悪質なデマを流すのはおやめなさい!」
「掻いてたよ。目に涙浮かべて、三人で肩寄せ合ってたじゃん。なぁ、リンスィールさん」
同意を求められ、私は頷いた。
「うむ。私の目にも、涙ぐんで途方にくれてるように見えたぞ」
ジュリアンヌの顔が、カーっと一気に赤くなる。
彼女は頬に冷汗を浮かべながら、大きな声で笑い始めた。
「お、おーっほほほほー! な、何を言ってますのかしら……っ!? ちょーっと意味がわかりませんわね。幻覚でも見たのじゃありませんっ? 時にあなた、エルフの食通リンスィールですわね?」
「ほう、私の事を知っているのかね」
「ええ。ファーレンハイトでラメンに関わる者ならば、知ってて当然ですわよ。著書も全て読んでますわ。うちの店に来たこともありますわね」
私は、少しばかり驚いた。
彼女とは直接の面識はなかったからだ。
しかも大人向けに書いた私の著書も全部読んでいるとは、かなりの勉強家でもあるようだ。
「よく覚えてるね。以前、そちらでラメンを食べさせていただいた。メンもスープもこの町の平均レベルをはるかに超えていて、なによりチャーシュが非常に美味くて感心したよ」
ジュリアンヌは胸を張って顎を上げ、腕組みポーズで言う。
「ならば、あたくしの実力は知ってるはず、あなた方の助けなんてなくても平気なので、余計な真似をしないようレンに言ってもらえますかしら?」
と、彼女のドレスの袖を引っ張って、ミヒャエルとダルゲがおずおずと言う。
「ジュ、ジュリ様。ここは黙ってた方が得策でヤンスよ!」
「そやそや、勝手にやらしとったらええねん。止める事あらへん」
「な、なんですの、二人とも……? あたくしのやる事に口を出すつもりですの!?」
「せやかて、お嬢。もう方々手を尽くした後や。鶏が手に入らんとどうにもならんで」
「そうでヤンスよ! ここはひとつ、意地を張らずに冷静になって……」
「うるさーい、ですわよっ! あたくしは敵の情けを受けるなんて、絶対にイヤですわ!」
それを聞いたレンは苦笑すると、静かな声でジュリアンヌに問うた。
「おい。だったら俺たち、このまま帰って本当にいいんだな?」
ジュリアンヌはツインテールの片方を手で払い、鼻で笑う。
「ふんっ、当然ですわよ。むしろこのくらい、ちょうどいいハンデになりますわ。そちらこそ、せいぜい頑張ってあたくしとの勝負に備えることですわね!」
そう嘯くとジュリアンヌは背を向けて、肩をいからせ道をズンズン進んでいく。
ミヒャエルとダルゲが、慌てて後を追いかけた。
だが時々二人して、名残惜しそうにこちらを見てくる……。
それを見送りながら、私は言った。
「いやはや……生意気というかなんというか、話に聞いてた通りの凄まじい性格だねえ!」
年頃の少女らしい愛らしさも、おしとやかさの欠片もない。
まるで、ところかまわず噛みつく狂犬みたいな危うさである。
と、サラが顎に手を当てながら呟く。
「それにしても……鶏なしで、どうやってラーメン作るつもりかしら。この世界のスープって、鶏ガラ醤油がベースなわけでしょ? 鶏がなかったら作る事すら不可能じゃない?」
「さあな。まあ、本人が自分で何とかするって言ってんだ。俺たちの出る幕じゃねえだろ」
レンの言葉に、サラもあっさり同意する。
「それもそうね。ふわぁーあ……お腹いっぱい朝ごはん食べたら、眠たくなっちゃった! 家に帰ったら二度寝しようかな」
「だったら、サラ。寝る前にちょっと、一仕事頼まれてくれないか? 魔法の力が必要なんだ」
「魔法の? 別にいいけど。何をすればいいのかしら?」
レンは、片手の鶏を持ち上げて言う。
「ほら、勝負の日は明後日だろ? 冷蔵庫のバッテリー切れちまってるから、氷で鶏を冷やしときたいんだよ。まあ、今の時期なら腐る心配もないだろうし、この世界の鶏は地鶏に近いから、逆に熟成が進んで美味くなるはずだがよ。やっぱ食中毒は怖えからな」
「それくらい、お安い御用よ。精霊石に高純度の氷のエレメンタルを詰めて、溶けない氷を作ってあげる!」
ふむ? どうやら、私のできる事なさそうだな。
私も何か手伝いたかったのだが……。
と、私の寂しげな様子が伝わったのか、レンが言う。
「リンスィールさん。今日は目当ての食材がひとつだけ見つからなかった。明日の朝、また市場に出るからさ。通訳を頼めるかな?」
「あ、ああ! 任せておきたまえっ!」
私が胸を叩いてそう言うと、彼は白い歯を見せて嬉しそうに笑った。
「ふふっ。マジで頼りにしてるぜ、リンスィールさん」
せやかて、お嬢。
いうても、お嬢……。
あかんて、お嬢!