51:最果て(ユグドラシル)の希望【完結】
はじめて最果てを訪れたルシアは、思わず感激の声をあげた。
ルシアの知る人界の様子には程遠いが、作物が光に輝き色鮮やかに実っている。家畜がのんびりと草を食み、さらに遠景へ視線を向けると、一面の麦穂が頭を垂れ、黄金色の絨毯を敷き詰めたように美しい場所もあった。
「素晴らしいです」
最果てには、確かに人々の営みがあった。同じ形の石を組み上げて作られた住居が並び、石畳の道が続いていた。まだ石組みが完成していない家も多いが、すでに町並みを思わせる情景が出来上がっている。
「はじめはここまで立派な様子ではなかったが……。彼らは驚くほど早く元の世界を取り戻していく」
「やはり私は間違えていなかったのですね」
一歩先を歩いていたディオンが振り向いた。邪悪を飼っていた頃の魔性は失われ、彼は天界にあった頃の眩い姿を取り戻している。ルシアが抱く面影と等しく、白金に閃く髪。眩しくて美しい。
ルシアはディオンの腕をとって笑顔を見せる。
「創生の力で人界を蘇らせる必要はなかったのだと、いま確信しました」
「ーーそうだな。人界へ向かうにはいろんな障害があるが、きっと彼らは一つずつ乗り越えていける」
ディオンと並んで石畳の道を歩いていると、向こう側から駆けて来る人影があった。
「ディオン様、ルシア様!」
アルヴィが両手に何かを乗せて、クルドと一緒にやってくる。同時にルシアの視界にふっと影がさした。頭上で魔鳥が翼を広げて低空飛行している。
「ムギン」
ディオンが呼ぶと、紫の魔鳥がバサリと羽ばたき彼が差し出した腕にとまった。丸く大きな一つ目が、まっすぐディオンを見つめてくりくりと首をかしげる。
「見てください! ディオン様! ムギンの子です!」
駆け寄ってきたアルヴィの手のひらには、幾羽かの雛がせわしなくひしめき合っている。
「可愛い!」
ルシアの顔も綻んでしまう。ディオンの腕に止まっているムギンがぎゃあと鳴いた。
「ムギンの子か。何羽いるんだ?」
ディオンがムギンの嘴を指でなぞると、魔鳥はうっとりと一つ目を閉じる。クルドがその様子をおかしそうに眺めながら、ムギンの代わりに答えた。
「五羽です。ムギンはこんなに大きいのに、卵はとても小さいんです」
確かにアルヴィの手の中の雛は小さくて可愛い。ルシアが指先を向けると、雛は嘴を開けて餌をねだった。ムギンがディオンの腕から羽ばたき、どこかへ飛び去る。
「餌を探しに行ったみたいです」
しばらく雛と戯れていたが、やがてアルヴィとクルドが鳥舎へと戻った。
賑やかな姉弟が駆け出していく後ろ姿を見送りながら、ルシアは少し切ない気持ちがする。
二人で日当たりの良い丘に出ると、ルシアは思い切って口にした。
「ディオン様は、いずれ世界を閉ざしますよね」
ゆっくりと歩き出してディオンを振り返ると、彼は頷いた。自分達はいずれ天界へと戻る。
この日々は永遠には続かない。クルドやアルヴィと同じ時を生きる事はできないのだ。
「破滅と創生。その宿命を失っても、私達はやはり人にはなれない。人知を超えた力と寿命がある。アルヴィとの約束を果たしたら、もう二度と彼らに会うことはない」
「ーーはい」
「寂しく思うか」
「ーーはい」
素直に頷くと、ディオンの気配が近づいた。彼に寄り添うように身を寄せて、ルシアは温もりに触れる。
「でも、私達は天界に戻るべきなのだと思います。私達の生きる場所は、ここにはありません」
眩い火は死んだ。火は砕かれ、大いなる世界には三つの光が生まれた。
天界、人界、地底。世界を等しく育む光として、ただ無欲な温もりに生まれ変わった。
古き者の加護によって守られてきたルシアだが、ヴァンスが固執していたのは創生の女神ではなく、兄であるディオンだった。ヴァンスは破滅の一撃から、袂を別つ事になったディオンに戻ってきて欲しかったのだ。
天界のためにルシアの力を欲していたのではなく、兄との交渉の駒として創生の力を手に入れたかっただけだった。
眩い火に抗い、ディオンが成したことの影響も、天界では甚大な問題をもたらしているだろう。ヴァンスは責任を取れと言わんばかりに、兄に治めてもらうことに躍起になり、きっと今も天界でディオンを取り戻すために策を巡らせているのだ。
ヴァンスのディオンへの過ぎた偏愛は、ルシアの眼には微笑ましく感じるほどだが、破滅の一撃がもたらした軋轢は深い。
思い出を失い、ルシアには当時の悲しみが希薄だったが、それでも溝は横たわっている。
許すことは容易ではなかったが、許さなければならないとも思っていた。
きっとディオンも同じ事を考えているだろう。
立ち止まっている事はできない。
「天界に戻ったら、おまえとゆっくり過ごしたいものだな」
ディオンも何か思うことがあるのか、言葉にどこか皮肉めいた色が宿っている。
破滅の宿命が失われても、天界の序列までは変えられない。
彼は天界の覇権には何の未練もなく、表舞台には戻りたくないようだった。罪人として過ごす方が気楽だと言わんばかりの能天気さで、ヴァンスの報せを無視している。
「その前に眩い火殺しとして、ヴァンスに断罪されるかもしれないが……。一族が力の一端を失ったのだから、天界も大きく揺れるだろう」
「他人事のように仰いますが、ディオン様がなさったことは大変な厄災だと思います」
「厄災ーー、確かにそうかもしれない」
「私は少しヴァンス様が気の毒になります」
ディオンが小さく笑う。
「おまえが天界での日々を思い出さないのは、幸いだな」
「え?」
ルシアの記憶は、眩い火に抗った邪悪とともに失われてしまった。もう二度と戻らない。
ディオンとの思い出も、レイアとの思い出も。
「ヴァンスに言い寄られて辟易していたおまえの言葉とは思えない」
「え?」
「あいつはいつも私のものを欲しがる。だから、嫌いなんだ」
ルシアは思いもよらない事実に、呆然とディオンを見つめた。ディオンが労わるような眼差しでルシアを見る。
「私の都合でおまえは記憶を失ってしまった。二度と思い出せない……」
「謝らないでください、ディオン様」
「ルシア?」
「きっと、それで良かったのです」
「最愛の姉であるレイアとの思い出も失ったのに?」
「どんな理由があっても、邪悪を生んだのは私です。罪には罰が必要です。だから、私は罰として受けとめます」
ディオンの腕がルシアに触れた。ゆっくりと抱きしめられる。肩越しに囁くような声が聞こえた。
「まるで、古き者のような覚悟だな」
「古き者のーー」
「独りで罪を噛み締め、永劫に眠る者を守り続ける。それが彼の罪の贖い方だった」
古き者。眩い火が死んだ時、死者の泉への道も閉ざされた。けれど、いまもきっとどこかで世界を見ている。
ディオンを選んだ自分の答えを、彼はどのように眺めていたのだろう。
「では、私にも罰が必要だな」
「ディオン様の罰はーー」
彼は天界に戻れば、苛烈な責を負うことになるだろう。でも、今はひととき羽を休めてほしい。
ルシアは笑顔で告げる。
「私が泣いて縋った時、きちんと向き合ってくださることです」
「ーー甘い罰だな」
ディオンの穏やかな声に、聞き慣れた遠吠えが重なった。
ヨルムンドの声だった。
辺りに姿は見えないが、じきに姿を見せてくれるだろう。柔らかな光に照らされた丘に、幾度も伸びやかな声が最果てにこだまし、響いていた。
魔王と囚われた王妃 ~断末魔の声が、わたしの心を狂わせる~ END
ここまでお読みいただき、本当にありがとうございました。
この作品は北欧神話から影響を受けて、神話風に書いたお話でした。
もしお気に召していただけた場合は、感想などいただけると嬉しいです。
最後に。
いつものように、作者の妄想に付き合わされた登場人物に感謝を。
そして改めて、読んでくださった方へ、本当にありがとうございました。
このお話を書くことができて、とても幸せでした<(_ _)>
令和二年 卯の花月二十七日 長月京子
ひとまず本編はおしまいですが、おまけ短編を書いたので良かったらお読みいただけると嬉しいです。
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