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魔王と囚われた王妃 ~断末魔の声が、わたしの心を狂わせる~  作者: 長月京子
第十章:ディオンの想い、ルシアの願い

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46:死者の泉(ヘルゲル)

 意識に雑音が多くなっていた。視野の狭窄を覚えるほど、人々の断末魔の声が世界を圧迫させる。ルシアがそばにいる時は、彼女の心が反映されるためか、幾分それらは遠ざかるが、だんだんと耐えがたい力を伴って身の内を苛い始めていた。


 破滅(ラグナロク)の一撃に焼かれた人々の、恐怖と怨嗟、憎悪。ルシアの悲嘆が契機となって形を与えられた凶悪な力。真っ黒な渦を巻いてディオンの意識を遮ろうとする。


 角を顕現させ、加護を施したところで気休めにもならない。

 ルシアの前で正気を保っていることも限界だった。


創生(アウズンブラ)を信じているのか」


 傍に古き者(ブーリン)の気配を感じる。かつて神に選ばれ、全てを失った男。落ち着いた声だった。

 真っ黒な巨木に掲げられた首。地上からは黒い影にしか見えない。どんな顔をしているのかは、わからなかった。


 ディオンが覚悟を決めた日から、古き者(ブーリン)に助けられたことは数え切れない。今も誰も立ち入ることのできない死者の泉(ヘルゲル)に匿ってくれている。


 夕闇に覆われたかのような空の下に広がる荒野と広大な湖。

 夜の海のように暗く、穏やかな湖面は何も映さない。暗黒だった。闇には霧だけが白っぽく流れている。まるで潮の満ち欠けのように、霧の濃度が変化する。


 不思議と恐ろしさはなく、寂寥感と心の緩む穏やかさに包まれていた。

 どこまでも静謐な世界。


 霧の立ち上る泉の底には、古き者(ブーリン)が愛した邪悪(ガルドル)が眠っている。

 自身の絶望が生み出した邪悪(ガルドル)をその身に封じた古の女神。古き者(ブーリン)は未来永劫、ただ見守り続けるのだろうか。この何もない世界で。


 ディオンが身動きすると、あたりに血が飛沫く。

 抑えきれない邪悪(ガルドル)が、身をつきやぶり輪郭を変える。血が流れても痛みは鈍化していた。

 今となっては雑音の方が耐えがたい。


「もうお前の身体が持たないのではないか」


 古き者(ブーリン)の声は雑音にも負けぬ強さがあった。波紋を描くように心に響く。ディオンは沈黙で答えた。この有様では言葉よりも雄弁に伝わっているだろう。全てを秘匿するという約束を破ったことを責めたい気もするが、ルシアに巣くった予感は心の準備にもなると考えを改めた。


「お前の女神は、もう力を取り戻しているようだが――」


 滅びた天界(トロイ)の残滓に心を残し、彷徨うだけの古き者(ブーリン)

 力を失い、知識だけを携えた存在。今も彼の意図は掴みきれないが、悪意は感じない。

 彼が何を望んでいるのか定かではないが、おかげで目的を果たす希望を捨てずにすんだ。


「お前の施した戒めを解けば、美しい翼を広げるだろう。――迷っているのか」


 的確に言い当てられて、ディオンは沈黙を続けるしかなかった。


(ーー私は心配なのです)


 凶悪な喧騒の中にあっても、思い出すルシアの声は愛しい。

 希望への道を迷っているわけではない。だた、彼女の想いを裏切ることが苦しい。


(ディオン様)


 自分を見つけた時の、はじけるような笑顔を思い出す。胸が締め付けられる。

 できるだけ長く感じていたいのだ。

 愛した女神の温もりを。

 この手で触れられるひと時を惜しんでしまう。


「……未練か。だが、もう限界だろう」


 古き者(ブーリン)の声は残酷だった。


 もう嘘を貫くだけの力が残されていないのだ。決断を下すべき時は過ぎている。



魔王の丘(オーズ)の加護は解いた」


「!」


「女神が力を取り戻すまでの約束だったはずだ」


 古き者(ブーリン)は笑っている。彼を恨む気持ちはなかった。踏み出せずにいた自分の背中を押してくれているのだとわかる。


「お前が動かずとも、女神を見つけた天界(トロイ)が動く」


 ディオンは雑音の中でも鮮やかに蘇る愛しい面影を振り払う。ゆっくりと最後の力を振り絞った。

 意識を保つように張り詰め、輪郭を歪ませる衝撃に耐える。


「ーーッ」


 ひととき邪悪(ガルドル)を抑えこむことに成功すると、枝葉を伸ばすように広がりきっていた輪郭を整えた。ルシアの愛してくれた姿に。

 ディオンは毅然と姿勢を正す。


「……古き者(ブーリン)。なぜ、私を助け導いてくれた?」


 今まで聞けずにいたことだった。巨木を見上げて小さな影を見つめる。


「だたの気まぐれだと言いたいところだが、私にも興味がある」


「興味?」


「我らは、眩い火(ヴァルハラ)に抗うことが許されるのかと」


 ディオンは息を呑んだ。古き者(ブーリン)には全てを見透かされている。

 破滅(ラグナロク)の運命を知った時から胸にくすぶり続けた問い、ーーその答えを。


 破滅(ラグナロク)創生(アウズンブラ)を繰り返す、大いなる世界(ルーンヘイム)の秩序。


「結末は誰にもわからない」


 古き者(ブーリン)の声は穏やかだった。責めることも嘆くこともない。


「ーー感謝する、古き者(ブーリン)


 深く頭を下げたディオンに返答はなかった。答えの代わりだろうか。ディオンはすぐに浮遊感に襲われる。古き者(ブーリン)は何も言わず、ただ死者の泉(ヘルゲル)から魔王の丘(オーズ)へと送ってくれた。

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