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魔王と囚われた王妃 ~断末魔の声が、わたしの心を狂わせる~  作者: 長月京子
第九章:魔王となった理由

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44:古き者の話

「ーーただの昔話だ」


 立ち込める霧が形を変えながら、古き者(ブーリン)とルシアの間を流れていく。

 石を切り出して作られた長椅子から、古き者(ブーリン)がゆっくりと立ち上がった。足音もなくルシアの方へ歩み寄って来る。


「おまえが愛する者の話ではない」


 手を差し出すこともなく、古き者(ブーリン)はルシアを見下ろしている。流れる霧が彼の美しい顔を隠す。どんな表情をしているのかわからない。


「我々は繰り返す、哀しいほどにーー。しかし、同じ末路を辿るかどうかは誰にも、神ーーいや、眩い火(ヴァルハラ)にもわからないだろう」


 古き者(ブーリン)の表情を隠す霧が流れ去ると、彼は微笑んでいた。


「おまえの愛した破滅(ラグナロク)と我は違う。おまえの破滅(ラグナロク)人界(ヨルズ)の美しさに気付き、魔獣にも心を砕く。自身の目で確かめ、柔軟に世界の形をたどる」


 美しい碧眼に自嘲するような色が浮かんだ。答えたくないと言いながら、古き者(ブーリン)は全てを語ったに等しい。


「我とは違う。我は眩い火(ヴァルハラ)に与えられるまま、あらがうことをしなかった。意図に従い、それが世界と女を守ると信じていたが、間違えたのだ。何が足りなかったのか。今なら分かるが……、我は世界を失い女に憎まれた」


 立ち上がれないルシアの傍らから、ゆっくりと古き者(ブーリン)が歩み出す。


「おまえの破滅(ラグナロク)は、もしかすると柔軟な目を持つがゆえに間違えるのかもしれない」


 辺りに深い霧が満ちて流れ去ると、もうどこにも古き者(ブーリン)の姿はなかった。大蛇の石像だけが聳え立っている。辺りに立ち込める霧が目隠しをする。


「しかし、おまえは変わらず愛している」


 目を凝らすが辺りに人影は見えない。誰もいなくなった。誰もいないのに声だけが聞こえる。言霊のように古き者(ブーリン)の言葉だけが響いた。


ーー愛しているのならば、違う道がある……


 違う道。たしかに古き者(ブーリン)のように全てを失う結末にはならないかもしれない。


 天界(トロイ)は滅ぶこともなく、人界(ヨルズ)を再興できる希望が残されている。


 けれど、その道の先にディオンはいるのだろうか。

 たとえ世界が再興されても、彼を失うのなら意味がない。


「ディオン様……」


 失ってしまうかもしれないという不安が止めようもなく滲み出す。強烈な恐れに胸が苛まれ、身体が震えた。


 ディオンが邪悪(ガルドル)を飼う理由は、もう明らかだった。

 自分の犯した厄災をその身をもって抑えたのだ。


「私のせいでーー」


 創生(アウズンブラ)の女神が放った、かつての天界(トロイ)を滅ぼす程の力。


 邪悪(ガルドル)


 ルシアの脳裏で、宮殿の屋上から聞こえた悲痛な絶叫が蘇る。尾を引くような悲鳴。

 無事でいられるはずがない。


 彼が正気を保っていることが奇跡のように思えた。

 途轍もない膨大な負担が、やがてディオンを犠牲にしてしまうのではないのか。


 自分と人界(ヨルズ)を守るためなら、彼は迷わずにその道を選び取る。


「ーー、っ!」


 ルシアは項垂れ、強く地面に爪をたてた。呵責に耐え切れず、爪が剥がれる勢いで地面をかきむしる。どうしようもない衝動に駆られ、土を握りしめたまま何度も地を叩いた。






「ルシア!」


 激情の限り土をかきむしり、地を叩いていた手を掴まれる。ルシアは視界に入った長い爪を見て顔をあげた。ひどい顔をしている自覚があったが、取り繕うような恥じらいは見失っている。涙と土で汚れた顔を向けると、ディオンの姿があった。初めて見た時のように、彼は右眼を隠す金細工を抑えていた。


 痛みをこらえているのか、心なしか表情に苦痛が滲んでいる。


「いったいどうしたんだ。何があった?」


 再び彼に焦がれていることを認めた日、ルシアの心が手に取るようにわかるとディオンは言った。今もこの衝撃が伝わっているのだ。


 邪悪(ガルドル)の影響を思い、ルシアはますます心が潰れそうになる。

 隠しようもなく自分の心が紐づいている。


 邪悪(ガルドル)に影響をもたらす自分の弱い心。それが何を意味するのか。


「ディオン様、私のせいで……。どうしたらーー」


「ルシア? とにかく落ち着け。このままではーーっ」


 彼が右眼を押さえて低く呻く。ルシアははっと身じろいだ。心を埋め尽くす不安や絶望は、ディオンに影響を及ぼしてしまう。脳裏には邪悪(ガルドル)が彼の身を侵す光景がよみがえっていた。


「っ……」


 動けなくなったルシアの顔を、べろりと柔らかな衝撃が襲う。ヨルムンドの慣れた気配に気づくと、大きな舌がべろべろと続けざまにルシアの顔を舐めた。息もつけないほど舐め続けられ、ルシアの焦燥が戸惑いで上書きされる。張り詰めた心が緩むと、見計らったようにヨルムンドが吠えた。凶悪な形をした瞳が、じっとルシアを見つめている。ヨルムンドの唾液で顔がべとべとになっていたが、ルシアは取り乱していた心を持ちなおす。


「ありがとう、ヨルムンド」


 腕を伸ばして首筋を撫でると、ぐうっとヨルムンドが唸る。ルシアは大きく深呼吸をしてから改めてディオンを仰いだ。右眼を隠す金細工を抑えたまま、彼は労わるようにルシアを見つめている。


「大丈夫か? どうしたんだ」


「ーーお見苦しいところを見せて申し訳ありません。もう大丈夫です」


 不安に駆られる心を引き締め、最悪の結末を見つめることをやめた。違う道筋を描けるはずだと、これからの希望へと意識を向ける。


「私はディオン様にお聞きしたいことがあります」


 もうこれ以上、自分の弱さがディオンを苛むことを望まない。必ず違う道の先にある希望を掴み取って見せる。ルシアは美しい碧眼に力を込めた。

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