43:邪悪(ガルドル)の真実
「おまえも知らぬような大昔の話だ。ーー神の鉄槌により人界は滅び、天界も大部分を失った。神は二度と繰り返さぬように、男にまず破滅を授けた。男は神の一撃を手に入れ、それにより世界はさらに対等ではなくなった。そして神は次に創生の力を授けたが、男が独りで破滅と創生を携え発揮することは荷が重い。男は創生を愛する女に継承した。女は与えられた創生により、世界に肥沃な大地を蘇らせる」
「それが、ーー天界が破滅と創生を手に入れた経緯ですか?」
元から手にしていたのではなく、神によって天界に与えられた時期があった。
「あなたの話す神とは、眩い火のことでしょうか?」
相変わらずルシアの問いには答えず、古き者は淡々と続ける。
「天界と人界は分かたれ、昔のように干渉しあうこともなく再び平穏な時が過ぎた」
古き者はルシアを見つめた。
「しかし、ここで再び問題が起きる。男の愛した女の姉が、人界に生きる者に心を移した。人を愛したのだ。それを契機に再び世界は繋がってしまう」
ルシアはレイアの記憶を辿る。人界の王トールへの焼けつくような想い。古き者の語る昔話が、再び同じような経緯をたどる。本当に自分達には関係のない話なのだろうか。
「ーーでも、争いにならなければ問題にならないのでは……?」
「人界には天界の破滅のように、圧倒的な力による序列がない。ずっと争いを繰り広げているような有様だった。そこに天界の女神が降臨した。双神の姉には創生のような圧倒的な力はなかったが、人々にとっては古に失った天界の神だ。人界と天界が繋がり、再び終わりのない争いを繰り返しそうになったが、破滅を与えられた男は神の意図に従い、人界にその力を行使する」
「そんなーー」
「焦土と化した大地は、女の創生で肥沃な大地を取り戻すーーはずだった。しかし、実際は最悪の事態を招いた」
「最悪の?」
「破滅により、双神であった女の姉も愛した者に準じて命を落としたのだ。……たとえ天界の神でも、失われたものは戻らない」
「それは……」
破滅により失われたレイア。双神の片割れ。やはり同じような成り行きだと思ったが、ルシアは口にすることをためらう。古き者にからかわれているのではないかと思ったのだ。
意味ありげに語られる昔話。本当にあったことなのかどうかもわからない。
「それから、何が起きたと思う?」
「え?」
古き者のからかうような笑みが消えていた。ルシアには自分の経緯が辿れない。レイアを失った悲嘆があったのかもしれない。けれど、まるで目隠しをされているかのように何も見えない。哀しみを取り除かれてしまったかのように、片鱗すらも思い出せないのだ。
「私には、わかりません」
古き者は労わるように目を眇める。ルシアは視線を伏せた。答えられないことに後ろめたさが伴う。古き者の声が続けた。
「創生の女神の悲嘆が、邪悪を生んだ」
「--っ!」
ルシアは弾かれたように顔をあげる。胸の内で耐え難い憶測が生まれた。咄嗟に古き者を見ると、彼はじっとルシアを見つめていた。
「創生は神が与えた特別な力だ。女神の悲嘆は人界の絶望と繋がり、途轍もない邪悪を生んだ。破滅を与えられた男はなんとか邪悪を封じたが、結局うまくいかなかった。天界は滅びてしまった。ーーこの地底が、その成れの果てだ」
「あ……」
身が竦み、鼓動が激しくなる。ルシアは立っていることもできなくなり、崩れ落ちるようにへたり込んでしまう。まるで視界から色を奪われたように心が塞ぎ、一気に奈落に沈む。
「ただの昔話だ」
古き者は深刻さのない声で締めくくるが、ルシアの胸に広がった波紋は、すぐに津波のように大きなうねりとなって心を飲み込む。
「では、ディオン様の飼う、邪悪は……」
失われた想い出。今は片鱗も蘇らない哀しみ。
創生の女神の悲嘆。
彼はルシアの絶望ごと全てを受け止めたのではないのか。だから、どうしても思い出せないのだ。
欠けてしまった心は、邪悪となってディオンの内にある。




