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魔王と囚われた王妃 ~断末魔の声が、わたしの心を狂わせる~  作者: 長月京子
第七章:昔日に重なる日々

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34:魔獣ヨルムンド

 ルシアの細い腕が縋るようにディオンを抱きしめた。

 案じるなと伝えた言葉の重みを、彼は噛み締める。


 邪悪(ガルドル)が伝えるルシアの甘い気配をもってしても、もう拭えない。

 じわじわと右眼に虫が這うようなおぞましさがあった。少しずつ邪悪(ガルドル)に浸食されていく。


 再び自分を慕うルシアを、これからはこの上もなく裏切ってしまうだろう。

 それでも彼女はこの先に続く道を絶対に間違えない。信じている。


 大いなる世界(ルーンヘイム)の天地創造を司るのは、世界に光と温もりを届ける眩い火(ヴァルハラ)であると言われている。


 天界(トロイ)の王ですら近づくことが叶わない眩い火(ヴァルハラ)

 太古に世界を破滅させた邪悪(ガルドル)


 大いなる世界(ルーンヘイム)で語り継がれている伝承。ディオンにとってはどちらも永く絵空事でしかなかった。


 ディオンの持つ破滅(ラグナロク)の系譜。それは天界(トロイ)において覇者となる事を許された一族だった。人界(ヨルズ)を一撃で焼くほどの力。


 彼は破滅(ラグナロク)が発揮した力を、昔の者が邪悪(ガルドル)と呼んだだけではないかと考えていたのだ。太古の真実を知ることもなく自身の力を過信していた。驕り高ぶった心が見せていた、都合の良い解釈。


「ルシア」


 抱き寄せていた小さな肩から手をはなし、ディオンは再びルシアの手を引いた。


「おまえにヨルムンドを紹介しておきたい」


「ヨルムンド? 魔獣ですか?」


 ディオンは頷いて見せて、ルシアを地底(ガルズ)の森近くの外庭まで導いた。彼が魔獣の名を呼ぶと、しばらくしてから眼下の広い森の木々を駆け抜けてくる巨体があった。森と丘の高低をものともせず、断崖を駆けのぼって来る。


 長い爪が岩を削りそうな勢いでガリガリとした音を響かせた。やがて魔王の丘(オーズ)にたどり着き、巨体を思わせないしなやかな動きでするりとディオンの傍らに並ぶ。体毛は霧に同化しそうな白さの銀だが、首回りと鼻筋は幾分色が深い。ばさりばさりと振られる大きな尾も深い色合いだった。


 人界(ヨルズ)の狼のような体躯にも見えるが、目が赤く凶悪な形をしている。魚のヒレのような大きな耳も、端に触れると刺さりそうな鋭利さがあった。


 ディオンには見慣れた魔獣の姿だったが、ルシアは凶悪な面相をした巨体を前にして、さすがに体を強張らせている。


「できればルシアにも懐いてほしいが、怖いか?」


「――い、いえ。大丈夫です」


 ルシアは笑ってみせるが、思い切り警戒しているのがわかる。ヨルムンドはディオンに寄り添うように座って大人しくしているが、真っ赤な目がじっと彼女を見下ろしていた。


 魔獣は人の意向を理解し、愛嬌をもってなつく。

 ディオンはその事実をルシアに伝えておきたかった。そしてヨルムンドには、主としてルシアは守るべき者であると刷り込んでおきたい。


「ヨルムンド、彼女はルシアだ」


 ディオンが促すと、ヨルムンドはむくりと巨体を立ち上げてルシアに大きな顔を近づける。ルシアはびくりと肩を上下させたが、逃げ出しそうになる衝動をこらえるのが精一杯だったのか、身をすくませている。


 ヨルムンドは獲物を品定めするような仕草でルシアに黒い鼻先近づけ、すんすんと匂いを確かめていた。触れそうな近さで黒い鼻が何度もルシアを確かめる。長い髭がヨルムンドの呼吸に合わせてヒクヒクと忙しなく動いた。両者の警戒が伝わってきたが、ディオンは深刻に捉えていない。


「覚えたか? ヨルムンド」


 ディオンの呼びかけで魔獣――ヨルムンドの意識がぱっとルシアからそれる。間近に迫っていた鼻先から解放されて、ルシアが全身でほっと息をついた。


 ヨルムンドはディオンに声をかけられると、大きな尾をバサバサと左右に降った。魔獣の表情の読み方が掴めないルシアにも、何かが伝わったのだろう。


 魔獣の印象には馴染まない、ヨルムンドの持つ愛嬌。

 心から他者を慕う姿勢。

 ルシアは凶悪な容貌に幾分か親しみを感じたのか、興味深げにヨルムンドを見つめている。ふさふさの毛並みに触れようと手を伸ばして、思い直したかのように手を引いた。


「あの、ディオン様、触ってはいけないでしょうか? 怒らせてしまいますか」


 魔獣の危うさをルシアは心得ているのだろう。

 ディオンも当初は抱いていたが、今は希薄になりつつあった。


「いや。ヨルムンドはこう見えて悪意のない者には警戒心が薄い。撫でられるのが好きだから、きっと喜ぶ」


「え? 本当に? そうなのですか?」


 ルシアは素直に驚いたようだ。魔獣は動物とは比較にならなほど警戒心が強く、懐かない印象がある。ディオンも瀕死のヨルムンドに触れるときには警戒した。今となっては魔獣へのすぎた恐れは笑い話になりそうなほど滑稽で大げさに感じるが、ルシアの気持ちも理解できる。


 彼女の抱く魔獣への印象を覆すように、ディオンはヨルムンドの顔を撫でて見せた。凶悪な顔に愛嬌が滲む。怒ることも厭うような素振りも見せず、ただ気持ち良さげに顔を寄せてくる。


 ルシアはおとなしく撫でられているヨルムンドに、さらに心が緩んだようだ。

 ディオンの隣まで歩み寄り、そっと呼びかける。


「ヨルムンド。私はルシア。あなたと同じでディオン様を慕っている者です。触ってもいいかしら?」


 ヨルムンドの大きな耳がピクリと反応する。赤い瞳でじっとルシアを見つめ、再びゆっくりと顔を向けた。

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