33:ルシアの危惧
「ですから! 私が知りたいのは、なぜディオン様が堕天されたのか。どうしてその身に邪悪を飼うのかという事です。それに、本当は私の記憶が戻ることを待っておられるのではないのですか? 私が翼を失ったことと何か関係があるのでは?」
勢いに任せて聞いてみても、ディオンは動じることもなく面白そうにほほ笑んでいる。
「堕天したのは最果てのためだ。ヴァンスの力を避けるために古き者の力を借りた。全てその代償だ。この話は信じられないか」
「そういうわけでは……」
クルドとアルヴィにも彼は同じ説明をしている。嘘だとも思えず詮索のしようがないが、ルシアの内には不安がわだかまっている。
「それに何度も言うが、私はルシアが思い出す事に固執していない。今さら過ぎた時間を惜しまなくても、おまえはここにいる」
過去に未練はないという強さが、ディオンにはある。
ルシアは頷いた。彼の傍に居られることは幸運だと受け止めている。
けれど。
「ディオン様、私はーー」
いつのまにか、少しずつルシアの胸にも淀みはじめた憂慮。今はアルヴィとクルドの気持ちが痛いほどわかってしまう。
「私は心配なのです。私だけではありません。アルヴィもクルドも、邪悪を飼うディオン様の身を案じています」
「大丈夫だと何度言ったらわかる?」
どうしてディオンの安否が信じられないのかは、ルシアにもはっきりわからない。天界の輝きを失った姿。魔性を示す容姿が不安を掻き立てるのだろうか。
「邪悪はディオン様の正気を犯すほどの存在です。案じるなと言われても、やはり心配になります」
「たしかにおまえには怖い思いをさせた」
「あれほどの豹変をもたらすものが、安全だとは思えません」
ルシアの切実な訴えを茶化すことはせず、ディオンは困ったように微笑む。長い爪がルシアの髪に触れた。
「邪悪を封じるにはこの方法しかなかった」
「やはり自身を犠牲にしておられるのですね。それは最果てのために?」
ルシアの長い髪の一房を弄んでいた指先がすっと遠ざかる。
「ーーそうだな。邪悪は容易く世界を滅ぼす。地底を滅ぼしたように」
「え?」
「古き者が統治していた地底は美しく華やかな世界だったと聞く。だが邪悪が生まれ全てが失われた」
「地底が……。そんな過去があったのですね。邪悪はそのあとどうなったのです? ずっと地底に留まっていたのですか」
ディオンは答えず、もう一度ルシアの体を引き寄せる。抱きすくめられてしまい、ルシアに彼がどんな顔をしているのか見えない。
「もしかしてディオン様の飼う邪悪は、それと同じ者なのですか?」
ルシアの体にまわされた腕に少し力がこもる。
「――私は古き者に試されているのかもしれない」
「ディオン様が?」
「……案じるな、ルシア。私を信じろ。必ず成し遂げる」
心に刻まれた光景に重なる、自信に溢れた面影。想い出と変わらず、言葉には揺るぎない強さが満ちていた。
「ーーはい」
ルシアには頷く事しかできない。彼の胸に身を寄せたまま、目を閉じると穏やかなディオンの鼓動に包まれた。
彼の目指す道の先に輝く光。ディオンを疑っているわけではない。彼が何かを諦めるとも思えない。けれど、ルシアはどうしても不安を拭えないのだ。これからも変わらず彼の傍に寄ることが許さているのだろうか。
「信じています」
祈るような気持ちで、ルシアは彼の広い背に回した腕に力を込めた。




