30:重なる面影
「ディオン様」
「お前の気配はわかりやすい」
「え?」
「私に会いたくてたまらないと、浮き足立っている」
ルシアはカッと顔が熱くなる。彼が何を根拠に言い当てているのか分からないので、意地をはった。
「ディオン様がすぐに帰ってしまわれるのではないかと思って、気が急いていただけです。昨日もお伝えしましたが、私はあなたにお聞きしたいことがあるのです」
ディオンは小さく笑う。
「いいだろう。そういうことにしておく」
彼がルシアにも椅子に掛けるようにと手招きする。ルシアが近づくと腕を掴まれた。強い力に引き寄せられて、勢いで彼に身を寄せるように長椅子に腰掛けていた。
「おまえが望むなら、私はそばにいる」
「では、これからはずっとこちらにいて下さいますか?」
ディオンの訪れを待つような物思いはしたくない。ルシアが意地を張らずに伝えると、ディオンは驚いたように眉を動かす。すぐに困ったような微笑みが浮かんだ。
「そのまっすぐな物言い。全てを忘れていても変わらないな」
「え?」
「残念だが、私はこちらに身を置くことはできない。それなりに安定してきたが、それでも最果てはまだ未熟だ。放っておくことはできない」
ルシアは目隠しを外されたような気持ちで、ディオンの美しい顔を仰いだ。改めて彼の立場を考える。これまでは信じないことを言い訳にして最果てについてを深く考えたことがなかった。
「本当にこの地底で、人々が生活をしているのですね」
「ああ、最果ての環境は人界に等しい。彼らは逞しく生きている。きっと美しい世界になる」
ルシアは胸が温かくなるのを感じた。
(ーー私はこの世の平和を望む。人界の自由な世を)
記憶に刻まれた言葉が、ディオンと重なる。もう疑いようもない。
「私は覚えています」
ディオンの赤い左眼がルシアを見た。
「ずっと人界の王であったトール陛下の言葉だと思っていましたが、あれはディオン様の言葉だったのですね」
「私の言葉?」
「人界の平和と自由な世を望むと、そう言っている面影がずっと胸に刻まれていました。何も思い出せませんが、それだけは忘れていません。私はその人にとても焦がれていました」
ルシアはディオンに腕を伸ばした。彼の胸に頰を寄せる。伝わってきたぬくもりに安堵した。
「蛇となったノルンの言葉に惑わされ、あなたを信じなかったことをお許しください」
「ルシア」
「今は誰よりもディオン様のことを信じています」
少し身を離して、もう一度ディオンの顔を見た。ルシアはそっと指先で彼の右眼を隠す金細工をなぞった。
「ディオン様に何があったのか教えてください。なぜ墜天したのか、なぜ邪悪を身に飼うことになったのか」
ディオンはルシアの背中に手を回して身体を引き寄せる。強く胸に抱かれて、彼がどんな顔をしているのか見えなくなる。
「簡単には説明できない」
「それでも知りたいのです。教えてください」
ディオンの鼓動が伝わってくる。ひとときの沈黙があった。
「――もう過ぎたことだ。今さらおまえが知る必要もない」
「そんなことは――」
「ルシア。おまえにはこれからのことを見ていて欲しい」
「これから?」
「そうだ」
身体を抱く力を緩めて、ディオンの端正な顔がルシアを覗き込む。眼が合うと再び強い力に引き寄せられた。昨夜のように唇が重なる。ディオンの想いを受け入れることに意識が焼かれ、ルシアはそれ以上彼を問い質す言葉を見失った。




