表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/57

3:逃避行の失敗

 宮殿を含む魔王の敷地は、地底(ガルズ)の中央の丘にあり、魔王の丘(オーズ)と呼ばれている。ノルンはそつなく宮殿内の逃走経路を調べていたのだろう。レイアは自分に与えられていた住処が、宮殿に連なる塔であったことを初めて知った。魔王の丘(オーズ)の敷地は広大で、塔を小さく感じる。曇天が日常であるかのような薄暗い土地で、聳え立つ宮殿も霧に包まれていた。


 魔王の丘(オーズ)の守衛だろうか。時折異形の顔をした者が槍を手に立っている。レイアははじめて見る魔族に悲鳴をあげそうになって、何度も声を呑み込んだ。


「レイア様、大丈夫ですか?」


「――はい」


 レイアは気丈に駆け続ける。辺りに立ち込める霧の深さが、二人の姿を隠してくれていた。つないだノルンの手の温かさだけが、レイアの励みだった。


 やがてノルンは、宮殿の聳える広大な敷地をこえて、見事に魔王の丘(オーズ)の外れまでレイアを導いた。


 霧に包まれた深い森が、眼下に広がっている。気が緩みそうになったレイアの手を、ノルンが強く握りしめた。


「レイア様、地底(ガルズ)の森はさらに危険です。ここは魔獣の生息地なのです。魔獣には、その手にある証をかざしてください。魔獣の目を眩まします。ですが、油断は禁物です」


「わかりました」


 レイアは金の塊ーー天界(トロイ)の証を握る手に力を込めた。天界の王が与えてくれた加護を信じて進むしかない。





 どのくらい進んだのだろうか。木の根に足を取られながらの道のりは、レイアから体力を奪っていく。霧の密度も一定ではなく、じめじめとした空気も疲労感を強めた。


「レイア様!」


 ノルンの悲鳴にハッとした時には遅かった。天界の証をかざそうと振り上げた手から、勢いで証を取り落としてしまう。とびかかってくる影を感じて、レイアは固く目を閉じた。


「止まれ、ヨルムンド」


 切り裂かれる痛みを覚悟していたレイアの耳に、低く穏やかな声が響いた。ざっと身近で動きを止めたのは、魔獣の気配だろうか。


 レイアが恐る恐る顔をあげると、霧に煙る木立からゆっくりと歩み寄ってくる人影が見えた。森の薄暗さに明るさを感じるほど、纏う影が黒い。黒曜石の断面のように、吸い込まれそうな暗黒だった。


 レイアはゾッと心が凍る。

 黒衣を纏った人影は異形ではなかったが、得体の知れない恐れが肌を粟立たせた。


「レイア様に近寄るな!」


 ノルンが聞いたこともない厳しい声で叫ぶ。素早くレイアをかばうように前に立った。


 霧の中から現れた人影が歩みを止める。魔王の丘(オーズ)で見た魔族とは異なり、それは人だった。

 癖のない黒髪は長く、落ちかかる髪が顔を半分隠しているが、恐ろしい気配とは裏腹に、美しい姿をしている。


「どこへ行く?」


 酷薄な声だった。現れた男は、ノルンを見据えて嗤う。


「どこへ行くのかと、聞いている」


 ノルンは答えない。レイアは男の素性に一つの予感を覚える。もし予感が当たっているのならば、ノルンが答えられるはずがない。

 レイアは心を決めて黒衣の男の前に進み出た。頭を垂れて礼を尽くす。


「私は大地(ヨルズ)の民、レイアと申します。地底(ガルズ)を治める王を訪ねて魔王の宮殿(オーズ)を出て参りました」


「ーーレイア? 何の話だ」


 男はレイアを一瞥したあと、再びノルンを見た。


「……どういうことだ。何を企んでいる?」


「誰も天上(トロイ)の王には背けません」


 黒衣の男の顔色が変わった。


「っ、ーー黙れ」


 低い呟きと同時に、レイアの視界に血しぶきが舞った。ゴロリと足元に転がったものをみて、喉が引きつるような声が出る。


「ノ、ノルン!」


 首を落とされた体が、どっとレイアの前で倒れた。咄嗟にその体に取り縋る。

 何が起きたのか分からない。ノルンの体を抱いたまま、レイアもここで命を絶たれるのだという恐れが競りあがってきた。取り乱しそうになる心をおさめて、覚悟を決める。


 はじめから話の通じるような相手ではなかったのだ。

 自分よりも先に逝ってしまったノルンを悼みながら、レイアは滲む視界に黒衣の男を映した。

 覚悟を決めると、苛烈な憎悪が胸に宿る。レイアはぎりっと男を睨んだ。


「ーーっ」


 何かを言いかけた男が、ふらりと姿勢を崩す。まるで発作にでも襲われたように、苦しげに呻きながら、長い髪で隠された右眼を手で抑えている。


 レイアは咄嗟に視界の端に映った黄金の塊――さっき取り落としてしまった天界(トロイ)の証に手を伸ばした。これで男の目を眩ませることも出来るのではないかと、一縷の希望にすがる。


「なぜだ……」


 証を手にした瞬間、背後から男に腕を掴まれる。長く伸びた黒い爪が、レイアの白い肌を傷つけた。細い腕に血が滲む。

 心の凍るような邪悪な気配に囚われ、身が竦んだ。


「なぜ、そんな目で私を見る?」


 強い力で頤を掴まれ、レイアは振り向かされる。至近距離に男の顔が迫っていた。


「ーーおまえが、私を恐れるのか。ルシア」


 垣間見えたのは、美しい顔に刻まれたこの世の邪悪。長い髪に隠されていた恐ろしい右眼が物語る。レイアの脳裏に、耐えがたい恐怖がまき散らされた。


 悲鳴をあげることもできないほどの暗い衝撃。

 レイアは奈落に引き込まれるように、気を失った。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
▶︎▶︎▶︎小説家になろうに登録していない場合でも下記からメッセージやスタンプを送れます。
執筆の励みになるので気軽にご利用ください!
▶︎Waveboxから応援する
― 新着の感想 ―
[良い点] 自分がレイアだという記憶と、容姿を思い出せない伴侶のトール陛下。 その記憶はノルンが語ったことによって作られたものなのでしょうか。 不安定な状況の中で、逃亡時に出会った黒衣の男性が呼ぶ、ル…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ