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魔王と囚われた王妃 ~断末魔の声が、わたしの心を狂わせる~  作者: 長月京子
第六章:重なり焦がれる心

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27:心の行方

 ディオンに導かれて、石造りの宮殿内を彷徨うように歩く。やがて通路を抜けると、広い露台へと繋がっていた。ルシアは露台から臨める光景に思わず感嘆の声を漏らす。


 以前ディオンに教えられたユミルの花園が、遠くの方で色鮮やかに見えた。

 露台から見下ろすと、霧の深い場所とそうではない場所があり、白くかすむ風景が幻想的だった。


「ディオン様は地底(ガルズ)の美しさを良くご存じなのですね」


 素直に「素敵です」と笑うと、ディオンが赤い左瞳でじっとルシアを見つめる。


「随分と自分を取り戻したようだな」


 ルシアは首を横に振る。


「そうでしょうか。私は未だに何も思い出せません」


「思い出したいのか?」


「はい。ディオン様もそれをお望みではないのですか」


「私は望んでいない」


 ルシアは思いも寄らない言葉に思わず目を丸くする。


「どうしてですか? アルヴィやクルドの話に寄ると、私はディオン様の……」


 最後まで言うことが恥ずかしくなり、ルシアの言葉が不自然に途切れる。ディオンの黒い爪が長く伸びた手が、ルシアの髪に触れた。


「おまえはもう、私を恐れていない」


「ーーはい。もう恐れておりません」


 ルシアは一息置いてから、思い切って胸の内を伝えた。


「今でもノルンの事を思うと複雑な気持ちになります。ですが、それでもディオン様のことを信じてみたいと思っています」


 素直に打ち明けると、ディオンが微笑む。何の悪意も含まない左眼が優しく歪んだ。赤い瞳の中で、真っ黒な瞳孔に重なるように自分の影が映っている。


「おまえの心の機微は、私に伝わってくる」


「え?」


「絶望、恐怖、憎悪。そこからの決意。揺れる心。戸惑い。全て手に取るようにわかる」


 そんなはずはないと思ったが、ルシアは自然と頬に熱が宿るのを感じた。自分ですらまだ認めたくない気持ちを、ディオンは見抜いているのかもれない。


「思い出せなくても、おまえは私に焦がれている。違うか?」


「そ、そんなことはわかりません」


 思わず視線を逸らして、露台の端まで出て地底(ガルズ)を見下ろす。鼓動がいたいほど激しく高鳴っている。逃げるようにディオンの傍らから離れたが、すぐに後ろで彼の動く気配を感じた。振り向くことができずにいると、背後からディオンの両腕がルシアを捉える。抱きすくめられて、身動きができない。


 さらりと彼の長い髪が視界の端で流れた。


「予想はしていた。想い出を失ってもおまえは必ずまた私に焦がれるだろうと。蛇の罠には驚いたが、憎悪と恐れを抱かれても、やはり同じだった」


 低く囁く声と共に彼の吐息が触れる。ルシアは自身の鼓動を全身で聞いていた。ディオンにも響いているに違いない。


 憎悪や恐れではなく身体が震える。ディオンに触れられる恥じらいが込み上げて、胸が苦しい。甘い毒が全身を巡るように、心を揺るがせる。その想いが脈打ち、身体中から滲み出して隠すことができない。


「ルシア。おまえは私に心を奪われている」


「は、放してください」


 小さな訴えは聞き入れられず、ディオンはますますルシアの体を引き寄せる。


「ディオン様」


「ーーおまえに触れる手は、こんなに醜くなった」


 振り絞るような声が、ルシアを捉えた。


「後悔はしていないが、私はもう以前のように寄り添うことはできない」


 ディオンの囁くような声に宿っている影。ルシアの胸に刻まれた白金の光景を陰らせるように暗い響きだった。天界(トロイ)の姿を失ったことを悔いているのだろうか。


「それでも、おまえの胸の内には私が在る」


 疑うことのない強さが言葉に満ちていた。ルシアの惑う心に道を教えるように。


「だから、もう何も思い出さなくていい。私は過去を望まない」


「ですが、私はーー知りたいです」


 思い出したい。本当に女神として彼の傍に在ったのなら。もし胸にある光景が今に繋がっているのなら、ここまでの道のりの全てを知りたい。


「もし本当に私があなたの愛した女神であるなら、思い出したいのです。そうすれば、心からディオン様を信じられます」


「思い出さなくても、おまえの心はもう決まっている」


 ルシアの複雑な心の糸をほどいてゆくように、ディオンが告げる。


「私のことを信じている」


「それはーー……」


「おまえが心を向けてくれるなら、私は迷わず進める」


 思い詰めた響きに垣間見えるのは安堵だろうか。過去を失ったルシアには、言葉の意味が分からない。それが、どうしようもなくもどかしい。


「ルシア。私もおまえを信じている。どれほどの試練となっても、私への想いでおまえはきっと成し遂げる」


「ディオン様の語ることが、私にはわかりません」


 自分を抱きすくめていた腕がゆっくりと解かれた。ルシアが振り返ると、彼は自嘲的に微笑んでいるだけだった。


「そう。おまえにはわからない。だが、それで良い。そして覚えておけ。おまえは必ず人界(ヨルズ)を再興させる」


「こんなに非力な私に、いったい何ができると言うのですか?」


「できる。おまえは成し遂げる。創生(アウズンブラ)の女神として」


「わかりません」


「それで良い。理解する必要はない」


「良くありません! 自分のことも分からないような、こんな状態では――」


 ディオンの手が労わるようにルシアの髪に触れる。


「おまえはルシア。私の愛する女神だ」


 長い爪で傷つけることがないように気遣いながら、彼はルシアの頬に手を添わせた。


「……私はおまえが愛しい」


 まっすぐに貫かれる言葉を、ルシアは受け止めることができない。彼の手を払って、思わず視線を逸らした。


「信じられません」


「ーー強情だな」


 ディオンがふっと小さく笑う。


「そんな意地をはっても私には無意味だ。おまえの嘘はたやすく見抜ける」


 ディオンの逞しい腕がルシアを抱き寄せる。


「ーーっ!」


 抗う隙もあたえられず、深く唇が重ねられた。強い力から逃げることも叶わず、ルシアは身を委ねることしかできない。


 驚きはしたが、抗う気持ちは生まれてこなかった。嫌悪はどこにもなく、ディオンに与えられる情熱に胸が締め付けられる。伝わる熱に脳裏が犯されたように、何も考えられない。求められる悦びに埋め尽くされていく。


 呼吸の狭間で、血のように深い彼の瞳を見つめた。


「ーーディオン、様」


「……愛している、ルシア。ーーおまえには、もうわかっているはずだ」


 ほとばしるような激情を隠さず、愛していると低い声が繰り返す。彼の心を肯定しないルシアを責めるように、ディオンがさらに激しく口づけた。


「ーーっ」


 どうしてなのかわからない。彼と睦みあうことが、まるで刻み込まれたように心に馴染んでいる。

 自分の心の筋道を追えないまま、ルシアはディオンを受け入れた。手を伸ばし、乞うように求める。

 どうしようもなく彼に焦がれているのだと、認めるしかなかった。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 神々しい世界感の中で、神々たちが戯れておられる。 なんたる尊さ。 もう過去を思い出す必要はないと言い切るディオン様。 思い出せればあなたをもっと好きになれるのにというルシア様。 う~、眩し…
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