24:寄り添っていた面影
「こちらにおいでだったのですか? アルヴィも!」
クルドが真っすぐに石畳の小道をかけていく。先にいるアルヴィが腕を広げてクルドに抱き着いた。ルシアは突然の再会に戸惑ったが、気持ちを整えながらディオンへと歩み寄る。もう恐れで足が竦むようなことはないが、釈然としない気持ちがさざめいていた。
「ディオン様、お久しぶりです」
「ルシア……」
彼は右眼を隠す金細工の装飾を指でなぞっている。血の色を宿した左眼が、何かを探るようにルシアを見つめた。
「何か不満がありそうだな」
「え?」
今となってはクルドの語るディオンの面影が、ルシアの内でも形作られつつある。はじめのように恐れや憎悪に囚われることはなくなっていたが、ディオンがどのように感じているかは掴めない。何が狂気の引き金になるかも分からないのだ。ルシアは考えをまとめることができないまま、咄嗟に訴えた。
「ディオン様が、私に会いに来て下さらないからです」
口が滑るとはこういうことなのだろう。まるで恋人に放っておかれた女のような、我がままな言い分である。ルシアは失言に頬が染まるのを感じた。それが余計に誤解を生むと判っているのに、熱くなる顔をどうにもできない。真っすぐにディオンの顔を見ることが出来ず、とにかくこのままではいけないと口を開く。
「いえ、あの。……これは不満ではありません。ただ、お会いすることができないと、何が本当の事なのか見極めることができませんので……」
「ーーそうか、なるほど」
気のせいか、ディオンの声が和らいだ気がした。ルシアがゆっくりと顔をあげると、横からアルヴィが勢いよくルシアに飛びついてくる。
「ルシア様! 今日もとってもお綺麗です! 結い上げた髪が素敵ですね!」
満面の笑顔でアルヴィが褒めてくれる。ルシアは素直な感想に顔が綻んだ。
「ありがとう、アルヴィ」
「ね! ディオン様! ルシア様はとってもお綺麗ですよね」
「ああ、そうだな。とても綺麗だ」
アルヴィのおかげで取り戻していたルシアの平常心が、再び戸惑いに傾く。クルドから与えられた過去の印象よりも、はるかに優し気な声だった。ルシアはなぜかディオンの顔を見ることが出来ない。どんな顔をするべきかと考えていると、ふいにそっと手を取られた。
魔性を示す黒く伸びた爪。けれど鋭利な形はルシアを傷つけることもなく、ディオンの掌が温かい。ルシアはゆっくりとディオンに手を引かれ、一歩を踏み出す。
「あちらにユミルの花が咲きはじめた。おまえの髪を飾るのにちょうど良い」
ディオンに導かれて歩むことに何のためらいも感じない。ルシアは彼の横顔を仰ぐ。限りなく黒に近い、長い紫髪が翻る。魔性の色を宿していも美しい横顔だった。右眼の邪悪が幻だったのではないかと思えるほど、落ち着いた気配。
「ユミルの花とは?」
問うと、ディオンがこちらを見る。視線が合うと彼は微笑んだ。
「地底にも美しい花は咲く」
ルシアはきゅっと胸が詰まる。思わずディオンに取られていない方の手で胸を押さえた。
(どうしてーー)
ディオンへの印象が、まるで変化している。
邪悪の影響が抑え込まれているだけでは言い尽くせない。
久しぶりに見た彼の振る舞いは、クルドやアルヴィが語ってくれた想い出に馴染む。穏やかで強く、美しい面影。
白金の輝きを失っているが、ルシアの抱く面影に等しく、癖のない長い髪が同じように閃く。
切り取られたかのような断片的な記憶の中でも、傍らで長い髪が翻るのを感じながら寄り添っていた。今と同じようにーー。
(もしかして、彼は本当に……)
心に刻まれた面影を辿る。けれど、それがディオンであるのかはわからない。どうしても思い出せない。
「見ろ、ルシア。ユミルの花園だ」
ディオンが手を放す。覆い茂った緑を踏み越えると視界が開けた。霧に沈まない鮮やかな色が視界を埋め尽くす。熟れた果実のような甘い芳香が鼻をついた。心が一気に目の前の光景に奪われる。
「なんて、綺麗……」
「ルシア様、私がご案内しようと思っていた場所もここです。満開ですね!」
「ええ、クルド。とても綺麗。それに良い香りがします」
ルシアが感激している間に摘んだのか、アルヴィが両腕に花を抱えて駆け寄ってきた。
「これでルシア様の髪を飾りましょう」
アルヴィに促されてルシアは身を屈めた。彼が背後でルシアの髪に花を差し込んでいる気配がする。クルドも弟の抱える花に手を伸ばして、同じようにルシアの髪を飾り始める。
「ディオン様もお願いします!」
抱えていた花をディオンに差し出して、アルヴィが促している。少し離れた位置で様子を見守っていた背の高い気配が動く。草を踏みしめる音と共に、ディオンがすぐ傍まで近づいた。
アルヴィの差し出す花を手に取って、ディオンが身を屈めた。右側を金細工で飾った顔が厳かに見える。美しい左眼が自分に向けられていると思うと、ルシアは体が強張るのを感じた。恐れでもなく憎悪でもない、触れられることを恥じらうような緊張だった。
なぜそんな心持ちがするのか、ルシアには自分の心がわからない。戸惑いが最高潮に達する。
寄り添うように近づいた気配を、まともに見ることも出来ない。思わず視線を伏せた。
やがてルシアのこめかみの辺りにすっと何かが触れる。ディオンが髪に花を挿したようだった。




