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魔王と囚われた王妃 ~断末魔の声が、わたしの心を狂わせる~  作者: 長月京子
第五章:古き者の影

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21:古き者の声

 朝露を思わせるような湿った空気の中で、ルシアはたたずんでいた。人の気配が絶えたかのような無人の庭。風もなく、しんと静謐な世界。


 霧にかすんだ魔王の宮殿(オーズ)の外庭だった。はじめは恐れと嫌悪ばかりだった地底(ガルズ)での光景を、今は美しいとさへ感じていた。清々しいとは言えない曇り空を見慣れてしまったのだろうか。


 晴天を望むことは出来ないが、しっとりと霧に包まれた敷地内には植物が生い茂って、石柱に絡みつき、名も知らない花が咲いている。


 無作為に茂る植物で気が付かなかったが、外庭には石造りの小さな建物や、両側を柱に飾られた小道などもあった。どれもが植物に覆われ、荒れた庭園にも見えるが、近づいてみると足場は悪くない。風化して苔むした古城のような、もの悲しく美しい趣を宿している。


 ルシアはすうっと深く呼吸をしてから、ゆっくりと歩き出した。

 見るだけで胸の痛む大蛇の石像。

 彼女は独りきりでノルンの墓標を訪れていた。


 磨き抜かれたかのように冴え冴えとした様子で、石像は地中から身を躍らせ天を目指すように立っていた。近づいてそっと手を置く。

 何の温もりもなく、ひやりと冷たい。


「あれはーー?」


 前にクルドに案内された時には気づかなかったが、石像から少し離れた片隅に石板が置かれている。目にも鮮やかな花が一輪だけ飾られていた。ルシアが歩み寄って石板を見ると、ノルンの名が刻まれている。名の下には「解き放たれた魂に安息を」とあった。


 ノルンの死を悼んでいるのはルシアだけではないという、クルドの言葉を思い出す。

 この一輪の花は、きっとクルドが手向けたのだろう。


 以前訪れた時には、彼女のそんな感傷には気づかなかった。ノルンの汚名を語る残酷さよりも、ひたすらディオンの正義を伝えたかったのだろうか。


「違う、魔王が正義だなんてありえない」


 ルシアは真っ向から否定する。魔王の虚構に揺れる心を安定させるために、ノルンの墓標を訪れたのだ。彼女を失った絶望は色あせないのだと、確かめたかった。


「ノルン。私はあなたを殺めた魔王を許さない」


 身を屈めて石板の名をなぞる。鮮やかな一輪の花が、ルシアの想いとは裏腹に心を揺らすのを感じた。


「だけど、何が本当のことなのでしょうか。あなたがいれば、教えてもらえるのに……」


 弱音を吐くと、答えるように空気が震えるのを感じた。


ーーその問いに、答えようか?


「え?」


ーー我が真実を語ろうか?


 聞き逃しそうな声。辺りに人影はない。まるで直接心に響いてくるように伝わる言葉。ルシアは辺りへ視線を投げた。


ーーほぅ。この声が届くか、美しき女神。


「だ、誰ですか?」


ーー案ずるな、我はここにはない。


 ルシアは固唾をのんで警戒する。立ち上がって周辺の気配を確かめながら、万が一の逃げ道を模索していた。石像の傍らに蜃気楼のような心もとない影が揺れている。少しずつ明瞭になるが、目を凝らしてみても、霧の儚さに溶け込むように姿が透けていた。


「ーーっ!」


 思わず悲鳴を吞み込む。

 実体ではないと理解できても、見た目の恐ろしさは払拭できない。以前に見た異形の兵に似ているが、圧倒的な迫力が漲っていた。

 人というよりは獣のような形相で、側頭部には両側から円を描くようにねじれた角が生えている。


ーー視えるのか。


「あ、……あなたは何者ですか?」


ーー我は古き者(ブーリン)。ここは我が守る丘。


古き者(ブーリン)。……あなたが……?」


 俄かには信じられない。早鐘のように打つ動悸を感じながら、ルシアは何とか落ち着こうと両手で胸を押さえた。


「ルシア様!」


 現実に引き戻すような激しさでクルドの声が響いた。彼女はまっすぐにルシアの前まで走って来る。


「お一人で出歩かないでください! 探し回りましたよ!」 


 古き者(ブーリン)の影がそこにあるのに、クルドは気に留めている様子もない。まるで見えていないようだった。古き者(ブーリン)の異形の顔が歪んだ。嗤ったのか、苦痛を感じたのか、どのような感情を形作った表情だったのかが、ルシアにはわからない。


ーー邪魔がはいったようだ。


 脳裏に低く声が響いた。

 ただでさえ霧に紛れそうな影が、すうっと失われる。後には何事もなかったかのように、変わらず石像が聳えているだけだった。


「ルシア様? どうかされたのですか?」


「あ、な、何でもありません」


 動揺を堪えて、ルシアは視界に入った鮮やかな花を指さした。


「あの花は、クルドが手向けた花でしょうか」


 咄嗟に話を逸らす。なぜか古き者(ブーリン)のことを悟られてはいけない気がした。ルシア自身も今の出来事を信じられないでいる。幻覚、あるいは迷う心が見せた白昼夢だろうか。本当にあったことなのかどうかも怪しい。心の整理が追い付いていなかった。


「以前訪れた時は、あの石板に気付きませんでした」


「あれはルシア様やアルヴィの気持ちを汲んで、ディオン様が作ったものです。以前こちらにご案内した時は、まだありませんでした」


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