19:揺れる心
ルシアが塔へ戻ると、当たり前のようにクルドの弟であるアルヴィがついてきた。姉弟でありながら長く顔を合わせていなかったのなら、きっと寂しい思いをしていただろう。ルシアは何の屈託もなく、アルヴィを受け入れる。
クルドも綺麗な少女だが、アルヴィに比べると幼いだけではない大人びた雰囲気がある。一方のアルヴィは少年らしい無邪気さが漂っていた。
トールに良く似ているというアルヴィ。クルドや自分の頭髪がもつ緩やかな癖よりも、さらに細かい癖を持つ黄味の強い金髪。豪奢な雰囲気を醸し出す華やかさがあった。
けれど、ルシアが拠り所としている面影とは違っている。自分がトールだと思い込んでいた記憶は、別人なのだろうか。こみ上げる愛しさは、癖のない白金髪の面影に連なっている。
心に残された真実だけに縋ると決めたのに、頼りにしていた記憶に突然投げ入れられた衝撃。何も見失わないと決意し、ようやく穏やかさを取り戻した心に再び激しい波紋が広がった。
信じていたことを、見失いそうになっている。
(でも、この二人が陛下の御子であるという証拠はない)
ルシアは何度もそう言い聞かせた。
自分を魔王の描く筋書に引き入れようとする策略なのだと考えたかったが、考えるほどそれがこじつけであることがわかる。
胸に抱く大切な面影。誰にも打ち明けたことはない。誰も知らない。ノルンにもクルドにも話したことはなかった。
(もし、この面影がトール陛下ではなかったら……)
自分は違う誰かを想っていたことになる。当たり前のように寄り添って笑い、焦がれるような気持ちで傍に在った。
(陛下ではなければ、誰がーー)
考えると、恐ろしい絵が浮かび上がりそうになる。ルシアはそれだけはあり得ないのだと懸命に否定するが、湧水が滲むように胸の内にわだかまっていく思いがあった。
クルドやディオンの語る絵空事が、事実であったら。
胸に刻まれた面影が、絶対にディオンではないと言い切れなくなっている。
(まさか。……ノルンを切り捨てた魔王を愛していたなんて、絶対にあり得ない)
強く手を組み合わせて憶測を振り払おうと努めていると、身近に気配がした。
「ルシア様。やはり顔色が優れませんね。お休みになりますか?」
「あ、いいえ。大丈夫です」
囚われていた心を室内に戻すと、クルドがそっと杯に酌んだ水を差し出してくる。
「ありがとうございます」
受け取って一口含むと、クルドの背後からアルヴィが伺うようにこちらを見ている。不安げに顔を曇らせて、ルシアを見つめていた。
「僕は、何か失礼なことをしたでしょうか?」
幼い少年の見当違いの危惧に、ルシアは思わず笑顔を繕った。
「いいえ。私がただディオン様にお会いして、気を張りつめていただけです」
笑顔を向けると、アルヴィがパッと表情を取り戻した。わかりやすい心の変化に、ルシアは自然と顔がほころぶ。
「良かった。僕が何か失礼なことをしたのかと思いました」
「そんなことはありません」
魔王の宮殿には調度が揃っている。アルヴィは活発な様子で近くの椅子に飛び乗るように掛けて、ルシアに笑顔を向けた。
「やっぱりルシア様はお綺麗だなぁ」
「アルヴィ! お行儀が悪いです!」
クルドの叱責が響くが、アルヴィは気に留める様子もなくルシアを見つめてにこにこしている。幼く無邪気で、抱きしめたくなるような愛らしい気性だった。
年端もいかない彼の様子に偽りがあるとは思えない。アルヴィを見ていると、ルシアはますます胸の内が揺れる。
そんな弟を前にして、クルドもいつもより口うるさくなっているが、二人のやりとりはとても自然な光景に映った。
ルシアは居たたまれない思いがする。とにかく前向きに彼らと会話をしてみようと気持ちを奮い立たせた。
「私は、本当にあなたのお母様とは別人ですか」
アルヴィはきょとんとした後、再び笑顔になる。
「もちろんです。母様も美しい人だったけど、でもルシア様みたいに若くありません。父様やディオン様が、昔は母様とルシア様は見た目は瓜二つだと仰っていましたが、僕が知っている母様とルシア様は全然違います」
「え?」
心に亀裂が走るように、ルシアは狼狽える。クルドが続けた。
「母は人界に降嫁したので、私やアルヴィが生まれる頃はもう女神ではありませんでした。ルシア様は人となった母様を憂いておられましたが、父様と母様のことは祝福して下さっていました。私達のことも、とても可愛がって下さってーー」
ルシアは愕然となった。言われてみれば、クルドにレイアが母であると言われた時、なぜ何の疑問も持たなかったのだろう。人界の王妃ーー人とし子を産めば、クルドと自分の年の差は明らかにおかしい。
けれど、ルシアにはその考えが欠落していた。
若く美しいことに何の疑問も持たない。




