14:表と裏
「どうして、ディオン様の右眼がこんなことに」
「いったい、いつから?」
二人の疑問に、ルシアは眉を寄せた。刷り込まれた筋書きはどこまで描かれているのだろう。
「昔は違ったということですか?」
「もちろんです。ディオン様は元は天界の神です。邪悪を飼うなんてあり得ません」
「ですが、彼はその身に邪悪を飼っています」
その場に沈黙が満ちる。ルシアはようやく二人にも筋書きの綻びが見えたのかと思ったが、アルヴィは綺麗な顔を険しくさせている。何かを考えているようだった。
「もしかして、邪悪が最果ての主だったんじゃ……」
弟の呟きにクルドがすぐに反応した。
「たしかにお姿が変化されたのも、右眼を傷めたと仰っていたのも、最果てを見つけた頃だったわ」
「考えてみれば、あんなに穏やかな場所がそのまま地底にあったとは思えない。クルド。ディオン様が古き者と果たした契約は、もしかすると……」
ルシアにはわからない事情を、二人は神妙な面持ちで語り合っている。
「ルシア……?」
かすれた呟きが聞こえて、ルシアははっとディオンを見た。ルシアが身じろぐと、目覚めたディオンも現状に思い至ったのか弾かれたように身を起こす。
ぎゃあと魔鳥が鳴いた。
「ムギン」
魔鳥は仲間がディオンに受けた仕打ちを忘れたかのように、彼に頭をこすりつけている。
「助かった、ありがとう。おまえの仲間には悪いことをした」
ルシアは耳を疑う。穏やかな声。矛盾にすら感じる魔王の振る舞い。
「ディオン様!」
ルシアが何かを語る前に、アルヴィの声が響いた。
「その右眼はいったいどうされたのですか? いったい、いつからそのようなことに?」
ディオンの指先が、右眼を覆う金の装飾に触れた。
「ーー見たのか」
「はい」
「大したことではない。今日の事は忘れろ」
有無を言わせない様子で言い置いてディオンが立ち上がった。ルシアを見下ろすと、自嘲的な微笑みが宿る。
「すまなかった。だが、わかっただろう? この魔王の丘にいる限り安全は保証する。だから、私に会いたいとは望まないことだな。美しい顔に傷をつけたことは詫びるが、その程度の怪我ですんで良かったと思っている。おまえならすぐに癒やせるだろう」
ルシアはなんと答えれば良いのかわからない。殺されるかもしれないとまで思った凶行のあとに、それを詫びる穏やかな様子。まるで金貨の表と裏のように、別人だった。いったいどういうことなのか。
その身に邪悪を飼う魔王。
彼の描く筋道が、ルシアにはまるで分からない。ただ一つの憶測だけが胸に生まれる。
考えがまとまらず呆然とするルシアの隣で、クルドが訴える。
「いったい何があったのですか? ディオン様の身に何が起きているのですか?」
「何も起きていない」
「そんなわけありません!」
「クルド。悪いが後のことは頼んだ。ここに長居は無用だ。私は戻る」
「ディオン様!」
クルドが叫ぶが、ディオンは振り向くこともせず立ち去ろうとする。ルシアは立ち上がると、思わず彼の腕を掴んでいた。
「お待ちください!」
「ルシア。やめろ。また繰り返すつもりか」
「いいえ。ただ、あなたにお聞きしたいことがあります」
ルシアはじっとディオンの左眼を見る。自分の内に予感があるからだろうか。今は苛立ちや憤りを感じない。ただ、知りたいことがあるのだ。
ディオンの手が右眼を隠す装飾に触れる。ルシアの顔を眺めていたが、やがてほっと嘆息をついた。
「ーーなんだ?」
「ディオン様の望まれることを教えてください」
「私がおまえに望むことは何もない」
さっき投げつけられた言葉と同じだったが、ルシアは諦めない。
「では私にあなたのことを教えてください」
言い募ると、ディオンは困ったように笑った。
「おまえは私の全てを知っている。だが今は思い出せない。それだけだ。レイアを悼みたいのなら、私は否定しない。心が癒えるまで、ここで安穏と過ごすがいい」
何かに憤る様子もなく、ディオンは淡々と答える。さっきまでの凶悪さはどこにもない。
「あなたが私にひどい仕打ちをなさるのは、その身に飼う邪悪のせいではありませんか?」
芽生えた予感を彼にぶつける。ディオンに表と裏があるのなら、振る舞いに邪悪が関わっているのであれば、ルシアは希望を見いだせる。
ルシアの問いは傍らのクルドとアルヴィにも意味を伴っていたのだろう。二人の視線がディオンに向けられているのを感じた。
アルヴィがルシアの傍らに並ぶ。
「そうなのですか? ディオン様」
魔王はアルヴィの声に答えず、もう一度ルシアの顔を見た。
「ーーもうしそうであったなら、何かが変わるのか」
「え?」
「邪悪のせいであれば、私を恐れずにいられるのか」
「それは……」
答えられないルシアに、ディオンが浅く笑った。重ねて穏やかな声が告げる。
「今のおまえは、決して私を許さない」
たしかにノルンの関わる成り行きは変えられない。どれほど酌量の余地があったとしても、許せることではなかった。
ディオンが再び右眼の装飾に手を当てている。
「ーー疼く……」
「え?」
「ルシア。おまえの中に恐れと憎悪がある限り、私がここを訪れることはない」
ディオンが痛みを堪えるように顔を歪めた。
「それがお互いのためだ」




