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不毛のヴィジョンが舞台に立ち上がる

 戻ってきた私と同時にステージへ現れたのは、制服姿の陽花里と、きっちり稽古着に着替えた舞台監督だった。

 五十鈴は、部長よりも先に声をかけた。


「ちょうどよかった、舞監ブカンちょっと」

「ブカン?」


 シェイクスピアが聞き返す。

 私も、聞いただけでは分からない。

 部長は、私……というかシェイクスピアには目も合わせずに即答した。


「舞台監督の略」


 部内恋愛禁止っていう五十鈴の言葉を気にしてるとしたら、何だか嬉しい。

 でも、実際に見ているのはシェイクスピアが使っている私の身体だ。

 ところで、その舞台監督については、なかなか名前を思い出せない。


「2年の相模さがみけんです」


 いつになくムスッとして、背の高い舞台監督はステージに座り込んだ。

 その様子には構うこともなく、五十鈴が尋ねる。


「で、舞監に確認したいんだけど」

「まだ俺、ブカンなんですか」


 憎たらしい皮肉を言う相模に、部長の並木さんは言い切った。


「上演を中止したわけじゃない」


 はいはい、と横柄に返事する態度に、苛立った顔の五十鈴は、努めて落ち着いた声で問いかけた。


「装置のプラン、どうなってる?」

「どうなってた、の間違いでしょ」


 相模の言うことも、もっともだった。

 部室が使えない以上、舞台装置も外に出せない。これから作るものは、収納できない。

 それでも、その手には舞台監督用のノートがある。それを開くと、相模はいささか早口で読み上げた。


「上手奥から下手中にかけての平台」

「エルシノア城のシーンね」


 五十鈴が確かめると、この『ハムレット』の舞台監督は口惜しそうに頷いた。


「先王の幽霊が、ここ通って上奥かみおくから下中しもなかへ消える予定だったんじゃないですか」

「まあ、こっちが言い出したことだから……」


 五十鈴の言葉が途切れる。

 別に私は共感してやるつもりはないけど、頷く沙には、装置が使えなくなった悔しさがよく分かるようだった。

 その気持ちを口にすることなく、相模は五十鈴への説明を続けた。


「その向こうに、森とか城壁の遠見とおみを作るはずだったんです」

「ノルウェー王フォーティンブラスの行進ね……これがないとオチがつかないのよ」


 それは、シェイクスピアにも分かっていたらしい。

 何といっても、作者自身なのだから。

 ハムレットとレイアーティーズの決闘の後で累々たる屍の山を見届ける、先王の好敵手フォーティンブラスの登場シーンだ。

 その効果を、五十鈴は部員全員を見渡して説明した。


ホリゾント(背景幕)の前に、遠くに見えるものを作っておくの。そうすればそこは壮大な平原になるわ」


 相模は立ち上がって、ステージを歩き回りながら舞台装置に関する最後の説明を始める。


「上手前から舞台中央にかけては、箱馬で平台を上げておきます」

「クローディアスと妃のガートルードがここに座るわけね」


 五十鈴がそう言っても、どちらもここにはまだ来ていない。

 代わりにやってきたのは、ジャージ姿の陽花里だった。


「え~、なにこれ。これだけ? キャストは?」

「待ってあげようよ」


 並木さんが苦笑すると、陽花里はいつものようにほんわかと笑った。


「そうね、じゃあ、照明プラン聞いてくれる?」


 でも、その声には、どこか生き生きと張りつめたものがあった。 

 相模も、いきなりその場を仕切りはじめる。


「じゃあ、まず、エルシノア城のシーンから」


 五十鈴も、それに乗っかる。


「寒い寒い月明かりの夜。城壁の上に、先王の幽霊が現れます」


 絶妙の間で、陽花里がやはりステージ上を歩き回りながら、照明プランを諳んじた。


ホリ(背景幕)はアッパー#78(ナナハチ)、ロー#52(ゴーニー)を通しで。青地に上手ナマのブチガイ、下手から♯72(ナナニー)FSフロントサイドスポット中央(センター)CL(シーリング)ナマ」


 その効果を、五十鈴が説明する。


「上演中の背景は、寒々とした青と青緑に染められているわけね。舞台全体が青い照明で照らされていて、上手から下手へ白色光が当てられる。下手からは青色系の光が舞台の外から斜めに当たって、天井からキャストの顔を照らす白色光が舞台中央にだけ来る」


 相模は更に、シーンごとの照明の確認を続ける。


「クローディアスの居城の中」


 五十鈴がすかさず、そのシーンの様子を答える。


「ハムレットが発狂したふりを始めます。昼間に、窓からの光が差しています」


 五十鈴の説明に応えるかのように、陽花里がその場を照明用語で描写する。


「地明かりナマ80%、上手FSナマ、下手FSアンバー、CLナマ全体」


 光の加減を、五十鈴が解釈してみせた。


「すこし暗めにした白色光の中、夕暮れ近い光が斜めに射しこんでくるわけね」

 

 更に次のシーンを、相模が指示する。


「海賊との戦闘」


 まるでそれ自体がひとつの劇であるかのように、五十鈴が言葉を継ぐ。


「空の曇った海。波布なみぬのが遠見を隠します」

「水平線に見立てようにも、部室の中だぞ」

 

 相模が皮肉っぽく言うのは、その布のことらしい。

 陽花里は陽花里で、いっそう流暢にまくしたてる。


「地明かりナマ80%、CL青、下手ブチガイ#64(ロクヨン)、上手FS#22(ニーニー)

「冷たい海の上を、雲を裂いて差し込む朝の太陽の光が照らす」


 五十鈴のイメージに触発されたのか、ノートを読み上げる相模も調子よく間を取り始めた。


「夜中の墓掘り」

「しゃれこうべを見て生と死について考えるハムレットの前に、オフィーリアの亡骸を葬るレイアーティーズが現れます」


 五十鈴の描く舞台のイメージを、陽花里の照明プランが舞台上に立ち上がる。


「青地に上手ナマブチガイ、下前しもまえサス、ナマで上奥かみおくに、下手から#88(パーパー)のコロガシ」

「舞台の左右でバランスの著しく崩れた世界で、上手の墓掘りの前に現れたハムレットが、下手から高貴な紫色の光を背負って現れたレイアーティーズと対峙する」


 五十鈴が語るライバル同士の激突をイメージしてか、相模の声も熱を帯びてきた。


「決闘!」

「城の大広間!」


 五十鈴の言葉を受けて、陽花里が締めの照明を描写する。


「地明かりに上手FS#22、下手FSアンバー、上手ナマ下手#64ブチガイに観客へ目つぶし!」


 なんとなく、その光景が私にも見えてきた。

 それを五十鈴が言葉にしてくれる。


「不吉さを醸し出す光の中での対決の末に築かれた屍の山。その中に現れたフォーティンブラスが全てを見届けて去るとき、号砲と共に全てが眩しい光の中へ消える」

 

 夢の終わりを迎えて、それまで黙って聞いていた沙が、私の声でうっとりとため息をついた。

 陽花里がその顔をじっと覗き込む。


「意味、分かった?」

「おとといの説明のおかげで」


 私の返事を聞いて、五十鈴は内心、舌を巻いたようだった。

 だって、シェイクスピアだし。

 だが、それに心を奪われるほど、男子は情緒豊かではないらしい。

 まず、現実とのギャップに逆上したのは、相模だった。


「これ全部ナシでやれっていうんかい!」


 並木さんもおそらく同じ気持ちだろうけど、そこは部長だ。

 舞台監督をなだめにかかる。


「そもそもこんなプラン組むからだよ」


 確かにその通りだ。

 でも、あまりフォローにはなっていない。

 かえって、火に油を注いでしまった。


「シェイクスピアだよ、ハムレットだよ?」


 相当な思い入れがあったらしい。

 でも、並木さんも冷静に現実を指し示した。


「仕込み時間、20分しかないだろ。装置と音響と照明に、プロでも2時間はかかるんだよ」


 それを規定の時間でやってみせるという意地は、相模にもあるようだった。


「プランぐらい、立ててありましたよ」


 対する並木さんはというと、やはり部長として言い切るしかない。


「組み直そう」


 その提案に、相模はステージの天井を仰いだ。


「そもそも装置なしってのが無理です」


 並木さんは陽花里に向き直る。


「照明があるよね」


 哀しげな笑いが返ってきた。


「装置が前提です」


 裏方の顔を代わりばんこに見ながら、演劇部の部長・並木慎吾は力説した。 


「それをやんないと」


 でも、心の折れた舞台監督、相模賢はステージの上にひっくり返った。


「できません」


 灯体をこよなく愛する照明担当、篠原陽花里はぺたりと座り込んだが、微笑みを絶やすことがない。


「することが、なくなりました」


 五十鈴の見る限り、イメージと現実との落差に壊れたのだろうと思われた。

 でも、部長は哀願する。


「陽花里がいないと、舞台真っ暗でしょうが!」


 その一言で、説得はムダだという気がした。

 感情でものを言っているときの女子に理屈を言うのは、逆効果だ。

 案の定、陽花里はやんわりと断った。


「調光室に座ってるだけなんて嫌です」


 でも、その眼の前に、私はぺたりと座り込んだ。

 沙が、陽花里の顔をじっと見据える。

 横になったままの相模と、立っている並木さんは顔を背けた。

 その事情に、五十鈴は察しがついたらしい。アリーナの男子を意識しながら、小声で注意を促す。


「沙ちゃん、スカート、スカートの裾!」   


 私は大声で怒鳴りたかった。


 ……だからそのカッコやめろって言ってんだろ、オッサン!

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