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女子の正義とカンフーアクション

 演劇部に倉庫兼部室としてあてがわれている、使用されなくなった20畳ほどの古い給食棟。

 そのドアを開けた五十鈴が見たのは、数日前に入部した私の姿だった。

 おきないさご、1年生。

 足元には、脱ぎ捨てられたブレザーとブラウス。

 制服のスカートを残して、上半身はブラ1枚。

 その周りを取り囲んでいるのは、パンツ一丁の男子部員たちである。

 だから、やめてって言ったのに……。

 自分の身体を自由にできない私の声は、届かなかったのだった。


 ところで、何か考える前に身体が動いたのは、五十鈴だけじゃなかった。

「何しとんじゃあおのれら!」

 異口同音に叫んでドアの中に飛び込むなり、五十鈴を追い抜いて、すさまじいフットワークで男子たちに襲いかかった美少女がいる。

 オフィーリア役の2年生、更井さらい美浪みなみだ。

 入部して以来、役柄の幅の広さは校内外で高く評価されている。

 

 地区大会『サロメ』(オスカー・ワイルド)にて

 サロメ…天衣無縫のサイコパス王女。

     「お父様、ヨカナーンの首を頂戴!」

 県総合文化祭『オイディプス』(ソフォクレス)にて

 イオカステ…悲劇の王の母にして妻。

     「夢の中で母と枕を交わした男は……」

 予餞会

 『シラノ・ド・ベルジュラック』(エドモン・ロスタン)にて

 ロクサーヌ…芸術オタクの高飛車ブラコン少女。

      「好きなら、もっと素敵な言葉で告白して!」


 今年の新歓公演などは『三文オペラ』(ベルトルト・ブレヒト)で、究極のチョイ役「白馬の使者」を演じている。

 極悪人を裁判まで追い詰めた町衆の努力を水泡に帰する、「王様のお触れにて無罪!」の一言で観客を唖然とさせるのは、並大抵の技ではできない。 


 床に転がったのは、何かというと下ネタの制裁を受けている、クローディアス役の比嘉ひが信二しんじとポローニアス役の苗木なえき竜輝りゅうき、共に2年生だ。

 ちなみにこの技、基礎練習で身に付けた太極拳らしい。

 二十四式太極拳第六式、「倒輦猴とうれんこう」。 左右の腕を広げて、続けざまに薙ぎ倒す技だ。

 女子たちは、この中国拳法を自由自在に操って、男子に制裁を加えていく。


「女の敵ども」

 そうつぶやいて、第三式「白鶴亮翅はっかくりょうし」で相手の身体を反転させながら臍に掌打を入れたのは、ハムレットの親友ホレイショー役の佐伯さえき幸恵ゆきえ、3年生だ。

 感情の起伏は乏しいが、舞台に立てば主人公を際立たせる名脇役となる。今回の大会で引退となるが、やはり下級生を立てるスタンスに変わりはない。

 一声呻いてがっくりと膝をついたのは、やはりハムレットの友人であるマーセラスを演じる須藤すどう信一しんいち、2年生だった。


 別の声が囁く。

「ダメよ、おイタは」

 優しくたしなめながら相手の両耳を両拳で潰す第十四式「双風貫耳そうふうかんじ」を放ったのは、照明担当の篠原しのはら陽花里ひかり、2年生だ。

 物腰や物言いはおっとりとしているが、機材の扱いには厳しい。


 可愛らしく叫ぶ者もいる。

「えいっ!」

 可愛らしい声で、自分より背の高い舞台監督男子の鳩尾に掌打を決めるのは、音響効果担当の柚木ゆずき奈々ななえ、これも2年生だった。男子とて我が身をかばうのは無理もないが、小柄な体でその手を弾き上げ、この「玉女穿梭ぎょくじょせんさ」を打ち込むのはなかなかできることではない。

 見かけの幼さの割に、音響機材に関しては妙に詳しい。


 そして、最後は2年生の五十鈴だ。

 第一式「野馬分鬃やばふんそう」で部長の3年生、慎吾の腕を捉えるや、もう一方の腕で胸を抑え、その手で顎を引っ掴む。達人がここで発勁はっけいを入れれば、肩甲骨が外れて肋骨が砕け、首の骨が折れるところだ。

 

 ……以上の技は、冗談でも決して真似してはいけないらしい。技がまるのを見て、その危険さはよく分かった。


「痛い痛い痛い!」

 悲鳴を上げた並木を解放してやるなり、五十鈴は半裸の沙に駆け寄る。

「大丈夫? 何もされてない?」

 呆然としている沙を盾にするように、並木は弁解した。

「待て待て待て誤解だ!」

「ちょっとごめんね沙」

 五十鈴は素肌が剥き出しになった肩を押しのけると、逃げようとする慎吾の腕を抱えるように絡め取る。

「往生際が……」

 寄せた波が返す勢いで、腕をぐいと引き寄せる。

「悪いって……」

 横たえた腕をポンと押し出したが、並木は倒れまいと踏ん張る。だが、五十鈴の連続攻撃は止まない。

「……いうのよ!」

 胸の前で円を描いた両手が、親指を揃えて叩きつけられる。全体重を一点に集中した掌打「双按そうあん」が、男ひとりの身体を倉庫の壁まで吹き飛ばす。

 これが、二十四式太極拳第七式・第八式「攬雀尾 《らんじゃくび》」である。


 ……常人には絶対に不可能ではあるが、やはり危険なので真似をしてはいけない。五十鈴の激怒をしてはじめて、可能な技である。


 それはそれとして、柔道部の払い下げらしいビニール敷の畳の上に、演劇部の部長、並木慎吾3年生は地蔵倒れに倒れ伏した。

「部長!」

「慎吾!」

「並木!」

 男子たちが壁際にばらばらと駆け寄る一方で、女子たちはブラの胸元を隠そうともしない私を囲んで、部室の中央に陣取った。

 五十鈴が低い声で、なおも問いただす。

「で、この格好のいさごを半裸の男どもが取り囲んで、どう言い訳する気?」

「待てよ、俺たちがそんなことする男に見えるか?」

 ステレオで泣き叫んだのはクローディアスとポローニアス……比嘉と苗木だ。

「見える」

 間髪入れずに言い切った美浪に、まだ意識のある男子は残らず震えあがった。恐怖のあまり口も利けないのを見かねたのか、被害者であるはずの私はが口を開く。

「ごめん……私が自分で着替えたんです、一緒に」

 他の1年生たちは、その様子を呆然と見ているしかない。

 そこへ、どやどやと暑苦しい男たちが部室の中に雪崩れ込んできた。

「何だ、凄い音がしたぞ」

「倉庫揺れてたけど」

「あれ? 並木じゃん」

 サッカー部だのラグビー部だの陸上部だのが口々に勝手なことを喚き散らす。だが、その目はやがて、男としてやむを得ない反応を示した。

「見るな」

 佐伯幸恵の囁きひとつで、いかつい男たちは私の素肌から目をそらす。その様子を微笑を浮かべて眺めていた陽花里は、柔らかく促した。

「出てってくれるかな、着替えたいんだけど」

 催眠術にでもかかったかのように、男どもが踵を返して部室を出ていく。奈々枝は伸びあがって手を振った。

「ばいば~い、また明日ね~!」

「じゃあ、僕らもこれで……」

 男子部員たちは、いつの間にかジャージに着替え終わっていた。むりやり服を着せられたらしい乱れ髪の部長を、両脇から担いでいる。何事もなかったかのように出ていこうとするのを、美浪が一喝する。

「まだ話は終わってねえんだよ、アタシらの!」

 男子部員たちは部長を床に横たえると、肩をすくめて正座する。女子5人の怒りの波動を、4人で分け合って浴びようとしているかのようであった。

 だが、その涙ぐましいまでの友情は、ひとりの男を眠りから覚ました。

「じゃあ、聞いてくれるよな……長い話じゃないけど」

 

 早い話が、男たちにとっては事故、もしくは災難だった。

 先に部室に来て着替えようとしているところで、おきないさごがズカズカ入ってきたのだから。

 私は本人として、やめてと叫んだのだった。 

 でも、この身体を使っているオジサンには聞こえない。

 500年前にユーラシア大陸の向こう側で死んだことになっている、ウィリアム・シェイクスピアには。

 むしろ、49歳になるこのオジサン、裸の男たちに倣うように、ブレザーとブラウスをさっさと脱ぎ捨てたのだ。

 最初は呆然としていた男たちのうち、まず我に返ったのは部長の並木慎吾だった。

 ブラのホックを外そうとするのを止めようとして、思わず手を差し出した。女子が見たら誤解されない状況を止めようとして、他の男子も駆け寄った。

 そのときドアが開いて、女子たちが頭に血を上らせたというわけだ。


「本当?」

 私に尋ねながらも、五十鈴は男たちから目を背けている。

「本当」

 シェイクスピアは事もなげに答えた。これで、全ては一件落着するはずだった。

 でも、五十鈴をはじめとする女子たちが納得しきれないでいるのも当然のことだ。

 そこに、新たな事態が忍び寄っていた。

「何をしていた」

 バイオリンのように粘りつく声が尋ねる。だが、その姿は影となって、よくは見えない。部室全体に緊張が走った。

「いえ、何も」

 部長が愛想笑いをすると、その声の主は薄暗がりの中に溶けて消えていく。部員たちの安堵の息が、そのまま見送りの言葉となった。

 だが、部長は沈痛な面持ちでつぶやく。

「まずい……」

 私が怪訝そうに首を傾げるのを、五十鈴は困ったように見ていた。

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