表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/28

ここに残るか? 雲を霞と消え去るか?

 私はステージの下から顔を出す。


「ヘタクソ」

 

 シェイクスピアとしては、そう言わないではいられなかったのだろう。

 まさか、男子バスケ部だの女子バレー部だのが凄まじい勢いで飛んだり跳ねたりしている体育館のアリーナを突っ切るとは思わなかった。

 キレのいいターンやブレーキで道が空けられ、体育館は静まり返る。

 しばしの沈黙の後に、その場を仕切っていたらしい女子の叱咤が飛んだ。


「ハムレット、芝居止めない!」


 その一方で、落ち着いて声をかける男子がいた。


「いや、演出、稽古止めて」


 劇に疎い私でも、舞台の稽古を仕切るのが「演出」だということぐらいは知っている。

 それを任されているらしい女子は、豊かな胸を反らして口を尖らせた。


「だって部長、芝居止めたのハムレット……」

「これは稽古じゃなくて、部活としてのトラブルだ」

「ナミキ君……」


 どこか悲しげに演出がつぶやいた名前を聞いて思い出したのは、入学直後に配られた部活動の紹介パンフレットだった。

 確か、部長は並木とかいったはずだ。

 バスケ部とバレー部は、私たちのやりとりを固唾を呑んで見守っているらしい。


 ……常識わきまえてよ、オジサン。


 その隙に、私はステージの端に、足をかけて這い上がろうとしていた。


「ああ、ちょっと!」

 

 そう叫んだのは、私じゃなくて部長だった。

 もっとも、叫びたかったのは確かだ。

 

 ……やめろオッサン見えるスカートの中が!


 でも、そっちに気付いたのは部長じゃなかったらしい。

 舞台下手袖で身悶えして悔しがる男子たちジャージの襟首が、ふたつまとめて掴まれた。

 さっきの、クローディアス役とポローニアス役を、さっきまでパイプ椅子に座って読書のパントマイムをしていた、『ピンクのジャージを着た楚々たる美少女が引きずっていく。

 部長が全体に告げた。


「10分ね」


 部員たちは何事もなかったように、舞台の上手下手にわざわざ並んで、その奥にあるらしい階段からぞろぞろと下りていく。

 緊張が解けないのは、まだ怒りが冷めないオフィーリアと、両手でそれぞれ襟首を掴まれたままのポローニアスにクローディアスだった。

 そこへ、女子バレー部と男子バスケ部の部長がそれぞれ駆け寄ってきた。

 いいも悪いも、迷惑をかけたのは演劇部のほうだ。

 部長は、「男は土下座」とばかりに、並木はステージに正座すると床に額を擦りつけた。


「どうぞ、そちらの練習を」


 どうやら、迷惑かけてナンボというところが、演劇部にはあるらしい。

 そこで私の足が、再び舞台の端にかかる。

 

 ……だからやめろって言ってんだろオッサン!


 ダメだ。

 そこらへんが分からないのは、元がオジサンだから仕方がない。


 1564年、イングランド王国のストラットフォード・アポン・エイボンに生まれる。1582年、18歳で結婚。因みに相手は26歳で、既に妊娠していた。

 1592年には俳優業の傍ら脚本も手掛け、「成り上がりのカラス」の異名を取る。1596年にはグローブ座を劇場とする宮廷劇団経営にも携わり、1603年には国王が宮廷劇団のパトロンとなっている。

 1613年没。腐ったニシンに当たったとか当たらないとか、その辺りは定かでない……この時代では。

 そして現在、本人にもどういうわけだか分からないが、その姿はこの3日間、女子高校生である。

 

 そこまでは、シェイクスピア爺さん自身が調べた自分のことをも含めて、私も知っている。

 でも、500年前のイングランドで、しかもベッドに横たわっているしかない私にはもう、どうすることもできない。早く戻ってきてもらわないと、私は代わりに死んでしまうことになるかもしれないのだった。

 どうやら、ハムレットの言う通り、世界の蝶番ちょうつがいはどこか外れているらしい。

 でも、今、ここで問題になっているのはそこじゃなかった。


 見えちゃう……もうおしまい!

 部長さん、這いつくばったまんまだし。


 そう思ったとき、ぺったりと伏せた顔を強引に横へそらして、部長が礼儀正しく尋ねてきた。


「何か、ご迷惑でしたか?」


 ようやく足を下ろしたシェイクスピアは、むしろ、部長の態度は合格点だと言わんばかりに満足げな顔で頷く。


「迷惑なんじゃなくて、不満なの」

 

 部長は曖昧な笑みを浮かべて、丁寧な言葉で問いかける。


「では、具体的に教えてください。どんな点ですか?」


 そこへ、部員たちが戻ってくる。

 いないのは、クローディアスとポローニアスとオフィーリアだけだった。

 何が起こっているかは、体育館の外から聞こえてくるオフィーリアの声で分かる。


「男同士ならちょいエロだか何だかで通るかも知れねえけどな、女から見りゃそういうのはセクハラっつーんだよセクハラ!」


 舞台中央に陣取っているのは、長い髪を飾り縄のように編んだ演出が、私の目の前にいる部長を嫌味たっぷりに呼んだ。


「休憩終わっていいですか~?」


 部長は、ちらっと眼で尋ねてきた。私……というかシェイクスピアは知らん顔をした。

 座長なら自分で決めろ、といったところか。

 私の返事がなかったからだろう、部長は再び役者たちを呼び集めた。

 ハムレットを演じる役者に、演出が稽古をつける。 


「憂鬱な人ってさ、もっと力いっぱい歩くのよ」


 そのひと言が、シェイクスピアには引っかかったらしい。


「ハムレットは、もっと熱い男よ」


 特に、演出は台本を手にしたまま、編み髪を振り子のように揺らして詰め寄ってくる。


「何でよ?」


 部長がイスズ、と呼び止めた。

 そういえば、台本の表には「菅野かんの五十鈴いすずと書かれいる。

 だが、演出は名指しされても応じようとしない。

 私は口元を歪めて笑った。そうしたのはシェイクスピアだけど、私が私であってもそうしただろう。

 質問に、質問で答えてやる。


「ハムレット、何しようとしてる?」


 馬鹿にするなとでもいうかのような突慳貪さで、答えが返ってきた。


「復讐に決まってるじゃない、父親の」

「復讐って、憂鬱なこと?」


 しばらくの沈黙があって、演出がようやく口を開いた。


「稽古、続けていいかな?」

「答えが聞きたいんだけど」


 そう言っておいて、私は「演者から見た舞台の右手(ステージ・ライト)」つまり「シモテ」へ向かって歩きだした。

 もう立ち位置についていたオフィーリアとクローディアスとポローニアスが、私の背中を順に見送る。

 だが、議論は終わっていなかった。


「何であんたにそんなこと言われなくちゃいけないの?」


 後ろから、演出の震える声が聞こえた。

 シェイクスピアは私の口で嘲る。


「Do you try ()to encourage( 他にある)the samefault(己の)as oneself(咎を)who is in the others(むち打つか)?」


 500年ほど前……シェイクスピア本人にしてみれば数十年前に覚えのある、自らの言葉で嘲る。

 英語での微かなつぶやきなら、聞こえないだろうと私も思った。

 ところが、演出には全部理解できていたらしい。


「いい度胸じゃない!」


 つかつかつかっと歩み寄る。その勢いに、椅子の上のオフィーリアはさっきの威勢良さはどこへやら、身をすくめて立ち上がることさえできない。悪役クローディアスとポローニアスに至っては、さっさと舞台脇の階段を下りて逃げ出してしまっている。

 ウィリアム・シェイクスピア自身はどうだったかというと。


「ええと……」


 口ごもったのを見ると、女同士のケンカを書くのはともかく、自分でさばくのは苦手らしい。

 編み髪の娘の平手打ちが飛んでくるかと思ったが、それはなかった。


「やめませんか? そういうの」


静かな言い方だったけど、それは確かに部長の一喝だった。

 でも、演出の菅野かんの五十鈴いすずは、並木部長に振り向きもしない。

 見知らぬ少女に振り上げるところだった手を、何事もなかったかのように差し出してくる。


「よろしかったら、やってみません? ハムレット」


 顔は笑ってるけど、明らかな挑戦だ。

 

「稽古再開します」

 

 有無を言わさず言い切ると、私に向き直った。

 演出にケチをつけた忌々しい女に、礼儀正しく自分の台本を差し出す。


「ごめんなさい、私の書き込みばっかりなんですけど……」

「いえ、お構いなく」


 私も、五十鈴と同じくらい丁寧な言葉で応じていた。そこはシェイクスピア、見事な芝居だ。

 五十鈴はといえば、いかにも感動したという顔をしてみせる。


「あ、もしかして、セリフ全部入ってるとか?」


 シェイクスピアが、悠々と答えてみせた。


「入ってます」


 五十鈴の頬がひくひくと痙攣した。それを察したのか、部長がまあまあとなだめる。

 

「上演時間が60分以内なので、かなり意訳してあるんです、原典から」


 私の手が突き出される。


「見せてくださいな」


 無言で渡されたのは、私には理解できない専門的なことが、何やらびっしりと書き込まれた台本だった。

 分かるのは、せいぜい役者への悪態ぐらいだ。

 シェイクスピアはというと、そこらへんに興味はないらしい。


「誰の仕事ですか? この意訳」


 何気ない聞き方だったけど、五十鈴は無言で手を挙げた。

 なるほど、こいつか……。

 シェイクスピアも、無言で上手袖に付いた。

 面白くなってきた

 五十鈴は全員の立ち位置を元に戻すと、全員に告げた。


「では、ハムレット入場から!」 


 ぱん、と手が叩く。

 制服姿のハムレットが台本を読み上げながら、一歩一歩を確かめるように歩きだした。

 シェイクスピア自身の演技だ。


《ここに残るか? 雲を霞と消え去るか? それが問題だ》

《どちらがより気高い? 運命の石つぶてに耐えるか、困難と闘って死ぬか》

《死ねば楽になるって? さて、その後にはどんな悪夢の国が待っていることか》

《人生の辛さに耐えもしよう。死ねば帰ってきた者などいないあの国があるのだ》

《ああ、我々は臆病者、考えることは立派でも、その決意はいつだって口ばかり》

《しっ……待て、オフィーリアだ》


 ハムレットを呆然と眺めていたオフィーリアは、目が合うとたちまち居住まいを正した。


《ごきげんよう、ハムレット様》


「はい!」


 演出の五十鈴が手を叩いて首を傾げた。

 その顔には、隠しても隠しきれない勝利の笑みがある。


「やっぱり、よくわかんないんですけど。その芝居」

「何が?」


 負けじとばかりに、シェイクスピアも私の顔で冷ややかに笑ってくれた。

 それを無視して、五十鈴はオフィーリアに親指を立ててみせる。


「OK!」

「サンキュー」


 パイプ椅子の上で足を高く組むオフィーリアは、お芝居をしているときとは全く人が違う。

 でも、シェイクスピアが私の顔でげんなりしたのは、そのせいじゃない。

 五十鈴はというと、上機嫌にしゃべりつづける。


「確かにハムレットはアレだったけど、アレならああなるよね、オフィーリアは」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ