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無冠の帝王

 シェイクスピアの思うところに従って、私がやってきたのはここだった。


「先生、予め申し上げたいことがあって参りました」


 連れてきた先輩ふたりはハメられたようなものだが、これも、私の言葉じゃない。

 ほんの数日で日本の敬語を身に付けた、シェイクスピアが言ったことだ。


「私たち、何もない空間で、芝居を作ります」 


 言葉は丁寧だが、いきなり本題に入ると挑発的に聞こえる。

 返事は早かった。


「それでやれるんなら、スタッフなしでやったらいいだろう」


 誰もいない職員室で、椅子にもたれた顧問の先生は背中を向けたまま、不愛想に言い放った。

 まだ何か言おうとする私を、すっかり諦めたような顔をした並木さんは片手を挙げて押しとどめた。

 代わりに、顧問の先生を説得しようとする。


「部室を閉められたのは、仕方ないです。先生の方針なんですから。でも……」


 並木さんの言葉が止まる。

 その先のことは、五十鈴の領分だった。演出プランで顧問の心を動かすのは、考えた本人でないとできない。


「光と音の他には何もない空間で、全てを表現するんです。舞台装置担当の出番はないです。でも……」


 なにもかも分かっているはずの、五十鈴の言葉も詰まった。

 そこで、分かった。

 ふたりとも、感情が膨れ上がり過ぎて、言葉にならないのだ。

 それでも、顧問の心が動く様子はない。

 生きてきた時間が何十年も違うと、人は分かり合えないものなんだろうか。


「ひとり足りないんじゃないか? レイアーティーズが」


 さらに、痛いところを突いてきた。

 だから、最後に残った私が何を言おうと、顧問の協力は得られない。

 たとえ、私がシェイクスピアでも。

 そう覚悟したときだった。

 私の口が、静かに開いた。


「信じてます、本当は何もかも分かってるって」


 シェイクスピアは、そう言うなり、職員室を出ていく。顧問が振り向いた様子もない。

 並木さんの声が聞こえた。


「あの……僕たち……」

「暗くなった。前に帰れ」


 顧問の一言に、五十鈴は並木さんの腕を引いて職員室を出てきた。これ以上、何を言っても無駄ということなのだろう。

 職員室の前で待っている私の名を、五十鈴が声を低めて呼んだ。


「オキナ……」


 そこには、明かな非難の響きがあった。

 並木はその肩を捉えて五十鈴を押しとどめたる

 でも、私の声で応えるシェイクスピアには、動じた様子もなかった。


「ああ言われた男がすることは、洋の東西を問わないものよ」


 そして、次の日。

 ステージ使用を禁じた顧問からの通告で、稽古は無期限の休みに入った。


 五十鈴は、豊かな胸をそらして私を見下ろす。


「で? 沙の狙いはコレだったわけね?」


 もちろん、稽古さえもできなくなったことを責めているのだ。

 私がやったことじゃないけど。

 でも、この事態を招いた張本人は平然としている。


「まあ、このくらいは起こるかなと」


 県立陵高校演劇部御一同様が立ち尽くしているのは、街中に真っすぐ建っている四角い学校の前だった。

 私立シーボルト学園高校。

 五十鈴は不機嫌にぼやく。


「よその部活なんか、見学してる場合じゃないんだけど」


 顧問はステージでの稽古を禁じたが、部活動までは停止していなかったわけだ。

 それでも、みんなは芝居作りが進められないのが不満そうだった。

 温厚な、部長の並木さんまでもが苛立っているが、怒りのポイントはちょっと違う。

 部員たちの中に、私が入部してから見たことのない顔が混じっていたのだ。


「こんなことになるまで何やってた? レイアーティーズ役の笠置かさぎまことくん」

「受験勉強」


 さらりと答えた3年生は、小柄だけど、これまた顔だちの整った美少年だった。

 部長の並木さんが二枚目半のおどけた熱血ヒーローなら、笠置は知的でクールな脇役といったところだ。

 その思いを抑える並木さんは、努めて柔らかい言葉でたしなめる。


「結局、今年は部活動紹介で、1年女子の黄色い歓声を浴びてただけだろ?」


 それで思い出した。入部前には見ていたのだ。 

 もっとも、男子目当てに部活に入るほど、私は落ちぶれてはいないつもりだったけど。

 でも、入部した今でも、こういうのは願い下げだった。

 それは、シェイクスピアも同じらしい。他の部員たちの間に、そそくさと姿を隠す。

 ところが、この笠置、わざわざ私の前にやってくるのだった。


「僕が来ないうちに、こんなところへ見学に来る羽目になっていたとは」


 その一言で感情に火が付いたのは、妹のオフィーリアを演じる更井美浪だ。


「最後の1週間しか来たことのないお前がそれを言うか、アア?」


 いつも小突かれているクローディアス役の比嘉とポローニアス役の苗木が、まあまあと間に入ってなだめた。

 並木さんも、皮肉な事実を大真面目な態度で告げた。


「仕方ないよ。笠置だけだろ、あの乱闘騒ぎにかかわってないの」

「部長、それ嫌味に聞こえるんですけど」

 私の前で、露骨に不貞腐れてみせる。


 別に興味はないけど、美少年が台無しだ。

 そのしかめっ面から目をそらして、ホレイショー役の佐伯幸恵がぼそりとつぶやいた。


「聞こえるんじゃなくて、嫌味そのものなんだな」


 違う違う、と並木さんはそれを慌てて打ち消す。

 笠置はそれを無視して、面白くもなさそうに文句を垂れる。


「ここ、通信制でしょ?」


 それが聞こえるているのか聞こえていないのか、髪を色とりどりに染めた私服姿の生徒が、県立陵高校のブレザーを珍しそうに眺めてはすれ違っていく。 

 しかし、五十鈴は力強く言い切った。


「でも、演劇部はあります」

「見学するほどの実力があるかって言ってるの」


 笠置は通信制の生徒たちを値踏みするかのような目つきで、辺りの生徒たちを見渡す。


「大会には出ていないだけで、あっちこっちで対外公演はやっているそうです」


 五十鈴の言うことに、笠置は冷たくツッコむ。


「見てはいないわけだろ?」


 そう言うなり、シーボルト学園高校の門をくぐる。

 やがて、それぞれ1列に並んだ陵高校とシーボルト学園高校双方の演劇部は、だだっ広い「多目的ホール」で一礼を交わしていた。


「宜しくお願いします」


 その一言で、招かれた陵高校は並べられた折り畳み椅子に整然と座り、招いたシーボルト学園高校の開演準備を見守る。

 真っ先に不満を口にしたのは笠置だった。


「顧問が絶対に来いっていうから塾休んできたんだけど、何これ」


 照明機材らしい灯体が、全くない。なんとかボーダーライトはステージ上に吊ってあるが、サスペンションライトもパーライトも、FSフロントサイドスポットもない。ホリゾントに至ってはアッパーはおろかローホリもない。

 だが、後ろに座った並木さんは、険しい顔で言った。


「それ以上言うなよ、人間として」


 するとシェイクスピアも、私の声で笠置と同じくらい冷たく言った。


「顧問から私への返事です、これは」


 そこで笠置は、私に今、気づいたという顔で振り向く。


「これが最近入って来たっていう?」

「はじめまして、おきないさごです」


 私にしては畏まった挨拶をするシェイクスピアだったが、笠置の訝しげな目つきは一瞬で緩んだ。


「あ、これは、どうも……」


 その愛想笑いを、シェイクスピアは意味深なひと言で一蹴する。


「男の約束ってやつですね、顧問の」


 ここにいる誰にも分かりはしないことだが、確かに、その通りだ。

 そこへ上演開始のブザーが鳴って、笠置も居住まいを正してステージへ向き直った。


 上演されたのは、『イソップ物語』のオムニバスだった。

 まず、「北風と太陽」より。

 

  北風:お前さ、俺より強いと思う?

  太陽:お前は?

  北風:あ、質問を質問で返す?

  太陽:分かんないかなあ?

  北風:やる気あんのか?

  太陽:だからないんだって。

  北風:じゃあ、あの旅人のコート、どっちが先に脱がすか勝負しようぜ。

  太陽:小学生男子かお前は。


 力の抜けた会話の果てに、旅人がひとり現れる。

 「ごお~」と風の擬音を口で発しながら、北風が全力を挙げて威嚇する。

 だが、旅人は、コートの襟を立て、裾を寄せるばかりで動きもしない。北風はやがて、疲れ果てて床に転がった。

 代わって太陽が、旅人のそばに立つ。その日差しにふと気づいたのであろう、旅人は、重そうなコートを無言で脱いだ。

 ゆっくりと歩み去る旅人を、そこに立つ太陽と、倒れ伏した北風が見送る。

 そこではじめて、春の微かな日差しを歌うBGMが流れた。


 陵高校の部員たちの間に、奇妙な沈黙が生まれた。

 真っ先に口を開いたのはもちろん笠置だったが、その口調はどこか固い。


「何? これ……いや、何が面白いの? SEとか照明とか使わなくていいの?」


 その問いに答える者は、誰もいない。

 ただ、シェイクスピアだけは私の声を震わせて、同じつぶやきを漏らした。


「何……これ?」

 

 続いては、「オオカミ少年」。

 台詞と言える台詞は、ほとんどなかった。

 ただ、舞台上の群集が、「オオカミが来たぞ!」の声に逃げ惑うばかりだ。

 だが、舞台の上に取り残された少年の周りには、さっき逃げた群衆が唸り声と共に現れる。

 少年は叫んだ。「オオカミが来たぞ!」

 その瞬間、唸る群集は一斉に少年の上に覆いかぶさる。それがひとり、ふたりと無言で去った後には、もう誰も残っていなかった。

 

 そこで静まり返っていたのは、舞台の上だけではない。

 客席の陵高校演劇部も、静まり返っていた。笠置でさえも、発する言葉がないようだった。

 そこへ、シーボルト学園高校の部員が舞台上に整列して一礼する。


「ありがとうございました!」


 私の姿をしたシェイクスピアが、立ち上がって手を叩く。五十鈴が弾かれたように立ち上がり、それに続いた並木も我に返ったように拍手した。

 やがて、雪解けの野原から草の芽が顔を出すように部員たちが立ち上がる。もたもたしていた笠置も、ヤケクソのように頭上で手を打ち合わせた。


 基礎練習や様々な即興ゲームなどの合同ワークショップを終えて、陵高校は帰途についた。5月の連休前とはいえ、道はもう薄暗くなっていた。

 笠置が、鼻で笑う。


「確かに、あれじゃ大会、出られないよな」


 だが、それに応える部員はやはり、誰もいなかった。揃いも揃って、家と家とに挟まれた狭い道を見下ろしている。

 そこで突然、紺色の空を仰いで、五十鈴が声を身体の底から絞り出した。


「負けた……!」


 私の身体も大きく伸びをする。

 シェイクスピアは五十鈴を真似るように声を上げた。


「負けたね」


 私たち、女子ふたりに挟まれた並木も、苦笑いする。


「うん、負けた」


 そこで笠置が食ってかかる。


「何が? 何がいいの、あんなの? 衣装も照明も効果もあんなんでいいんだったら、大会のためにやって来たことは何だったわけ?」


 そこへ、舞台監督の相模が口を挟んだ。


「部活来てないから分かんないんだよ……本物そっくりでなくていいって」 


 ふてくされたように、笠置はぼそりと一言だけ返した。


「装置作るヤツがそういうこと言うかな」


 帰り際に、シーボルト学園高校演劇部の部長はこう挨拶していたのだった。


「僕たちは通信制だから、スクーリングかなんかで月に1回くらいしか集まれません。もっと集まれるんだったら、通信制にはいないでしょう。だから、その1回に、ひとつひとつの台詞に全力を注ぎます。とても大会に出られるような上演はできないけど、そうやって舞台に立てるだけで充分です」


 笠置は面白くもなさそうな顔で聞いていたが、並木はこう答えた。


「あの空間、すごいです。あの空気、あの呼吸、あの間。このときしかないと思うから、あのリアリティがあるんだと思います」


 五十鈴が、そこへ割り込んだ。


「ほとんど何もしゃべっていなくても、あの存在感……鳥肌立ちました」


 シェイクスピアは、私の口でこう言った。


「どれだけ言葉を尽くしても通じないとき、まじりっけも毒気もないダンマリのほうが、相手を動かすことがあるものです」


 そこでシーボルト学園高校演劇部の部長から返ってきたのは、この一言だった。


「シェイクスピア『冬物語』ですね……最高の褒め言葉です」


 そう言われたのに、私は通信制高校を見下していた笠置と同レベルの過ちを犯していた。

 たぶんどこかで聞いていたはずなのに、部長の名前をすっかり忘れていたのだ。

 

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