第五話:幕開けを告げる言葉
支度といえども特に準備する物もなかったミコトは元から所持していた焔だけを手に持ち、ベルとリリーとの別れの挨拶を済ませてからバスティールに言われた通り車へと向かった。庭と一本道の境らへんに止められたその車は全身黒塗りで所々に出ている光沢が高級感を漂わせていた。
「これに乗れんのか?カッケー!」
黒塗りの車体を見て男なら誰もが分かるであろう好奇心がミコトを刺激する。
「・・・やっと来たな、ではもう行くぞ。」
バスティールが客間を出て行ってからミコトが車に着くまで余り時間は経っていないのだが、彼の中にある時間間隔で言えばそれだけの時間が経っていたのだろう。
屋敷に車体の左側を見せるようにして止められた車の前に立つバスティールは、左手で開けるよりも動作が大きくなってしまう右手で助手席ドアを開けた。その動きに不自然さを感じたミコトがバスティールの体を一見すると暗めのコートの裾部分に在る筈の物が無いことに気付づく。
「オッサン、腕ないのか?」
片腕を無くした人物と対峙すれば即時的に気付く者もいるかも知れない、だがミコトの目にはそれほど留まらなかった。
「これのことか?敢えて言わないでいたのだと思ったが・・・昔いろいろあってな。私がまだ新人の頃に持っていかれた。」
ドアを開け車に乗り込もうとしていたバスティールは動きを止めると、かつて右腕が存在していた場所を左手で優しくさすった。その姿を見てさすがのミコトも思慮深く―――。
「へー、腕とれる時って痛いのか?」
―――とはならなかった。無神経にも程があるがミコトは無神経という言葉自体を知らないのかもしれない。
「ずかずかと他人の心に踏み入って来るな君は。・・・腕が引き千切れたんだ、激痛に決まっている。・・・そんなことよりも早く乗れ。」
「・・・乗れっていわれてもな。」
ミコトがまじまじと車を見る姿が目に映ったバスティールは、このご時世にそんなことがあるのだろうかなどと思いながら疑問を呈する。
「車を見るのは初めてか?」
「リリーが昔乗ってるの見たことあるけど、なんつーかもっとボロかった。」
「なるほど、あの車か。しかし新旧違えど開け方は一緒だ、私と同じようにドアノブを引けば開く。」
リリーの車というのは庭の片隅にポツンと設置された車庫に入れられてある良い意味で古臭さの残る薄黄色をした車の事である、とは言ってもミコトがその車の良さをボロボロだと毒づくのも頷ける。リリーの車は古めかしさを売りにしているような車だが、それはリリーの祖父ジジ・シャーロットの代から長年シャーロット家が所有する車なので老朽化が進んでいるからだ。良く言えば物持ちが長く、悪く言えば買い替えるべきなのだろう。
バスティールが助手席に身を屈めて乗り込んだ後、ミコトも同じようにして後部座席に乗り込んだ。車という機械的でロマンに溢れた物を目にした事はあるが、乗ったのはこれが初めてだったミコトは目をキラキラと輝かせて車内の至る所を見回した。
「仕立て屋NEKOZEの店主に連絡しておいてくれ。」
「先刻、一報入れておきました。」
前席に座りシートベルトを締めたバスティールと既に車へ身を乗せていたセブンは、ミコトが車に丁度乗り込んだとき何かしらの言葉を交わしていた。
「おい、これ何て言うんだ?あ、こっちも!前の方が面白そうなモンいっぱいあんな、席交換してくれよ。」
前席の中央、運転席と助手席の間にあるマニュアルのギアやハンドルの奥に有るメーターなどを見て興奮したミコトは前席の背もたれを掴んで前の席へと体を乗り出す。
「黙ってそこにあるシートベルトを締めろ!遠足ではないんだ、いいから戻れ‼」
「なっ、ちょっとぐらい触らせてくれたっていいじゃなか!」
体を乗り出してくるミコトの頭を、バスティールは右手を使い後部座席へと押し込める。これから発進しようとしていた矢先、ミコトがそれを邪魔したようなものなので酷く立腹した様子だ。
「ケチだな、んで今からどこ行くんだ?」
不貞腐れながら後部座席へと座ったミコトは、ベルに言われるまで気が付かなかったこれからの行き先についてバスティールに尋ねた。
「今から三都市・・・三都市というのは知っているか?」
気を利かせたバスティールがミコトの知識量が如何程なのかを把握しようとする。余談だが三都市というのはイーロム湖を囲むようにして造られた、科学技術が最も進んだ三つの都市のことである。
「三都市?どっかで聞いたことあったっけかな、よくわかんないや。」
「まずはそこからか、ずっとこの屋敷で暮らしていれば無理もないだろう。」
ミコトがシートベルトを締めたのをルームミラーで確認したセブンは、ギアを慣れた手つきでシフトチェンジし目的地を目指して車を発進させた。
ドライブ中の時間を有効活用してバスティールは何も知らないミコトに、最低限よりかは少し多めの情報を流し込む。
「終戦宣言から、今年で九十七年が経つ。」
「戦争?そんなのあったのか?」
「・・・最初はほんの些細な事件から始まったと聞いている。元より一部の人間から迫害を受けていた獣人族は武器を手にし、怒りに身を任せて人間撲滅を掲げていたそうだ。そうなれば当然、彼らが粛清対象とみなされ当時存在した統一軍が本格的に動き出すことも明白だった。獣人族と人間は互いに衝突し合い、それがいつしか異種族間戦争と呼ばれるまでになってしまったのだ。」
ミコトはそこまで聞いて、自分の頭の中にある辞書に載っていない言葉を真剣に書き込もうとしたがバスティールの話しがまだ続きそうだと感じたので諦めた。
「多くの戦死者を出したその戦争は約二年も続いた。だがある日、突然現れた一人の青年によって・・・」
「長官・・・ご説明中すいません、彼寝てます。」
車を運転中のセブンがミコトの異変に気付きバスティールの説明を中断させた。
バスティールはセブンの報告を受けて身をよじり振り返ると、右後部座席にて車の振動で気持ち良さそうに体を揺らしながら眠るミコトが見えた。今までもそうだが自分が話している最中に眠られることなど一生ないと憶測していたバスティールは数秒間呆れた顔でミコトの顔を見ていたが矢庭に前を向いた。
「まさか会話途中に寝られるとはな。」
横でそれを聞いていたセブンは今しがた終わったバスティールの話しは会話ではなく一方的な説明になっていたと思いなしたが、そんなことを自分の上司に言う気も無くハンドルを握ったまま走行を続けた。
セブンの運転する車はミコトが夢の中に潜ってから数十分後、三都市と呼ばれる三つある首都の一つであるキャピテルに入り、渋滞にもはまらず順調に進んでいた。彼らの目的地は、今まさに走行している道路から真っ直ぐ先にあるキャピテルの中央に聳え立っている。
「君は彼が適任であると思うか?「私には測りかねますので、計画の事についてはあなたの判断に任せます。」
バスティールはミコトが寝ている事を良いことに他言厳禁の話しをセブンに持ちかけるも、セブンは当たり前に素っ気なく対応した。
起きる様子が微塵も感じられないミコトを乗せた車は、そのまま何事もなく一直線に伸びる道路をひたすら走り目的地へとようやく着いた。
「起きろ!着いたぞ!」
バスティールの怒鳴り声でいつもの事ながら不快そうにミコトが起きる。
「誰だよアンタ、もうちょい寝かせろ。」
寝ぼけているミコトがまた眠りに落ちてしまいそうになるが、バスティールがそれを許さない。彼にも迅速にやらなければならない事が山積みなのだろう、こんなことで時間を割くのは極力避けたいはずだ。
「いいから起きろ、次起きなければ殴り飛ばしてでも叩き起こすぞ!」
そこまで言われてようやく起きる気になったミコトは焔を左手で握っている事を確認し、永遠に乗っていたいと思わせるほど乗り心地の良い車から体を出した。
車から出たし途端、目に飛び込んできた景色に見覚えのなかったミコトは寝起きで充分に回らない思考を奮い立たせ自分が眠る前になにをしていたのかを大童に想起する。
「ここどこだ?確かあそこで車に乗って・・・・・・目的地か?ここ。」
記憶の中を巡っている途中でミコトは自分が何をしていたかを思い出した。
「ようこそNIA本部へ。」
バスティールはNIA本部に背を向けて、ミコトの新しい扉の幕開けを告げた。