第三話:別れと出逢い
―――事件より二日後の朝。
悪人面をした男ゴザを倒した後、気を失ったミコトはベルにシャーロット邸まで運ばれた。左脇腹に深めの刺し傷を負い、それに加えて浅いながらも右腕に切り傷を受けていた彼は自室のベットでぐっすりと眠り、目覚めたときは丸一日が過ぎていた。
「出てったってどういうことだよ!」
まだ朝早いというのにミコトはベットの上に寝ながら、感情のままにリリーの言ったことを問いただしていた。
「言葉通りだの意味だ、ゼンザイは一昨日のあの夜に此処を出て行った。けじめを着けてくる、そう言い残してな。」
部屋の壁に寄りかかっているリリーは、ミコトに聞かれた事を自分が知っている範囲で話した。
「何だよそれ。」
ゼンザイの言ったやるべき事というのはリリーには分からない。もちろんベットの隣に置かれた椅子に座り、それまで二人のやり取りを黙って聞いていたベルも例外ではない。
「君達の素性を詳しく聞く気はない。ゼンザイが何処に行き何をしようがシャーロット領の家族というのに代わりはないからな。」
知っている限りの事をリリーが話し終える。その部屋が静寂に包まれるとそれまで口を閉じて座っていたベルが静寂を破った。
「あ、あの、別れってとても悲しいことだけど、一生会えなくなるわけじゃないと思うから・・・」
ベルが傷心中のミコトに元気を取り戻してもらおうと必死にフォローするも上手く伝えることが出来ない。別れもあれば再開もあるということを言いたいのだろう。
俯いたままのミコトを憂慮の眼差しで見つめるベルは内心不安でもあった。ベルが屋敷を訪れたた時には既にミコトとゼンザイが屋敷に住んでいたので、彼女はゼンザイの居ないシャーロット領を知らない。それはつまりこれから先もこれまでのように暮らしていけるのか完全に未知数であり、ミコトの気持ちを思いやれば心配せずにはいられなかった。―――それでも。
「・・・・・・よし、今切り替えた。いつかまた会える。そんな気がするから、もういいや。」
彼をフォローするのはどうやらお門違いだったらしい。ミコトは俯いていた顔を上げると心配などいらないくらいに笑った。
「ふっ、ミコトに心配は必要ないみたいだな。・・・ベル、それでは食事の準備を頼む。」
鼻息を鳴らしミコトには心配無用と判断したリリーはベルに食事の準備を頼み、その部屋から出て行った。
同じ女性であるリリーに、言葉の真意を見抜かれたベルは頬を赤らめながらミコトに最後の確認をとる。
「ほ、本当に大丈夫?そんなに無理しなくても・・・」
「いや、もういいんだ。ゼンザイなりに考えたんだろうし、それになんとかなるから。」
「・・・・・・うん、わかった。」
ベルはいつもの楽天的なミコトを見てホッとすると、それだけを言い残し部屋を後にした。
一人になった部屋で、腹に包帯を巻かれ簡素な寝間着を着たミコトは床に足を着けると窓の傍までゆっくりと歩く。
誰もいなくなった今だからこそ彼は視線を遠い地平線の彼方―――もくしは窓ガラスに映る自分に向けて独り言を呟いた。
「なんとかなる・・・・・・か。」
ミコトの呟いたその独り言は、遠い空へと空しく吸い込まれていった。
寝間着からYシャツに黒い長ズボンといういつもの普段着に着替えてから大広間まで移動したミコトは食卓に座った途端に丸一日分の空腹が音を立てて突如襲ってきた。それに今日はいつも通りベルが朝食を作ってくれるそうだ、これはミコトが死力を尽くした事に対するご褒美だろう。
リリーは新聞を読みながら、ミコトは約一日ぶりの絶品料理に胸躍らせながらベルが朝食を運んでくるのを待った。
「最近は何かと話題が尽きんな・・・アルカディア国政に一企業が介入、NIA管理武器流失か・・・孤児数が例年と比べトップに・・・」
リリーは新聞のいくつかの見出しだけを最初に流し読みした。
「何言ってんだ?」
ベルを待っている間、特にやることも無かったミコトはリリーに喋りかける。
「新聞の内容だよ、この紙面に北大陸中の情報が載ってる、まぁ全てとはいかんが。ミコトも少しは今の情勢を頭に入れておいた方が何かと得だぞ。」
「俺はいいかな、聞いてるだけでパンクしそうだ。」
北大陸の情勢について興味を示さないのはミコトに限ったことではないだろう。ミコトの歳はまだ十八、このくらいの若さならば興味を示さなくても何ら不思議ではない。
新聞の話題で二人が話していると大広間の扉が開いた、ベルがようやく朝食を運んできてくれたのだ。
ベルはカートの上に乗せた料理をリリー、ベル、そしてミコトの順に運ぶ。すると、ミコトは食卓に並んだ自分の料理と二人の料理を交互に見比べて圧倒的な違いを見つけた。
「ちょっと待て、なんで俺だけ野菜スープだけなんだ⁉」
見れば、リリーとベルの朝食は小麦パンや肉類など豪勢な朝食なのだがミコトは野菜スープ一つという味気ないメニューだ。
「だ、だってミコトまだ調子悪いでしょ、だから栄養価が高くて消化に良いものをと思って。」
シュンとするベルを見て新聞を食卓の上に置いたリリーがそちら側に加担する。
「まったく、酷い男だな。ベルがミコトの身を案じて作ったというのに、文句を言わず感謝して食え。」
「・・・はい。」
リリーに怒られたというのもあるが、ミコトは何よりベルがせっかく自分の為に腕を振るってくれたスープを蔑ろにするようなマネはしたくなかった。
ミコトは野菜が良く煮込まれゴロゴロとしたスープを美味しく食べる。元々野菜はミコトの好きな食材ではあるが中には嫌いな野菜も存在する、しかし今回ベルが作ったスープにミコトの嫌いな野菜は一つも入っていなかった。
「ごちそうさま。」
最後に残したスープを一息に飲み干すととミコトは両手の皺を合わせ、普段のようにこれから鍛錬しに行くのかテーブルに立て掛けてあった焔を握った。
「じゃ、庭に出て来る。試したい事もあるし。」
「ちょっと!傷が完治してないんだからまだ寝てなくちゃダメだよ、それにその右腕じゃ満足に振れないでしょ‼」
「ん?そういやそうだった。でも俺、両利きだから左で振ってくる。」
「え⁉いや、そういう問題じゃなくて。」
ベルはこのとき初めてミコトが両利きだと知ったが、そんなことは関係ない。喉に詰まりそうになった小麦パンをトントンと胸を叩きながら飲み込み、安静にしておくよう言うがそんなことを聞くわけもなかったミコトは、大広間を勢いよく出て行った。
「許してやってくれ、ミコトもミコトで今回の件に思うところがあるのだろう。」
リリーが小麦パンを千切りながら、ミコトの行動を許してもらえないかベルを説得する。ベルは何か言いたげな表情を浮かべるもあの事件の事と、ゼンザイの事を掛け合いに出されてしまえば何も言うことは出来ない。事実、ベルは一昨日の夜ミコトが来なければあのまま暴行を受けていただろうし、父親のような存在でもあっただろうゼンザイと言葉もなく別れてしまうのは相当辛いものがあるだろう。
「・・・・・・でもミコトが少しでも痛がるような素振りを見せたら止めますから。」
ベルは真剣な面持ちで屈託のない条件付きの同意をリリーに返すと、野菜スープを口いっぱいに含む。
「本当にミコトの事が好きなんだな。」
千切った小麦パンを飲み込んだリリーは、見抜いていたベルの心を若者を見守るような笑顔で口にした。
「え⁉ちょ、いや、そそそそんなんじゃ!」
口に含んでいたスープを吐き出しそうになったベルは動揺しながらも必死に飲み込み、分かりやすく態度に現した。
「慌てなくてもいいさ、そんな事とうの昔から知っている。好きなのだろう?」
ベルにとって軽めの処刑でしかない恋愛話しをリリーは続ける。年頃の女性にとって好いている相手を見透かされているのは良い気分ではない。
「そんなんじゃ!私はただミコトが心配なだけで好きとか恋愛感情があるとか、笑った時の顔が素敵とか助けに来てくれた姿がかっこいいだとか思ってるわけじゃないです!」
よっぽど焦ったのかベルは自分の髪をなぞりながら、リリーが聞いていない自分の気持ちまで間接的に暴露してしまった。
「そうか、そんなにか。」
二人を見守る立場にあるリリーが嬉しそうに笑うと、いつの間にか食べ終えていた自分の朝食皿を一つに重ねる。
「そ、それより、ゼンさんとミコトってどういう関係なんでしょうね?」
自分の恋愛話しをこれ以上掘り下げてほしくなかったベルは話題を変える一心で、ふと思い浮かんだ疑問をそのまま言葉にした。
「それはミコトとゼンザイにしかわからない。・・・・・・誰にも話したことはなかったが君になら私と彼らの出会いを話しても良さそうだ。」
朝食皿を一つに重ね、カートにそれを乗せ終えたリリーは自分の席に再び座ると忘れられぬ過去を言葉で綴った。
「彼らと出会ってからもう十年以上が経つ。ここから南下した場所に在る人気のない森で衰弱しきっていた二人を私が見つけた。老木に背をもたれさせながら座り込み、意識の朦朧としたミコトと泥土にまみれた焔を守るようにして抱き抱えたゼンザイが最初に発した言葉は確か・・・助けてくれ、だったな。」
ミコトとゼンザイの過去が予想もしていなかった衝撃的な内容で、ベルは無意識にフォークを握る手を止めていた。
「その、ごめんなさい。そんな過去とは知らず、私・・・」
ベルはリリーの話しを最後まで聞いて先程の質問が失言であったと心の底から反省する。
「ベルが謝ることではない、誰かの関係性が気になることは誰にでもあることだ。」
リリーはそう言ったが、ベルは今後ミコトに過去のことは絶対に聞かないと肝に銘じ、残っていた朝食を全て食べた。
「それで、いつミコトに告白するんだ?」
あの話しをした後でもベルの恋愛話しをリリーは続ける。これ以上掘り下げられることを予測していなかったベルは、中ほどまで思考が停止した。
「ま、まだ続けるんデスカ?」
「もちろんだとも。私はこの手の話しが好みなわけではないが、それが二人なら話しは別だ。」
もういっそのこと、ほっといてと言えば良いのだがベルの頭の中にはそんなことを言う選択肢は無かった。
「そ、その内シマス。」
どうしようか迷った果てに片言でそう答えるしかないと考えたベルは、近い内にミコトへ自分の気持ちを伝えることをリリーに不本意ながら断言した。
リリーの悪意の無い攻撃も収まり、ベルは自分の言ってしまった事を後悔しながらカートに朝食皿を乗せる。
シャーロット領で、ほぼ全ての家事を毎日こなしているベルにとって朝食を食べ終えた後は時間との勝負である。人数分の炊事や洗濯、庭の手入れに加え一週間に数回行く買い出しと数人分の料理を作る事を一日でしなければならないベルは朝から晩まで重労働だからだ。―――にも拘らず使用人は彼女一人しかいない。
使用人が一人だけの理由についてベルは何も知らない。自分は雇ってもらっている立場であり、今となっては違うが無理を言って住まわせて頂いている身であれば何かを詮索するのは無礼の極みというものだ。
ベルは頭の中で告白という行動の意味を深く考えるまでになってしまいながらも、混乱した思考を巡らせて自分の仕事である皿洗いをするために、カートを厨房に運ぼうと取っ手を握った瞬間、下の階から怒鳴り声が聞こえてきた。
「いきなり何すんだお前‼」
下の階から聞こえたミコトの声から緊急事態だと感じ取ったリリーは、それまで腰を落としていた椅子から急な勢いで立ち上がり何も言わず、そのまま大広間を飛び出していった。
リリーの急変した様子を見て圧倒されたベルもカートから手を放して、数秒遅れで大広間を出て行く。
階段を流れるように駆け下りるリリーは二つの可能性を考慮し、敵と思われる姿を見た瞬間に間髪入れず攻撃すると決めた。ミコトの叫び声からするに敵と思われる人物はミコトに何かをした後だと考えたリリーは、ヒソヒソと物音を立てずに至近距離まで近寄るという手段よりも、音を存分に立てて敵を威圧しすぐさま攻撃を与える方がより確実だと判断したからだ。前者の場合、敵が飛び道具を所持していた時点で武器を持たないリリーはまず間違いなく威嚇されてしまうが後者ならば敵が視覚情報を脳で処理するまでの時間が少なくなり、先制を取れる。
ミコトが怒号を上げたからといってその相手が敵だとは限らないのだが、頭からその可能性が自然と抜けていたリリーは一階の階段に差し掛かると、屋敷の出入り口である扉の前で謎の女が仰向けに倒れたミコトに拳銃を構え、それを横で見ている男が見えた。
ミコトを人質にとられているようなこの状況で、最後の二段を飛ばし一階に下りたリリーは拳銃をミコトに構える女ではなく横でそれを見ていた男に一撃を食らわせる。
リリーの繰り出した右ストレートは男の左顎に直撃し、怯んだところをすかさず男の踵目掛けて蹴りを入れ、背中から倒れさせた。
「リリー⁉」
リリーが男を倒れさせる瞬間を同じく倒れた状態で見ていたミコトは驚愕の声を漏らす。まさかリリーが無駄一つない体術を使えるなど意想外だったからだ。
左顎を触りながら悶える男の胸倉を、リリーは軽い痛みが残る右手で強く掴んだ。それを見た女はもう一つの拳銃を腰から滑らかな動きで取り出すと今度はリリーに銃口を向ける。
「舐めたマネをしてくれたじゃないか。君が偉かろうが今の私には関係ないんだ、顔の原型が分からなくなるまで殴ってやってもいいんだぞ?」
拳銃を向けられたことなどお構いなしに、リリーは怒りを込めた笑顔で男の顔を殴ろうとするが、ハッと我に返ったのか寸分のところで拳を止めた。男はというと殴られそうになっても反撃しようとせず、女にも拳銃を仕舞えと手で合図を送った。
ミコトは訳も分からず黒いレザースーツを着た女に跨れるようにして上に立たれ、リリーは男の胸倉を掴んでいる時にベルが二階から下りて来た。
「え⁉ちょ、なにこれ?」
ベルは階段を下りる足が止まり口を開けて呆然としていると、リリーに左顎を殴られた男が口を開いた。
「いつまでもそうしてないで手を放せ。」
暗めの青いコートを羽織ったその男の言葉でリリーは気付いたように胸倉を掴む手を放し、それに続き伸縮性抜群のレザースーツに白いジャケットを着た女もミコトの上から移動する。
「君には済まないことをした、だが悪気があったわけではない。この女が邪魔をしなければスムーズに事が進むはずだった。」
暗めの青いコートを羽織った男は襟を直すと、ミコトに理由を説明するが最後にリリーの方を指さすと絶対に要らないであろう一言を言い放った。
「先に仕掛けたのはそっちだ。それにこの場所は私の領地であり私の屋敷、やろうと思えば訴えることだって出来るぞ?」
反応せずに無視すれば良いものをリリーは男に更に近寄り、むきになって言い返した。
「何かあれば法を出す癖は変わっていないようだな、片眼鏡殿。」
「私にも敬語を使ったらどうだ?一般人に無礼だぞ。」
退いた後も無言を貫いている女の横で起き上がったミコトは、そこに存在しないはずの火花が二人の間に見えた気がした。
「ちょっと待ってくれリリー。知り合いかどうか知らないけど、とりあえずアンタ誰?」
ミコトは停止しそうな思考を精一杯巡らせて、コートを羽織った男に知りたい情報から尋ねる。
「私の名はベクター・バスティール。NIAの長官を務めている。」
リリーから視線を外しミコトと目を合わせると、暗めの青いコートを羽織ったその男は自らをNIA長官だと名乗った。