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エンドレス∞ワールド  作者: 黒猫歌留太
第一章:オープニングアウェイクニング
2/13

第一話:眠りから覚める灯火

 ―――都市郊外、シャーロット領。


 昼間を照らす日が完全に落ち夜の暗がりを照らす月が昇った頃、街灯が一基も無い一本道で突如として現れた男が貧弱な少女であるベルに死を意識させるかのようにサバイバルナイフを突きつけた。瞬間、ベルは後ろを振り返り両手で抱えていた茶色い紙袋の中身が飛び出すことも顧みずにひたすら走った。今まさに自分へと危害を加えようとしている者から逃げ延びる為に。


 左右に立ち並ぶ木々がまるで人知れず起こっている襲撃を知らせているかのように騒めき出す。


 数メートルほど走ったところで早くも息が切れ、体力にも限界が近づいてきていたベルは一本道に転がっていた石につまずき転んでしまった。緊張の糸が(ほど)けたのかあまりの恐怖に立ち上がれず、身を翻して悪人面をした犯罪者を見ることしか出来ない。徐々に自身との感覚を詰めて来る犯罪者に抗う為にベルは助けを呼ぼうとしたが辺りには木々以外にベルが暮らしている屋敷しかなく、不運にもその屋敷すら大声を上げても届かない距離にあった。


 ベルは酷く怯えながら悪足掻きにしかない後退りをすると、その行為がどれほど無意味だと理解していても消え入ってしまいそうなか細い声で彼を求めた。


 「・・・助けて、ミコト。・・・」




 穏やかな風に揺られる庭芝生の上で、黒髪の少年ミコトは『(ほむら)』と呼ばれる刀を大事そうに抱きかかえながら、五階建ての屋敷の出入り口に取り付けられた少しの階段に寄りかかり、胡坐をかいてぐっすりと眠っていた。時間的には太陽が朝の訪れを告げている。


 「起きて・・・起きてミコト。」


 ベルは一人で、なかなか目を覚まさないミコトの肩を優しく揺らしながら必死に起こした。二、三回呼びかけるとミコトは不快そうにしながらも寝ぼけ眼で目を覚ます。


 「・・・んあ~、ベルか?まだ眠いんだ、あと少しだけ眠らせてくれ。」


 背伸びをしながら欠伸(あくび)をしたミコトは言い訳を吐き捨て、更に身を丸めて眠ろうとした。


 「待って!せっかく起きたんだから寝ちゃダメ!!朝ご飯冷めちゃうよ!!」


 ベルが先程までとは違い強めに肩を揺すると、さすがのミコトも目を覚ました。


 「分かった、起きる!起きるから、真面目にそれ止めてくれ。脳が揺れる。」


 ミコトは自分の肩を掴んでいたベルの手を逆に掴み返すと、眠気が完全に吹き飛んだ目で揺らすことを制止した。


 「おはよう、ミコト。」


 まるでこうなることを狙っていたかのように、ベルは満面の笑みで朝の挨拶をする。ベルの挨拶にミコトは簡単な言葉で返すと、焔を右手で握り寝起きで重い体を持ち上げた。


 ミコトが改めて目の前に立つ少女ベルを見ると、いつもと同じように白黒のメイド服に身を包み、カフェオレのような亜麻色の髪を片側だけで結んでいた。いわゆるサイドテールという髪型だ。


 「あのさ、起きたのはいいけど、またずっと外で寝てたの?」


 ミコトが完全に立ち上がるのを待ってから、ベルは上目遣いで心配事を投げかけた。


 「まぁ、その方が落ち着くし良く寝れるからな、それがどうかしたか?」


 「その・・・あのね、外で寝てたら風邪ひいちゃうと思うの。だからせめて、暖かくして寝て欲しいなーって。」


 自分の意見を受け入れてくれるか不安なのか自身なさげにベルは懇願する。


 「あぁ、なるべくそうするよ。そんじゃもう行こうぜ、目が覚めたら腹減った。」


 ミコトは左手でお腹を押さえながら分かりやすく空腹だということをベルにアピールし、少ない階段をゆっくり上り始めた。


 「うん、でも私はゼンさんを呼んでから行くね。」


 ベルがそう言うと、ミコトは振り返らずにお腹を押さえていた左手を掲げて了解の意を示すと扉の奥へと姿を消した。


特に危険が在るわけではないのだがベルはミコトが無事に屋敷の中に入るのを見守ってから、頬に両手を添えて屋敷の庭の奥に居たゼンザイを大きな声で呼んだ。


 「ゼンさーん、朝ご飯出来てますよー!」


 鍛錬に集中しすぎて聞こえていないのかゼンザイからの応答はない。仕方がないと思ったベルは呆れながら自分の声がゼンザイの意識に届く位置へと歩いた。


 歩いている最中、ベルが目を凝らして見やると庭の真ん中に設置してある噴水のすぐ横で分厚い胸板を露出させ、そこら辺の木を粗雑に削って作成した木刀を額に汗を垂らしながら勢い良く上から下へと振り下ろしているゼンザイの姿がはっきりと見えた。


 「九千九百九十七、九千九百九十八、九千九百九十九・・・一万。」


 鍛錬のメニューが丁度終わったのか、全身の力が一気に事切れるように大の字になって背中から地面へと着地した。それでもすぐさま気持ちを切り替えたゼンザイは脱力しながらも体を起こして汗だくの体を噴水の台座部分に預けると、上着であるYシャツと一緒に噴水の台座部分に置いておいたタオルで噴き出した汗を拭い始めた。


 「朝からお疲れ様です、ゼンさん。もう朝ご飯出来てるので終わったら食卓までお願いしますね。」


 ベルは一礼してから朝ご飯が出来上がっていることをゼンザイに伝えた。


 「む?ベル殿か、鍛錬中にも誰かに呼ばれたような気がしたが・・・返事を返せず申し訳ない。」


 わざわざ座り直したゼンザイは素早く胡坐をかき、頭を深々と下げて謝罪した。


 「そ、そんな、謝らないでください。全く気にしてませんから。」


 やり過ぎな気もするゼンザイの謝罪に対し、ベルは心身ともに低姿勢になりながら必死に止めた。


 「本当か?そんなら助かるわい。ガハハハッ。」


 顔色を変え、これまたすぐに気持ちを切り替えたゼンザイは噴水の台座部分にもう一度座って汗拭いを再び始めた。


 「あはは、それじゃ私は先に行ってますね。」


 少々絡みづらいと思っているゼンザイが軽く敬礼したのを横目に、愛想笑いしたベルはその場から遠ざかるように屋敷へと足を向けた。


 屋敷へと足早に入ったベルは、上階と今歩いている一階とを繋げる大きく造られた階段を上る。同じように折り返しになって造られている階段を上り二階から三階へ、三階から四階へと歩を進めた。


 目的地の大広間がある四階に着いたベルは大広間と廊下を隔てる扉の前で足を止め、先ほど行った呼び出しによって付着した埃を払い、乱れた服を整える。


 片手を胸に押し当てたベルは一呼吸おいて、ドアノブを押しながら大広間へと入っていった。


 「随分と遅かったじゃないか、ベル。問題でも起きたか?」


 ベルが大広間に入ると、上半身は体のラインにピタリと沿わせ下半身のスカートを大きく膨らませている紺色のワンピース型のドレスを着た何処か気品さと凛々しさを漂わせるリリー・シャーロットが食卓の席に腰かけていた。


 ベルよりも先に大広間へと来たミコトも焔を直ぐ横に立て掛け、食卓の席に腰かけている。


右目に片眼鏡をはめ、食卓の席に腰かけていたリリーは毎朝の日課である新聞を読みながらベルに話しかけた。


 「いえ、大丈夫です。」


 ベルが大広間へと入ってから、程なくしてゼンザイも大広間へと入り屋敷に居る全員でいつもと変わらない朝食を過ごした。


 朝食の時間が終わり、朝ご飯の支度を隅から隅まで行ったベルはテーブルに寝そべるミコトの姿を尻目に四人分の朝食皿を片付けていた。リリーは窓の縁から外を眺め、ゼンザイは食休みを取っている。


大広間の壁に備え付けられた四角時計の秒針が、カチ、カチ、と規則的な音を立てて静かな部屋に響くなか、外を眺めていたリリーが何かに気付き独り言を呟いたことで一時の食休みが終わりを告げた。


「来客の予定は二日後まで入っていなかった筈だが・・・確か奴は・・・。」


 窓に背を向けた態勢でリリーの独り言を聞いたベルは朝食皿をテーブル脇に持ち出されたカートへと戻す片付けを取り止め、新たに加わろうとしている職務についてリリーに問い掛ける。


「いつもの御方でしたら私がお出迎えしますが、如何(いかが)なさいますか?」


「いや、私が出迎えよう、このまま片付けを進めておいてくれ。」


いつも通りベルに片付けるようお願いすると、リリーは足早に玄関へと向かった。


リリーが退室した大広間でベルは言われた通りに片付けを再開し、ゼンザイは一言だけ置いて自室へと帰っていった。


二人きりになった部屋で、ベルはミコトの元へと移動する。四人が住んでいるシャーロット邸においてミコトと二人だけの時間はベルにとってこの上なく貴重なものである。


「ミコトも自分の部屋に戻るの?」


「俺か?俺は庭でコイツを振ってくる。」


「・・・そっか、でも休息もちゃんと取ってね。」


「疲れたら休むよ。それと何かあったら大声で呼んでくれ、じゃなきゃ反応出来ないからな・・・んじゃ。」


焔を左手に持ったミコトは、最後にそう言うと二人と同じく大広間を出て行った。


とうとう一人になってしまったベルは、毎日の買い出しに遅れぬ為に手際よく全ての朝食皿をカートに乗せて、同じ階に在る厨房へと向かった。


朝食のダメージが抜けぬままミコトが四階から一階へと下りると、屋敷の扉前で会話をするリリーと黒いスーツに赤いネクタイを締めた見知らぬ男が立っていた。庭に出るにはその扉を通らなければならず不可抗力によって二人の会話が耳に入る。


「来訪するのであれば連絡の一つや二つ、入れてから来るのが最低限の礼儀だろう?」


「えぇ、あなたの抗議はごもっともですが、我々にも我々なりに事情があるので。あなたもご存知の通り。」


「お得意の秘密主義か、だとしても私に用があるならばバスティールが来るべきではないのか?」


「あいにく長官はお忙しいので、私が馳せ参じた迄です。」


ミコトは、ほぼ理解不能の会話を繰り広げるリリーとその男を無視して庭に出るわけにもいかず二人の手前で立ち尽くしていると、向かいの位置に立っていた男がリリーよりも先にミコトの存在に気付いた。


「彼は・・・あなたの息子さんですか?」


よく見れば全体的に薄い顔立ちをしたその男は、片手でミコトを指すとリリーが疑問顔で後ろを振り替えった。


「・・・君達は初めてか。」


薄顔の男がミコトの姿を見てからアイコンタクトで初めてです、と答える。


「紹介しよう、彼の名前はミコト。私と血の繋がりは無いが、母親代わりみたいなものだ。」


ミコトが薄顔の男に会釈すると、その男も自己紹介を始めた。


「アルバート・ピースケースだ、以後お見知りおきを。」


 「ついさっき紹介されたけど、ミコトだ。」


アルバートが握手を求めて差し出した右手をミコトは素直に掴み、敵意がないということを顕示した。


「じゃあ俺は庭で素振りしてるから。」


ミコトは握手を解き、そのまま庭へと出て行った。


「珍しい形状の物ですね、あれの名称は何と?」


アルバートはミコトが左手で握る焔を一見して、湧いて出た疑問をリリーにぶつけた。


「あれは刀。この大陸ではあまりメジャーではないが、歴とした武器だよ。・・・それよりも此処へ来た目的をそろそろ話してもらおうか。」


「承知しています。話しが反れてしまいましたが、私は今回シャーロット領の主である貴女と契約を結んで頂く為に訪問しました。」


アルバートが大まかな目的内容を説明すると、リリーは何かを察したのか屋敷の一階に造られた応接間に彼を案内した。


時が流れ夕日が青い空を橙色に染めた日没直前、ミコトは朝から休みなく続けていた今日分の素振りを終わらせた。


自分でも驚くほど鍛錬に没頭していたミコトは昼食を食べ忘れていたことを思い出すと疲労しきった体に気を使いながら屋敷へと戻って行く。

腹を空かしたミコトは屋敷の出入り口である扉を開き料理上手であるベルを見つけようと、まず一階を探した。


玄関から応接間へとミコトが移動すると、大広間に取り付けられた食卓よりも一回り小さなテーブルと、その前に置かれたソファーに座り一人で数枚の書類に目を通しているリリーが居た。


「おや?ミコトじゃないか、鍛錬は終わったのか?」


「うん、でもやっぱ無理だった。どうすれば引き抜けんのかも全然わからねぇし。・・・ん?なんだそれ?」


焔の刀身が未だに顔を出さない事を報告したミコトは、リリーと軽く会話を交わすとテーブルの上に広げられた書類について尋ねた。


「これのことか。ミコトが気にするような物ではない、言ったところで理解出来ないさ。」


そんなことを言われても、書類を見てしまったミコトからすれば気になってしまうものだ。特に見てはいけないと言われなかったミコトは書類に目を通す。


「・・・・・・かいざー・くりすたる?本当だ、さっぱりわかんねぇや。」


 リリーの言う通りミコトが書類の一文を読み上げるも、理解することは出来なかった。


 「そういや、あのおっさん帰ったのか?」


 屋敷で姿が見当たらなかったアルバートの所在をミコトは何の気なしに訊いた。


「まだ帰ってはいないとは思うが・・・庭に車が止めてあっただろう?」


「ふーん、そうなんだ。・・・ところでベルの居場所って知ってる?」


リリーの言葉に色々と不自然な部分があるもののそんなこと気にもせず、ミコトは相槌を打つとベルの居場所を知っていないかリリーに質問した。


「聞こえていなかったのか?外から応接間まで声が響いてきたが・・・ベルなら家事を終えて、買い出しに行くと言っていた。」


外から応接間まで聞こえていたということは相当大声で叫んでいたのだろうが、それでも耳に届かなかったミコトはやはりそれだけ鍛錬に没頭していたのだろう。


「え⁉そしたら何も食えねぇってことか、腹減ったな~。」


ミコトは腹の虫を鳴らしながら切ない声で、今すぐには何も食べられないことを嘆いた。


「心配しなくとも、もうじき帰ってくるはずだ。私が軽食を作っても構わないが、どうする?」


「遠慮する。」


ベルが外出中だと知ったミコトはリリーの善意を速攻であしらい、空腹を我慢しながら自室へと歩いて行った。ミコトがそうしたのには筋の通った理由があるのだがそれはまた別のお話し。


更に時が流れ昼間を照らす日が完全に落ち、夜の暗がりを照らす月が昇る頃、いつもなら買い出しから戻ってくる時間帯になっても、気弱な少女ベルは帰って来なかった。


「さすがに遅いな、隣町のポルクルに出向いている筈なのだが・・・」


リリーは懐中時計を立ったまま見やり、屋敷の出入り口に取り付けられた階段の手すりに背中を預けたまま未だ姿の見えないベルの身を案じていた。


「買い出しへ出向いたのが日暮れ時だ、この時間帯になってまで帰って来ないとなると、妙な胸騒ぎがする。」


「そんな心配したってベルが帰ってくるわけじゃないだろ、気長に待とうぜ。」


ミコトは階段に胡坐をかいて座り、眠そうに両眼をパチクリしながら楽観的な意見を述べた。


「なぜ君はそこまで落ち着いていられる?ベルはミコトと違って女の子なのだ、何かあってからでは遅すぎる。」


「だから心配するならリリーが探しに行けばいいじゃないか。」


寝ぼけ眼で自分ではなく女性である彼女に探しに行かせようとするミコトの発言にリリーは口をあんぐりさせた。


「まったく君はわかっていないな、若い女はピンチを男に救われるから惚れるのだ。」


ミコトは言葉の意味を理解出来なかったし理解したところで無意味だと考えたが、リリーの言いたい事だけは理解した。


 「それってつまり俺に探してこいって事か?嫌だよ、俺はもう眠る。ベルなら大丈夫だって。」


 よっぽど眠たいのかその後もミコトがひっきりなしに自分が探しに行くことを拒むと、とうとうリリーの堪忍袋の緒が切れた。


 「グチグチ言ってないで、さっさと行ってこい‼」


 頭に怒りマークが見えそうになるほど激怒したリリーは、追い出すようにベルを探しに行かせようとする。


 「とりあえず探してくるけど、先に寝るなよ。」


 焔を右手に持ったミコトは文句を垂らしながら、暗い夜道へと消えて行った。


 屋敷周辺の木に留まったフクロウが夜更けを感じて鳴き出す。


 もしかするとそれは卑怯な事なのかもしれない、それでもリリーは庭芝生の上に音を立てないように着地すると、今まさにベルを探しているミコトへリリー自身にしかわからないメッセージを送った。


 「・・・今夜の事件は始まりの始まりに過ぎない、例えこれまでの日常を謳歌することが出来なくなったとしても、私にはどうすることも出来ない。それはきっと君が背負うべき役目だから。だからこそ、せめて今だけは言わせてくれ・・・自分に負けるな。」


 リリーは人生で一度もしたことがないくらいの真剣な表情で、代わりでしかない母親の感情を押し殺しながら意味有りげに片眼鏡に触れた。




 時は少々遡りフクロウが鳴き出す数分前、ベルは何事もなく屋敷への帰路に着いていた。


 「色々と大変だったけどお店の人が沢山おまけしてくれちゃったなー。ミコト達、喜ぶかな?」


 唇が隠れるほど大きい茶色の紙袋に沢山積まれた食材を両手で抱え、ベルは食べ物の妄想をしながら歩いている。どうしてベルの帰りが遅くなってしまったかというと、店先の単純な仕入れトラブルだったのだ。


 ベルは昼間とは違ったシャーロット領の雰囲気に不気味さを覚え、すぐにでも屋敷に帰ろうと、歩くスピードを速めた。


 ベルがシャーロット領内の少し大きめの石が散乱している道を歩いていると、前方の茂みから人の歩く足音が聞こえた。彼女はこの雰囲気の中、更に加わった不安要素に足を震わせながらも気のせいだと思い、そのまま歩を進めた。


 それがあってか周囲の音に過敏になったベルは自分の意志とは関係無く、周りに聞き耳を立ててしまう。


 そんな矢先、ベルを恐怖のドン底へと突き落とす声がした。


 「キッキッキ、こんな夜更けに一人で何してんだいお嬢ちゃん。」


 前方の茂みから聞こえたその舐め回すような声は、ベルの足を止めさせる。


 体から力が抜け硬直していく感覚が、初めにベルを襲った。自分でも一刻も早くここから逃げ出さなければならないことはわかっていたが、体を思うように動かせない。


 悪人面をしたその男が茂みから姿を現し、ベルの顔が見える位置にまで来ると右ポケットからおもむろにサバイバルナイフを取り出した。


 「キッキッキ、夕方からここに隠れといて正解だった。デケェ声出しやがったら刺すぞ。」


 尚もベルの体は動かない。生まれて初めて体感する類の恐怖に立ち尽くすことしか出来ない彼女の瞳は、この現状に耐えきれず涙を流そうとしていた。


 「旨そうなリンゴだ、これは後から頂くとして・・・お前を売ったら幾らぐらいになるだろうな?」


 間近に迫った悪人面の男がベルの抱えていた茶色の紙袋を物色した後、今度は彼女の顔を物色し始める。


 「ミュートの野郎がどれだけの金額を支払うのか楽しみだな、キッキッキ。」


 もうダメかと思われたときベルの脳裏には何故かミコトの笑顔が思い浮かんでいた、リリーやゼンザイ、その他の誰でもなくミコトの笑顔が。ただ彼と他愛のない会話をして、彼が喜ぶ料理を作って、彼と笑い合って何気ない日常を楽しむ。その情景が瞬く間にベルの頭から体の隅々にまで駆け抜け、彼女に思い出という力を与えた。


 ベルは動くようになった体を動かし、抱えていた茶色の紙袋を悪人面をした男に思い切り投げ飛ばした。


 「ってぇな‼何しやがんだテメェ、売り飛ばす話しはやっぱり無しだ。ぶっ殺してやる。」


 悪人面をした男は形相を変えて目の前に立つ彼女に怒鳴りつけると、死を意識させるかのようにサバイバルナイフをベルに突き付けた。


 場面は変わり、突風に煽られ左右の木々が騒めく一本道。ミコトは自分の奥底にある直感に駆り立てられるように全速力で走っていた。悲鳴が聞こえたわけでもベルが襲われている光景が目に映ったからでもなく、なんとなく急がなければならないとそう感じたから。


 幸いなことにシャーロット領内に道は一つしか存在しない。屋敷の庭から続くその一本道をミコトが脇目も振らずに走っていると、地べたに転がった食材と、その少し先で仰向けになり倒れていたベルを見下ろしている男が目に飛び込んできた。その男はミコトと同じ方向、つまり後ろ姿しか見えなかったがベルに危害を加えようとしていることは明白だ。


 全速力で走っていたミコトの足が現場に逸早く追いつこうと限界を超える。それとも限界なんてものは走り出したときから、既に超えていたのかもしれない。


 それら全ては守らなくてはならないものがあったから、ミコトは自分の足に大きすぎる負荷が掛かっても構わなかった。


 次第にベルとの距離が近づいていきミコトが前に立つ男との間合いに入った瞬間、右手に握っていた焔を両手で握り直し右から左へと男の体に渾身の一打を食らわせた。


 男がその衝撃に耐えられずに道の端へと転がる。


 「大声で呼ばなきゃ聞こえないぞ。」


 黄昏時に大声で呼ばれてもミコトは気付かなかったのだがこういう場面で大声を出せと言わんばかりにベルに背中を向けて語った。


 「・・・ミ、ミコト?」


 ベルは何が起きたのか全てを把握することは出来なかったが、確実に把握出来たこともあった。ミコトが自分を助けに来てくれたという事実。


 「泣くな、ベル。」


 ミコトは悪人面をした男に渾身の一打を食らわせた後、その男がベルに近づけぬよう自分が遮蔽物となるように二人の中間に立ち塞がった。


 「今度はなんだ⁉クソッたれが。」


 男が地面に手を着いて起き上がるとミコトの姿を見て理不尽に怒鳴り散らした。


 「何なんだテメェ‼このまま全部上手くいきゃあ金持ちになれたってのに。ふざけやがって!まずテメェから殺してやる‼」


 悪人面をした男が手に持っていたサバイバルナイフを今度はミコトに突き付けると、間髪入れずにミコトの胴体目掛けて切りかかった。


 左から右へ、右したから斜め左上へ、左上から斜め右上と何度も何度も繰り返し、ミコトの体を切り裂こうとサバイバルナイフが振られる。そうしていく内、切られそうになる度に避けているミコトの左脇腹にサバイバルナイフが突き刺され、血液を見せるようにそのまま抜きとられた。


 「いやぁぁぁぁぁぁ‼」


 ベルが眼前に立つミコトから地面へと漏れていく鮮血を愕然と眺め、悲鳴を上げる。


倒れてしまいそうになるほどの激痛と煮えたぎるような熱い液体が体から流れていく感覚にミコトは、歯を食いしばって死に物狂いで抗った。


 「ウグッ、大・・・丈夫・・・心配・・・すんな。」


 ミコトはベルを安心させようと傷口の痛みを無視し彼女に話しかける。


 「キッキッキ、意外とあっけなかったな、正義のヒーローさんよ~。」


 ミコトに痛恨の一撃を食らわせた悪人面をした男は、自分の勝利を確信して不快な笑い声を夜闇に響かせた。


 「・・・こんな・・・ところで・・・俺は・・・死ねない。」


 気合いを入れるようにして言葉を吐き、ミコトは背筋を真上に伸ばすと自分を落ち着かせるためにほんの少しの間だけ目を閉じた。―――周囲の感覚がミコトから遠ざかっていく。頬を撫でる風のせせらぎも、鼻腔を刺激する草木の青臭い匂いも、左脇腹に走る激痛さえも。


 「今なら引き抜ける気がする。」


 ミコトは右手で持っていた焔を横向けると、自らの胸の前に掲げ左手で柄を握った。


 力を一気に入れるのではなくゆっくりと焦らすように鞘を握る右手に力を込めると、今の今まで刀身を見せたことがなかった焔がミコトの気持ちに答えるように少しずつその姿を露わにしていく。外に刀身の一部が露呈すると、完全に引き抜かれるまで待ちきれなかったのかミコトの鮮血にも似た炎が小さく燃え上がった。


 「なんだ⁉火が出るってことは火炎放射器かなんかか?キッキッキ、だがこっちから先に仕掛けりゃ問題ない。」


 悪人面をした男が余裕の態度でミコトに飛び掛かると、そのとき一瞬にして炎が何倍もの大きさで燃え上がり男を牽制した。


 悪人面の男は驚き、間一髪のところで飛び退く。


 何倍もの大きさに膨れ上がった炎が元の大きさに縮小すると、そこには焔が完全に抜けきった状態で構えるミコトの姿があった。ミコトには明確な根拠があったわけではない、なぜ引き抜けたのですかと訊かれれば、わからないとしか答えようがないのだが危機的な状況の中でこそ秘めたる力は覚醒する、それは誰もの共通認識だろう。


 「キッキッキ、デカくなったと思えばチっこくなったな、そんなに動きゃ傷に障るだろう?とっとと殺してやる‼」


 悪人面をした男は奇声を発しながら、大振りでミコトに切りかかった。


 「次は当てる!どうしてこの領に居るのか知んないけどお前はベルを襲って、そして泣かせた!俺がお前を斬る理由はそれだけだ‼」


 ミコトは焔の刀身を左腰に収めるようにして構え、体を安定させる為に腰を低く左足を後ろに下げると、切りかかってくる男を充分に引き付けてから持てる筋力を全て込め焔を左下から右上へと斬り上げた。


 その斬撃は刀身を敵に当てたのではなく、再び大きく燃え上がり天にも届く勢いの炎が敵を捕らえた。ミコトの意志と同調して燃え上がるその炎は、まるで彼の憤怒を実現させているかのようだった。


 抵抗する術を持っていなかったその男は怒りの炎に直撃する。


 「ぎゃああああああ‼」


 叫び声を上げても熱さが和らぐわけではないが、それでもその男はそうすることしか出来なかった。炎は慌てふためく男の体を燃やしていき、止んだ時には黒焦げになりながら気絶していた。


 立ったまま黒焦げになった悪人面の男が、その場に力なく倒れる。


 「ミ、ミコト?」


 戦闘の余韻が冷めやらぬ中、それまで後方で戦いを見ていたベルは恐る恐るミコトに声をかけた。


 「怪我してないか?」


 ミコトは、後ろを振り向くと自分の怪我など気にもせずベルの体を危惧する。


 「え?う、うん。私は平気だけど、ミコト怪我して・・・」


 その言葉を訊いて安心したのかミコトは満面の笑みを浮かべ焔を鞘へと収めた。


 「そっか、ベルが無事ならそれでいいや。間に合って・・・良かっ・・・た。」


 左脇腹を刺されたダメージが思いのほか蓄積されていたのかミコトはそこで倒れるように気を失った。


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