第十二話:悦楽のディナー
「ただいまー!」
スキップにも似た歩き方で数段しかない階段を上ったミコトはシャーロット邸の扉を開くと、屋敷中に声が響くように大声で自分が帰宅したことをリリーとベルに伝えた。帰りの時間帯は夜になるだろうとミコトは予想していたが、予想外にも時間的には午後三時を回ったところである。
ミコトの活気ある声に応答は無かったものの、代わりに上階からドタバタと急いでいる様子で重い足音が一つ階段から降りて来た。
―――一階へと伸びる階段の踊り場に現れた影は、ベルだ。そのまま一階に降り立ち、ミコトの元へ駆け寄る。
「大丈夫だった?あの人たちに変なことされてない?」
ミコトの元へと小走りで近寄ったベルは息つく間もなく、ミコトの体をペタペタと探るように触った。慌てた様子から見て余程ミコトを心配していたのであろう。
「まぁ、変な事はされたけど、なんともねぇよ。」
体をベルに触られながらミコトはにこやかに答えた。いらぬ鬼胎をかけぬように包み隠しているのか、それとも純粋に抜け落ちたのか、その表情から疲労を読み解くことは出来ない。
「大丈夫じゃない・・・」
ミコトの言葉を聞いてからもベルは体を隈なく探り、そして見つけた。
「血がついてる・・・これ傷口が開いたんじゃ・・・」
砂埃で汚れたYシャツの左脇腹部分に手をつけたベルが、震えた声で原因を聞き出そうとミコトの顔を見上げる。ベルにとってミコトの傷は己の痛みなのだ。
シャツに濡れ移った血液を探り当てられたミコトは出来ることならば傷の事は黙っておきたかったが、やむを得ず今日起きた出来事を嘘偽りなく話すことにした。それをしてしまえばベルにNIA職員との接触禁止命令を出されてしまう事も危惧されるが、虚言を吐いて変に怪しまれるよりかは良い結果になるだろう。
「これは・・・その~・・・軽い事件に合ったんだよ。血はちょっとしか出なかったし、傷口は閉じてるから手当てする程じゃない。」
事件に出くわしている時点で軽くも何ともないが、ミコトは一考通り嘘は言わなかった。真実に沿っていて、尚且つベルの心配を扇ぎたてない言葉をミコトは入念に選んだのだろう。
「ミコトがそう言うんだったらいいけど・・・。」
鬱屈そうにしながらミコトの体を探り終えたベルが手を下ろす。流血したミコト本人がそう言うのならば、ベルはその意思を尊重すると決断した。
「大いに早い帰りだな、ミコト。」
声を浮つかせながらミコトがベルに傷の事を弁明していると、深沈とした声が階段辺りから聞こえた。―――リリーだ。
階段を降りて直ぐの壁に背中を合わせたリリーは、腕組みしながら目線を伏せたままで続きを紡ぐ。
「それでNIAはどうだった?」
NIAの組織内部を了知ているリリーは、ミコトがNIAという組織についてどのような印象を抱いたのかを尋ねた。その質問だけでNIAがミコトに何をしたのかを漠然とした形ではあるが掴もうとしたのだろう。単純に息子が体験した事が気になったからでもある。
「見たことも無い物がいっぱいあって、メッチャ面白かった!」
震える手で拳を握り、爆発してしまいそうな熱情を抑制しながら満面の笑みでミコトは語った。それを見たことが無いであろうベルに報知したい気持ちも在る筈だ。
「・・・それは、良かったな。」
背中を壁に合わせるリリーは、目線をミコトに向けると微かに潤んだ目で破顔一笑する。
「ね、ねぇ、見たこともない物って何なの?」
いつもの様に自信なさげな口調に戻ったベルが、リリーとミコトに交互に視線を向けた。ミコトの興奮した様を伺えば、ミコトをそうさせる根源を知りたくもなる。
「ミコトの思い出話しも聞きたいが、その話しは食事時にしよう、ベル。準備を始めてくれるか?」
猶予なくミコトの知識お披露目が始まってしまいそうな雰囲気を遮り、リリーは大広間で食事をしようとベルとミコトに推進した。
「はい、急いで準備してきますね。」
遮られたことに怒りの欠片も見せずに、ミコトの事を見つめてからベルは颯と階段を上っていった。見つめる必要は無いと言えば無いのだが、それは女心というものを省いた時にのみ言える事だ。
「大分繰り上げることになるが早めのディナーにしよう、腹は空かしているだろ?」
ベルが二階へ行くのを見届けたリリーは、共に大広間まで行こうと手に持っていた懐中時計で時間を確認してからワンピース型のドレスをなびかせミコトの傍に歩み寄った。リリーはベルと共に正午過ぎにランチを取っているのだがミコトが腹を空かして帰ってきた今、三人で同じ食卓を囲むのに二人はそれを内緒にしておく気だろう。
「そういや俺、朝ご飯食ったきり何も食べてねーや。」
リリーの質問から昼御飯を食べていない事を想起したミコトは更にまた食欲を増進させて、ディナーのメニューなどをリリーと談笑しながら四階の大広間へと足を運んだ。
早めのディナーは危険を伴う行為でもある。日が暮れた時に腹を空かし、どうしても我慢出来なかった場合は調理場にある食材を盗み食いすることになってしまうからだ。そうなるとリリーは当然のことベルにすら叱られることすらあり得るのだが、今日ぐらいは許されるだろうとの考えにミコトは至った。
大広間へと着いたミコトとリリーはベルがディナーの準備をし終えるまで気長に待ち、三人で食卓を囲んだ。ミコトはディナーの準備を手伝おうともしたのだが、ベルはそれを意固地にも拒否した。今晩の主役であるミコトの手を煩わせたくはなかったし、自分の役目は自分で全うしたかったのだ。
食卓にはブールと呼ばれるこんがりと焼けたパンに、ナイフが添えられた皿に乗せられた分厚いローストビーフ、鳥を丸ごと使った香り引き立つ贅沢なローストチキンなど何処に目を向けても涎が垂れてしまいそうな料理ばかりが並べられている。三人は料理を片手に、リリーが宣した通りミコトの得た知識やNIA本部で起きた事などを話題にして料理を愉しんだ。これほどまでに笑い、これほどまでに手が進み、そしてこれほどまでに喜びを感じたディナーはこれが初めてだっただろう。
早めのディナーも一段落つき、無数の星が夜闇を美しく照らす。
習慣となっている食事後の片付けをパパッと終わらせたベルは、三階にある自室に戻っていた。いつもならば食事後は二階に設置された男女別の大浴場へと体を洗い流しに行くのだが今夜は違った。
部屋の壁に据え付けられたランプに火を燈しもせずに三角座りで床に座り込んでいるベルは、青白い光を放つスマートフォンを耳に当てている。
「―――い、いえ、それはまだ。―――はい。―――あ、あの、現にそれが神の教えなのでしょうか?―――そ、そうではなくて、有ると決まったわけでもないのに殺してまで奪えなんて大袈裟過ぎるかと。―――。」
そこで相手側に電話を切られてしまった。不通音を頭に浸透させながら、己に課せられた使命と伸し掛かる罪悪感との間をベルは苦心しながら漂う。シャーロット領を訪れてから誰にも明かしていない自分本来の姿。本望ではないとはいえ、それを打ち明けてしまえば間違いなくミコトに軽蔑されるとベルは妄信しているのだ、明かせる筈もない。
電源を落としてからスマートフォンをベッド下に隠したベルは、本来の自分を悟られぬように仮初のベルへと表情を入れ替える。
自室の扉を忍ぶようにしてソーッと開けたベルは左右に人影が無いことを確認して、大浴場へと向かった。迷いは断ち切れていなくとも、ベルが注意不足でそれを表に出してしまうようなことは決してしないだろう。
―――無人になったベルの自室前、床一面に敷かれたカーペットの上に紺色の糸くずが落ちていた事をベルは知らない。
一日の疲れと汚れを大浴場で洗い流したベルは脱衣所で寝間着姿に着替えるとドライヤーで髪を乾かしてから、タオルを首に巻いてミコトが居るであろう場所まで歩を進めた。
サイドテールにしていた髪を下ろし、ピンク色をした若干大きめの寝間着に身を包んだベルは昼間とは違う印象を受ける。
乾ききっていない髪を首に巻いたタオルで拭いながら、ベルは屋敷の扉を開いた。
外に体を出したベルは冷えた空気に身震いしながらドアノブに手をかけ、扉が完全に閉まりきるまで待つと数段しかない階段を見やる。案の定そこには片膝を折り曲げて芝生の上に腰かけるミコトの姿があった。
「あ、やっぱりここに居た。」
ベルは芝生の上ではなく階段の数段目のところに体を丸めるようにして座る。そうしたのは自分が見下ろされるのではなく、ミコトを見下ろす気分をちょっぴり味わいたかったからだ。
「いいのか?せっかく風呂入ったのに外出て。」
階段下の先客であるミコトは酷い持病のような眠気に襲われながら、ベルが汚れてしまわないかと懸念する。
「うん、私は構わない。」
今にも寝てしまいそうなくらい柔らかい声でベルがミコトの懸念を否定すると、辺りには夜の静けさが広がった。ベルが大浴場から意識的にミコトの場所まで来たのは意味も無く会話をしたいからであったが、なかなか声が出なかった。言い出そうとしても喉の奥で詰まってしまう。
「そういやさ、シャーロット領に決めたきっかけってなんだったんだ?」
静けさを切り裂くように、ミコトは意図せずしてベルの肝を冷やす質問をした。言うまでも無くミコトはベルの裏の顔を知らない。
「え?」
質問されたベルは有らぬ形で声の詰まりが解消されると、髪を拭っていたタオルの動きも止める。ミコトより後ろに座ったのが幸いし、目線が泳いでいるところは見られなかった。
「いや、あの雨の日に仕事を探しに来たって言ってたから。」
一年と数カ月前、ベルが仕事を探しにやってきた雨の日の事をミコトは言っているのだが、ベルの脳内で変換すればそれは体裁でしかない。実際は仕事を探しに来たのではなく、別の物を探しに来たのだ。
「え、えっとね、それはきっと神様が導いてくれたんだと私は思うな。雨の中を彷徨って倒れそうになってた時にこの屋敷が偶然あった、だから私は神様の導きだって思ってる。」
ベルの口から出たのは嘘だった。呼吸の様なその嘘は、複雑でありながら物堅い恋心を孕んでいる。
自分で問うたにも関わらず、うんともすんとも言わなくなった様子にベルが指で肩を叩くと、ミコトはもう既に夢の中に落ちてしまっていた。
気持ち良さそうに寝るミコトの寝顔を見てどんな夢を見ているのだろうかなどと考えてしまうがその気持ちを振り払い、ミコトの目を覚まさないようにベルは玄関に一度戻ると事前に用意しておいた毛布を持ち出した。
夜の冷え込みから守るようにしてベルはミコトの体にソッと毛布を掛ける。
「お休みなさい、ミコト。」
ミコトの髪を手の甲で一撫でしたベルは、音を立てないように数段しかない階段を去った。
思い返せば、ベルのその声は今にも寝てしまいそうな声なのではなく、今にも泣いてしまいそうな声だったのかもしれない。
第一章:オープニングアウェイクニング~完~




