31・彼と過ごしたあの列車(1500文字)
ホームの時計が午後六時十八分を指した時刻に、まっ赤な夕焼けの光を浴びた電車が減速しながらプラットホームに入ってきた。
ホームに立つ私の横を通過していき、三番目の車両の二番目のドアの前で停車をする。
学校の帰りはいつも同じ電車の、同じ車両に乗っている。友達と帰る時も、一人で帰るときもある。部活が遅い時はなるべく急いで、ないときは時間を潰して、必ず午後六時十八分の電車に乗るようにしていた。
首にぶら下げたiPodのスイッチを押した。耳に取り付けたイヤフィット式のイヤホンからラジオ英会話が流れてくる。毎日かかさずに聞いているけど、BGMとして適当に音を流しているだけなので、英語の勉強として役に立っていない。
電車の中で聞いてしまうのは、照れ隠しのようなものだ。気を紛らわしてくれる何かがあるほうが、恥ずかしさが少しだけ和らいでくれる。電車の振動に交じって聞こえる英語は、自分の感情を抑えるために必要なものだ。
開かれた電車のドアから、四人降りていった。それから私は中に入っていく。混雑してないけど空いてもいない電車の中は、見覚えのある人たちが何人かいる。どんな名前なのか、どんな職業なのかは知らない。同じ電車に乗っている以上の関係ではない、ただの他人だ。
その中に、いつもの場所の、いつもの席に、いつものように座っている彼の姿があった。
茶色い髪を逆毛にしたホストをやっていそうな風貌。私よりも少し年上だろう。仕事に向かう途中のようで、ビシッと決めたスーツは似合っていない。
彼には不似合いなまっ赤なリュックを両手で抱きしめて、下を向きながらも、ドア付近にある直立したパイプの傍で佇む私を忍ぶように見つめていた。
女の子にナンパをしそうな外見だけど、実際のところ、好きな子に声をかけたくても、かける勇気のない、気の弱い性格をしていた。
なにしろ一年もの間、同じ電車に乗っている片思いの女の子に、視線しか送って来ないのだから。
私はドアの左端に寄って、読みかけの文庫本を取り出して、しおりに挟まった箇所からぱらっと眺めた。
彼の視線が感じられる。とても熱く感じられる。私の動作、顔つき、細かい仕草の一つ一つを、まばたきを忘れてじっと魅入っている。文庫本の続きは読むことができないけど、心の中は恋愛小説のときめきを感じてしまう。私はiPodを聞きながら、文庫本を読むポーズを取って、彼との時間を過ごしていく。
彼の腰が動いた。何度か立ち上がろうとして、立てなくて、諦めたようにどっしりと座ってから、勇気を出して立ち上がった。
電車に揺られながら、彼は私の前にやってきた。
私は文庫本から目を外して顔を上げた。彼は緊張気味に私の顔を覗いていた。目線が合わさって、お互いに逸らさずに見つめ合った。何かを喋ろうとしていた。
やっと告白される時が来たんだと思った。彼の声を聞こうとイヤホンを外した。
「いきなり声をかけてごめん。君に言ってほしい言葉があるんだ。がんばってって、そう僕に言ってほしい」
不安そうに、そして覚悟を持って、私の耳元だけに聞こえる小さな声で言った。
彼の緊張を和らげるために、笑顔を見せた。
心からの笑顔だった。
「がんばってください」
これだけでいいのならと、彼の希望を叶えてあげた。告白ではなかったことに、がっかりした気持ちはあったけど、初めて向き合って、初めて声をかけてくれたことに嬉しさが込み上げてくる。
「ありがとう」
彼は礼を言って、電車を降りていった。ここが本来の下車駅だったのだろう。いつもなら、私が降りるまでずっと傍にいてくれた。
私の心の中は幸せで笑っていた。
次に彼と過ごす電車では、私から声をかけてみようと誓った。
前話の
『彼女と過ごしたあの列車』
のセットです。B面。




