3・メールフレンド
携帯電話をポケットに入れたまま、洗濯機に流してしまった。
慌てて濡れたズボンから取り出すと、画面は真っ黒だ。どのボタンを押してもうんともすんともしない。
人生に嫌気がさして家に籠もるようになって3ヶ月。スマートフォンではなく、電話とメールぐらいしか使い道のないガラケーは、充電するのも勿体ないほど不要なアイテムになっている。
たまに、僕のことを心配した友人がメールをくれるけど、返信はしなかった。電話が鳴っても、出ることはない。
誰かと相手をするのが恐かった。無関心でいてほしい。それでも鳴り続ける電話に耐えきれず、電源を切ってしまう。
携帯電話が壊れたことに、心底ほっとする。そのまま解約して、捨てようかと思った。
けれど、大場さんが頭に浮かんでくる。
僕が唯一返事をしているメールフレンド。
70歳を過ぎたお婆さんだ。
僕がコンビニでバイトをしていたとき、万引きをした人だ。
捕まえたとき、
「一人暮らしの寂しさで魔が差してしまった。もう二度としないから、お願いだから、娘に知らせないでほしい」
と子供のように泣きじゃくった。
かわいそうとは思わなかった。けれど、家族や警察に連絡する気にもなれない。
それに店は僕の他に、新人の子がひとりだけだ。長い間、大場さんに構うわけにもいかない。
「二度と万引きをしない」
と約束して、大場さんを許すことにした。
大場さんは、監視用に携帯電話を娘に持たされていたけど、全く使っていなかった。
ふとした気まぐれで、寂しくなったらメールしていいと、自分のメールアドレスを教えてあげたら、大場さんは感激をして、何度もお礼を言われた。
それから、半世紀も歳の離れた人と、メールのやりとりが始まったのだった。
メールは、
「赤飯を炊きました。とても美味しかったです」「本を読みました。松本清張です。面白かった。あなたも読むといいですよ」
など、当たり障りのない内容だ。そんな取るに足らぬことすら、話せる相手がいなかったのだろう。
大場さんの何気ないメールから、孤独に暮らすお年寄りの寂しさが滲み出ていた。
僕へのメールは、寂しさを慰める手段になっている。だから、ひきこもるようになっても、大場さんのメールだけは返信するようにしていた。
連絡を取れなくなるのは、大場さんにとって大きな打撃になるだろう。寂しくなって、また万引きをするんじゃないだろうか。
捨てられなかった。
僕は携帯を買い換えるべく、3ヶ月ぶりに家を出た。