2・斬り合い
――参ったな。
半次郎は心の内で呟いた。
手前には憤怒の形相で刀を抜いている侍がいる。土を踏みしめ、鋭い刃を半次郎に向けていた。
隙があれば、斬るつもりだ。
半次郎も、鞘に収まった刀を握りしめている。斬り合いを買ったのではない。見栄として、恰好を取ったまでである。
半次郎は浪人である……とはいえ、実力は並以下だ。相手は侍。猛牛のような巨体に、鍛え抜かれたごつい体つきで、いかにも強そうだ。刀を抜いて勝負したなら、貧弱な自分が負けるのは確実だった。
死にたくはない。生き延びるためには、逃げるしかなかった。
にらみ合いをしながらも、半次郎は逃げ道を思案していた。とりあえず、腕が立つような態度を取ってあるので、直ぐに斬り掛かっては来ないだろう。外見上は間合いを取り、相手の出方を探り合う形だが、半次郎にしてみれば時間稼ぎでしかなかった。
相手が一瞬でも怯むのを待っていた。しかし興奮した侍が、逃げる余裕を与えるようには思えない。
こんな災難にあったのは些細な事だった。
半次郎と侍の、肩と肩がぶつかった。それだけだ。その時に「ごめん」と一言詫びれば解決できる話であった。
けれど、半次郎の性分が悪かった。彼は謝れない性格なのだ。たとえ自分が悪かろうが、絶対に詫びる事ができないでいた。
そのお陰で、親に見放され、友を失い、師に捨てられ、主人に嫌われた。
居場所を失った彼は、放浪の身分にならざる得なかった。
今回の様に侍を怒らせても、謝る事ができなかった。「ごめん」と言う前に、喉が潰れてしまい、もごもごと、何を言っているのか分からなくなり、その身振りが侍を憤慨させてしまった。損な性格が故に、この有様だ。
この癖は死ぬまで直りそうにない。
そして現在、死ぬかも知れない事態に遭っているのだ。
半次郎は焦っていた。斬られたくなかったが、逃げられそうにもない。
――仕舞った。
裕之介は冷や汗をかいていた。
彼は癇癪持ちだった。取るに足らない事でも、顔をまっ赤にして、激情に駆られて、罵声をあげてしまう。それで損をした事は、一度や二度ではなかった。
今回も同じだ。
自分の肩に、相手の肩が触れた。それで憤慨してしまい、つい罵りながら刀を抜いてしまったのだ。
相手が浪人であると知り、裕之介は驚愕した。浪人は刀を手にし、いつでも斬れる用意をしている。ひ弱そうな体付きだが、目は殺気立っている。
斬られる。
自分が死ぬ姿を想像し、裕之介は恐怖に震えていた。