どうしようもなく、煙たくて
「お題で創作の会」第3回への参加作品です。
お題は『花火』。
男子は馬鹿だ。男子の7割が馬鹿だ。
クラスに18人いる男子の7割が馬鹿だと思うし、彼らの身体の7割が馬鹿な思考で満たされているんじゃないかとも思う。
橋本君なんて、
『使うときは手に持つな』
と注意書きがあるはずの打ち上げ花火を、あろうことか両手に携え、夜の海に向かって構えている。
パシュン、パシュン――と軽い音を上げ、黄色や赤色の流星が打ち上がる。弧を描いて真っ黒な海へと落ちていく。それなりに幻想的な光景ではあるが、橋本君の奇声がすべてを台無しにしている気がする。
小野君は、きちんと地面に置いて使っている。3本並べて火を点けた。
すると、筒から吹き出す火柱の上を、飛んだり跳ねたりしながら、これまた奇声を発し出した。ショートパンツなのに熱くないんだろうか。
「うわっ! あっちい!」
「ははは、だっさ!」
熱いらしい。
軽くため息をついて、辺りを見渡す。遠くの街灯と、月明かりだけが照らすコンクリートの広場。広場の端からは防波堤が伸びていて、この小さな湾を形作っている。漁港というには小さいし、船も一艘しか泊まっていない。
はしゃぐクラスメイトたちの背後には砂利が小高く積まれている。壁を隔てたその背後には県道。車通りは少なくて、15分に1台通るか通らないか。道路の背後には、鬱蒼とした山がそびえるばかりだ。近くには民家もなく、どれだけ騒いでも咎められることはない。
広場の入口には私たちの自転車が乱雑に駐められている。向きを揃えようという気はさらさらないみたいだ。高山さんたちのグループはその辺りからスマホを構えて、花火の様子を撮影しようと工夫している。
終業式の夜、クラスのほとんどがここに集まっていた。
本当ならご飯を食べて、お風呂に入っている時間だ。冷房の効いた私の部屋で、夏休みの課題に取り掛かっているはずだった。
風は生ぬるい。風の向きによっては花火の煙が漂ってくる。火薬の匂い。ちょっと目に染みる。相変わらず、男子たちはぎゃあぎゃあ言っている。
たくさんの花火が積まれた広場の中央に、戸川君の姿があった。手持ち花火を振り回そうとするクラスメイトに、
「ほら、危ないだろ。もっと離れろよ」
とか、
「終わったやつはバケツに入れろよ」
なんて言ってたしなめている。注意された男子たちは、気を悪くするでもなく、「悪い悪い」と笑いながら戸川君に従っている。戸川君も笑って喧騒の輪に加わる。
いつだってそうだ。
戸川くんは偉ぶったりしない。だから煙たがられない。どころか、いつの間にか彼を中心にして笑顔が広がる。野球部のピッチャーだから皆に一目置いているのかもしれないし、年の離れたお兄さんがいるからどこか大人びているのかもしれない。
彼はいつでも自然体だ。だから皆、心を許すのかもしれない。あの大きな目と大きな口を好ましく思うのかもしれない。
戸川君はとても自然に振舞っているのに、私の視界には特別に映る。
「――ねえ綾、また戸川君のこと考えてたでしょ」
不意に後ろから声を掛けられる。振り向くとミカがいたずらっぽい笑みで私の顔をのぞき込んでいた。
「違うわよ」
違わない。
確かに戸川君のことを考えていた。
「またまた。綾は素直じゃないんだから」
「だから違うって」
「じゃあ何で来たの、花火大会。綾、こういうの嫌いじゃん」
「別に。中学最後だから1回くらいはいいかなって」
素っ気なく答える私の何が面白いのだろうか。
ミカは楽しげに笑う。
「ふふ、そういう事にしておきましょう」
ミカは横目で戸川君のほうを見ながら、
「でもいいの? このままだと戸川君と話せないまま終っちゃうよ。連絡先聞かないと。明日から夏休みなんだから、会えなくなっちゃうよ」
「だから違うってば……」
ミカは私の事を放っておく気はないようだった。
「ほら、一人で突っ立ってないで、折角なんだから花火しようよ。さり気なく戸川君に近づけるかもしれないし」
「ミカ、あのね……」
「行こ」
問答無用とばかりにミカは私の腕を引っ張る。広場の中央は、一段と騒がしかった。
+ + +
ミカが他の女の子と話し始めたので、私は花火に火を点けて、足元を照らしながら海のほうへと歩いた。船から伸びたロープが繋がれている辺りを花火で照らしてみる。
喧騒を背中で聞く。波が護岸に当って、ちゃぽんという小気味良い音がする。花火の先端からはシュワシュワと青白い光。
隣に気配を感じて目を向けると、戸川君が立っていた。
「夜の海って不思議だね」
「え、うん――」
「藤田さん、その火、もらってもいいかな」
戸川君は右手に持っていた花火を差し出しながら私に訊ねる。断る理由などあるはずがない。黙ったまま頷いて、花火を斜めに向ける。彼のほうを見ることが出来ず、私の目は花火の先ばかりを見ていた。
「あれ、なかなか点かないね」
戸川君は花火の角度をあれこれと調整しながら、悪戦苦闘している。戸川君の二の腕が私の肩に触れる。Tシャツごしでも彼の肌は熱かった。
きっと戸川君は、一人きりでいる私を気遣ってくれたのだろう。もしかしたら、ミカの差し金かもしれない。特別な意味を見出しちゃ、だめだ。
でも。
彼に触れた私の肩は痛いくらいに熱い。
ようやく火が点いた。戸川君の花火から赤い光が勢い良く吹き出し、私たちの足元を明るくした。
「ああ、やっと点いた」
「点いたね」
私は、彼の長いまつ毛を横目で見る。
「もっと派手な花火じゃなくていいの?」
「どういうこと」
「ほら、皆と打ち上げ花火とか」
「ああ、いいのいいの。っていうか、あいつら危ないし。火傷しそうで怖いじゃん」
頬をかきながら、戸川君は苦笑いを浮かべる。
「意外。戸川君って怖がりなんだ」
ちょっと意地悪く言ってみると戸川君は、
「う……、皆には言わないでよ。怖いものは怖いんだよ」
「うん、言わない」
照れたように笑う戸川君。
可愛らしい彼の一面を、誰にも教えたくない。
私の火花が小さくなっていく。
「うわ、まずい。藤田さん、早く次の取ってきて。俺のが消えちゃう前に」
弾む声で戸川君が言う。私は小さく応えてから小走りに広場へと戻る。適当に花火を見繕う。
1本や2本じゃすぐに終ってしまう。この太いやつは長く続くだろうか。先端で紙がひらひらしたものなら、簡単に点くだろうか。それとも、点火しにくいほうが面白いかもしれない。
迷った末にたくさんの花火を握りしめて、戸川君のもとに戻った。彼はまだ一人で待っていた。私が駆け寄ると大輪の笑顔を見せた。
「ナイス、これでたくさん出来るね」
「うん」
+ + +
それから2、3本と、私と戸川君は花火のバトンリレーを続けた。メロンソーダみたいな緑、ひまわりのような黄、太陽のように眩しい赤。色とりどりの光が夜に舞う。
「藤田さん、花火で文字書けるって知ってる?」
「どういうこと?」
にこりと笑うと、戸川君は手にした花火を胸の高さに掲げて、くるくると回した。横向きに8の字を描く。花火の残像が『無限大』のマークを描く。
「面白いね。まぶたに焼きつくみたい」
「じゃあこれ、何て書いたか分かるかな」
戸川君はタクトのように花火を振って、宙に文字を書く。
複雑すぎて読み取りづらい。
けれど必死に目で追う。宙に浮かぶ残像を見逃すまいと、目を見開く。
「どう」
「……もしかして、『甲子園』?」
「よく分かったね! 絶対分からないと思った」
「だって戸川君、野球部だし。そろそろ甲子園のシーズンだもんね」
私の脳裏には、甲子園のマウンドで汗を拭う戸川君の凛々しい顔が浮かんだ。私はテレビ越しにそれを見て、祈っている。そんな空想だ。スタンドでもなく、ベンチでもなく、テレビで見ているというのが何だか笑えた。
「さすが、勘がいいね」
「そうかな」
「目がいいのかもね。藤田さんも何か問題出してよ」
「じゃあ――」
私は赤い光で宙をなぞる。
「何だろ、難しいな。糸に……」
真面目に悩む彼の横顔を盗み見る。額にシワを寄せて、本気で考え込んでいる。
「あ、『綾』か」
戸川君は明るい声を上げる。
「正解」
名前を呼ばれたこと――ううん。
名前を呼ばせたことに気を良くして、私はなおもタクトを振る。
「今度は……、それは分かるよ。『淳』。さすがに自分の名前なら楽勝だね」
「そうだね。ちょっと簡単だったね」
戸川君の顔を見て笑い合った。
「おっと、消えそう」
戸川君が次の花火を物色し始めたのを見て、私は気づかれないように花火を回す。
夏の暗闇に真っ赤なハートマークが浮かぶ。
それは、私のまぶたにだけ強く焼きついた。
私もきっと、馬鹿だ。
+ + +
「最後まで残ったほうの願いが叶う、ってことで」
戸川君が言った。
私たちはしゃがみこんで、同時に線香花火に火を点けた。オレンジの火の玉がむくむくと大きくなっていく。
「藤田さんは何て願う?」
「S高校に入れますように、かな」
本当の願いは、言わない。
「うわ、真面目だ。でもそうだよなぁ、受験勉強しなくちゃなあ」
おどける戸川君に私は問いかける。
「戸川君ってH高志望だっけ」
「そう。よく覚えてるね」
「記憶力はいい方だから」
「いいな、羨ましいな」
彼にとっては雑談でも、私にとってはそうではない。忘れるわけがない。耳に残る優しい響きも、目の奥でまたたく彼の笑顔も。
何度も。何度も。
私は繰り返し思い出しているのだから。
ただ悲しいのは、彼の進む方向と、私の進む方向が違うということだ。
「戸川君も成績いいじゃない。S高にも行けるんじゃない」
なるべくさり気なく口にしたつもりだ。けれど平坦を装った声とは裏腹に、私の心臓は早鐘を打つ。彼と同じ高校に行きたい。一緒にいたい。
「うーん、頑張れば行けるだろうけど……数学苦手だしなあ」
「それなら、私が教えてあげようか」
冗談めかして言った。自分で言っておきながら恥ずかしくなった。彼の答えを待つ数瞬、胸が高鳴って全身の産毛が逆立った。
「いいね、それ」
にこりと笑う戸川君を見て、危うく手にした線香花火を落としそうになった。
「でも――」
戸川君は言葉を継ぐ。
「H高志望は変わらないかな」
「どうして」
ほとんど反射的に声が出ていた。
「H高って野球強かったっけ」
「うん……」
言い淀む戸川君の顔に、困惑の色が浮かんだように見えた。ちゃぽんと波の音がした。やがて彼は、意を決したかのように言った。
「亜由美がさ、H高に行くんだよ……」
小柄なクラスメイトの顔が浮かんだ。
「亜由美って、高山さん?」
戸川君はうん、と軽く頷いた。彼は気まずそうに俯き、線香花火を見た。私も同じ辺りを見た。
彼はその淡い火の玉に、一体何を願っているのだろう。少なくとも、私のことではないはずだ。花火を持つ手が、小さく震えた。
「高山さんと付き合ってるんだ……」
「実はね。内緒にしてるんだけど」
「こんなところにいていいの?」
「こんなところって?」
「彼女に見られるよ。私と――女子と2人でいるところ」
「それは、大丈夫。亜由美はそういうの気にしないから」
「気を遣ってるんだよ、高山さんは。戸川君、人気者だから、仕方ないって思ってるだけで。本当はちょっと気にしてるんじゃないかな」
「そうかな……」
「そうだよ」
行ってあげたほうがいいよ。
私は精一杯の強がりを吐く。
「じゃあこれが終ってからね」
「そうね」
私は、震える指の先に視線をやる。
線香花火が力なく垂れ下がっている。
さっきまで勢い良く弾けていた火の玉は、今では弱々しい。
細い木の枝のような火花を、申し訳なさそうに伸ばして、すぐに引っ込める。
やがて小さくなり、
ポトリと――
落ちた。
戸川君より先に落ちた。
暗闇の中、コンクリートに落ちて、一度だけ跳ねて消えた。
私の恋が終わって、
私の夏が始まった。