7話:奪う者と育てる者
1日に2回美味しい菓子を出してくれる地蔵と化した『守護されし墓』は当分触らない事にした。もし資産を増やす利殖系構造物に手をつけるなら、製造に多少手間はかかるが『竜の財宝』を作った方が良い。
何より、夕方近くになって『地蔵』が生成した、生クリームがたっぷりと詰まった大きなエクレアにかぶりついているアイリスを見ると、あれに手を加えましょうとは言い辛い。
…地蔵にお供えするなら兎も角、貰うのは違和感を拭いきれない。
アイリスはエクレアを独占せずに、私やジュリアにも分けてくれたのは評価したいが、配分が2:1:1の大きさな辺り、繊細な乙女心の葛藤を感じさせる。
「ゆひ、へっほふほうひふほうひんひふふんはい?」
「お嬢、アタシが聞くからゆっくり食べときな。ユキ、どういう方針で行くか意見を聞かせてくれないか?」
口の周りにべったりと生クリームとチョコレートをつけて大きなエクレアに噛り付いたまま口を離さないアイリスは小動物的な印象が強くなるなと、どうでも良い事を考える。
「ある程度は。どちらにしろ、まずはアイリスのスキル熟練度を上昇させたり、派生スキルを覚えさせる訓練が先になりますが。手段は大きく分けて2つ、奪うか、育てるかですね」
「奪うというと、強盗集団かい?確かにセタガヤ大森林なら獲物は多いけどさ」
「やるなら強盗集団のもう2個位上です。情報操作技術3級を狙うなら、略奪大隊まで集団を成長させないといけませんが……奪う方は最後の手段にしておきたいですね」
「同感だね。お嬢にはちょっと酷だよ」
「もぐもぐ…うくん。どうしてだい?あまりいい事には聞こえないけど、理由を教えて貰えないかな」
エクレアを食べ終わったアイリスの口元についたクリームやチョコを、胸ポケットから取り出したハンカチで拭いながら答える。
「収奪大隊は荒くれものの魔物を集めて、商隊や村、街とかを襲います。当然抵抗は少ない方がいいので、無防備な村人や商人を数多く殺す事になりますし、金品を出来るだけアイリスの手元に集める為には、部下にした魔物達には金銭欲以外の褒美をやらないといけません」
一度区切り、アイリスを動揺させないように、勤めて平坦な口調で続ける。
「襲った村や商隊にいた人間の女達、時には男すらも好きにさせる褒美を与えて、やっと部下がついてきます。襲い、奪い、殺し、犯せとアイリスが命令する事になります。当然、そんな部下達ですから信用できる訳もありません。少し手綱を緩めればすぐに反抗するでしょうから、裏切り者や反抗する者も始末する事になります。略奪大隊は分かりやすく収入を得る事が出来ますが、無抵抗な者、反抗した者、時には味方達の血と屍で舗装した道を歩くようなものです。やりたいですか?」
「それは…したくないね。他に手段が無くてどうしようもない状態なら出来るかもしれない。でも、他に手段があるなら少し遠回りになってもそっちを選びたい。ユキ、ボクは甘いのかな?」
不安そうな視線で私を見上げるアイリスに対して、私は小さく首を横に振り。
「確かに甘いかもしれません。だけどアイリス、あなたの甘さも優しさもあなたらしさのうちなのです。それを失って欲しくありません。あなたが望む事を叶えるお手伝いをするのがエージェント。私の仕事なのですから」
「ありがとう、ユキ…」
アイリスが笑みを浮かべる。笑みを眺めて居たいものの、ジュリアのもうつっこまないぞと言わんばかりのジト目が痛いので話を切り替える事にした。
「と言う訳で、二つ目の手段。育てる方ですね。幸いアイリスは通常時人型の魔物なので、好戦的ではない魔物達は庇護の代わりに従ってくれるでしょう」
魔物達の世界には一部の例外を除いて法律はない。他の魔物や人間達など脅威になるものが多い弱肉強食の世界だ。それ故に戦いが得意ではない魔物達は労働力や金銭を引き換えに強力な魔物の庇護を求める事が多い。
「土地を開拓して畑や家畜などを育てる集落の作成をまず目指しましょうか。簡単そうに見えて遠い道のりですけどね」
「畑とか家畜かい?それは楽しそうだよ!」
とたんに目を輝かせるアイリスの頭をぽん、ぽんと撫でて落ち着かせながら。
「まずは食料事情を教えて貰えますか?何かしらの魔物を招くにしても最低限食事がなければやっていけません。アイリス達の普段の食事や備蓄が分かれば計画も立てやすくなります」
世界の黎明において食事は重要だ。プレイヤーには現実世界では栄養供給がされているが、空腹感が再現されているので、何も食べないととにかく辛い。ただか空腹と侮ってはいけない。食事せず肉体労働すれば空腹感でへたり込んでしまう事も多いし、戦闘では致命的なほどの集中力と気力の欠如を引き起こす。
食事が出来ない状況が続けば、アンデットのように食事不要能力を持つ一部の魔物以外は餓死してしまう。ナガノエリアで砂塵の魔王と呼ばれている、有名な魔物プレイヤーは、食料問題を解決する為に、ダンジョン奥深くにある魔王の間の隣に菜園を持っているのは有名な話だ。初めて魔王の居室まで入り込んだ冒険者達は、肌着姿に麦わら帽子を被りくわを構えた魔王と遭遇したという。
さて……。
『…………』
何故2人して急に目を背けているのでしょうか。
まさかとは思いますが……確認してみますか。
「アイリス、ここ3日で私があげた魚の串焼き以外に何を食べていました?」
アイリスはびくっ!と肩を震わせ。
「さっきエクレアを食べただろう、朝はおはぎだったよ。昨日の夜は揚げまんじゅうだった…かな」
軽い頭痛を覚える。
「つまり地蔵から出た菓子ばかり食べていたと言う事ですか」
「そういう事になるかもしれない…かな?」
冷や汗を浮かべて必死に目を逸らすアイリス。
「ジュリアはどうですか。まさかアイリスのように菓子ばかりという訳ではないでしょう?」
「その…なんだ。アタシは基本そこの湖の魚と水草でやってきたしさ、魚に飽きたら近くの同類の集落に行けば米とか食わせて貰えるし」
現地調達な上に加工せず生。リザードマンだから出来る芸当とはいえ、更には半分仲間の集落に寄生、と。
「食材を調理した経験はありますよね?」
『………』
二人して視線を逸らしていた。その沈黙が質問に雄弁に答えている。
ある程度予想はしていた。アイリスの家の粗末さから、ベットの適当さ。ただ塩と香辛料をかけただけの魚の串焼きへの感動っぷりは大げさに過ぎた。つまり。
「2人とも、生活能力が致命的に低いのですね…?」
『……………』
反論はない。沈黙の中に沈痛さが混じり始めた。
アイリスは竜族だしジュリアは相当腕の立つリザードマンだとしても、最低限必要な生活能力というものがある。
「まずはある程度自給自足できるようになりましょうか。せめて食料程度の生活基盤がなければ、集落云々の前に他の魔物を呼ぶ事すらできません」
「そ、そのだね、ユキ。地蔵もあるし、ボクは覚えなくてもいいかな…なんて」
「アイリス。それで食べて行けるのはアイリス1人だけです。生活力が低い戦闘系のエージェントが依頼を受けていたら、何を食べさせるつもりだったのですか?」
「あ……えっと、半分こしたら足りないし。その……ごめんなさい」
「分かって貰えれば結構です。明日から頑張りましょうね」
「よ、良かったじゃないかお嬢。立派な先生がいて。じゃあアタシはこれで……」
「ジュリアもです。今では魔物プレイヤーとして最低限すぎる生活なので、ある程度快適に暮らせる程度には慣れてもまいます」
「いや、でもアタシは護衛やってるし、集落では戦士階級だしさ、覚えなくても」
「覚えて貰います。いいですね…?」
「はい………」
2人とも納得してくれたようだ。
「ボクは今初めてユキが怖いと思ったよ…」
「アタシもさ。逃げたらヤバイって背筋寒くなった。久々に命の危機を感じたぞ…」
「二人とも何か?」
『何でもありません』
明日から2人には色々と覚えて貰う事が多くなりそうだ。
集落を作るのに非好戦的な魔物を呼んだり、畑を増設したりと色々考えていたが、それ以前の問題だった。さて、何から覚えて行って貰おうか。今晩中に計画を立てておきたい。
西の空へ夕日が落ち始め、周囲が橙色に染まる頃。ジュリアが集落へと戻っていった。
リザードマンの集落は歩いて30分程度の近くにあり、ジュリアはそっちに自宅を持っていて夜間は自宅で過ごすそうだ。
護衛としてどうかと思うが、魔物の領域で人間は夜間に行動する事は少ないし、魔物なら近くのリザードマン集落を先に警戒するから大丈夫だろうと言うのはジュリアの言だ。
理には叶っているが、やや無用心なのには変わりない。
夕食に肉食魚の葉包み焼きを作ってみると、やはりアイリスは夢中になって食べていた。食事関係の改善を切実に感じる。
寝床は流石に野宿が辛いので、アイリスの寝床の端を貸して貰えるか頼んでみたら「構わないとも」とあっさりOKが出た。
世界の黎明のプレイヤーの大半は早寝早起きだ。夜になれば明かりが必要になるし、夜行性の凶暴な魔物や動物の類も出てくる。街に住む人々も太陽が出る頃に目覚めるので、寝るのも早い。
「その………何か言ってくれないかい、無言は逆に辛いんだ」
何故かアイリスの顔が至近距離にあった。
火の始末をしてアイリスと2人で岩小屋に入ったのだが、端の方で藁を集めて寝ようとしていたら「アイリスがこっちで寝ると良い」と、自分の隣に招いたのだった。
荒い麻とはいえ、藁に直接よりはシーツが1枚あると随分寝心地が違う。お言葉に甘えてアイリスに横に体を横たえたのだが、当然のようにお互いの顔が近くにある状況でアイリスは私の体をぽんぽんと叩いたり、撫でてみたりして不思議そうにしていた。
何をしているのだろうとアイリスを見ていると、先ほどの言葉が出てきたのだった。
「アイリスが何をしているのだろうかと、不思議に思っていました」
また何か残念な思い違いをしているではないかとも思っていたが、そちらは口に出さなかった。
「変だな、ユキ。これでも何ともないかい?」
アイリスが手足を絡めるようにして抱きついて来る。粗末な麻の布切れという名の布団では少々涼しかったので、暖かくて気持ちが良い。
「暖かいですね。それが何か?」
「おかしいな、ジュリアは『寝床に誘いこんで一緒に寝てしまえばこっちのもんだ。後は煮るなり焼くなり好きに出来るってもんさ。お嬢が抱きついてしまえばイチコロよ』と言ってんだ」
ああ、確かにそれは正しい。アイリスがその言葉の意味を正しく理解した上で実行できればの話だけれど。
「明日になったらジュリアに聞いてみてはどうでしょうか。明日からは色々とやって貰う事があるから、早く寝た方がいいですよ」
「そうか、明日になったらジュリアに聞いてみる……うん、でもこれはいいな」
「…どうしましたか、アイリス?」
「こっちに来てからずっと一人で寝ていたから、誰かと一緒に寝るのがこんな安心するものだって忘れていたよ。今日はぐっすり眠れそうだ……はふぅ……おやすみ、ユキ」
抱きついてきた体勢のまま、私の腕を枕にして目を閉じるアイリス。大きな子猫に抱きつかれているようだ。
アイリスが魔物プレイヤーになってから、どの位の夜を一人で、この寂しい岩小屋の中で過ごしてきたのだろうか。言葉にしなくても、きっと寂しかったのだろう。
あまりの無防備さに引き離そうとする気にもなれなかった。
「おやすみなさい、アイリス」
アイリスの髪を梳くように撫で、私も目を閉じたのだった。