6話:甘美な地蔵
腕の中にはアイリスが居た。長い間何かを始めたくてもその方法無かった少女は、私が力を貸すという言葉だけで喜んで、私に抱きついて全身で喜びを表現してくれている。
黒いドレス越しに感じるアイリスの体温は、内包した活力を現すかのように暖かく。藁のベットで寝起きしていたせいか、どこか懐かしい香りがする。
私は今まで何度も裏切られてきたせいか、人を信じる事ができない。誰かから受ける信頼も信じることが出来ない。口先だけでは信頼も信用も使い分けるし、人からその手の感情を向けられて拒絶する訳でもない。しかし、心の中でそれらを大切に思う事が出来ないのだ。
親しい誰かに裏切られたとしても、悲しみも憤りも生まれる事なく、そうかとだけ思う。
親友と名乗る誰かに無償の信頼を捧げられても、感謝する気にはなれない。
きっと私は人として大切な部品があちこち欠けているのだろう。そんな私でも、この強く気高い意志を持った少女の力になりたいと心底思う。この感情は親愛や友愛、ましてや同情や恋愛ですらない。
私がそうしたいからこそ、そうする。語弊を恐れずに例えるなら献身よりは趣味と言った方が正しいだろう。
剣と剣を打ち合わせ、命をかける闘争よりも。世界の黎明が再現する現実との差異を探す方が難しい性交の快楽よりも。陰謀と策略を張り巡らせ頭脳を競い合うスリルよりも。この少女が笑顔で居れるようにする方が価値があると思わされてしまった。
そう思わされてしまった私の負けだろう。悪魔だの化け物だのと呼ばれた事すらある私からすれば、何て―――不覚だろうか。そして、何と甘美な敗北だろう。
顔を上げたアイリスの顔に浮んでいるのは歓喜8割、恥じらい2割。潤んだ瞳を見ていると悪戯心が―――
「ううん、ゴホン。…水を差して悪いんだけど、愛の語らいとかは2人きりになってからやってくれないか」
「ひうっ!?やややや、やっ。これは違う、違うんだジュリア!」
ゴホン、とわざとらしい咳払いを一つ吐いて、ジュリアがやや緊張した声を出す。顔が若干赤くなっているが、変温動物風のリザードマンも照れると顔が赤くなるのですね。
ジュリア以上に照れているのか、顔を真っ赤にして急いで離れる離れるアイリス。少々名残惜しいものです。
ボクという一人称や、やや偉そうな口調の割には地は随分と素直ですね。
もしかしたらキャラ作りなのでしょうか?
「分かりました。では、そのような事は後でゆっくりやる事にします」
「ユキまで何を言ってるんだい!?しないぞ!しないからな!……本当にしないぞ?」
どうしよう。可愛らしい反応もあいまって弄りがありすぎる。
同じように愉快そうな視線でアイリスを見ていたジュリアと目が合い、話が進まないからアイリスを弄るのは後にしよう、とアイコンタクトで頷き合う。
「それでユキ、アンタは何ができるんだい?エージェントによって剣を教えたり生産を教えたり色々得意分野があるって話だけどさ」
「私は何でも屋ですね。特段秀でた所はありませんが、不得意な事も少ない万能型、または器用貧乏とも言います」
「本当にしな……待とう、待とうか2人とも!何でボクを放置して急に真面目な話になっているんだい!?」
ああもう可愛いな。撫でてしまおうか。
湧き上がる欲求を押さえつけ、コートの裏地から木の鞘に入った一振りの剣を取り出す。
「ブレイドコートねぇ、趣味の品だと思っていたけど。実際に使ってるヤツは初めてみたよ」
「おや、ご存知でしたか。使ってみるとなかなか便利なものですよ」
「ブレイドコート?なんだいそれは?」
「ブレイドコートとは、ですね。防具分類の服属性のアイテムなのですが、ちょっと変わった効果を持ってまして。コートと中にいくらでも剣や刀分類のものなら収納できる。所有者の任意で収納した剣や刀を取り出せる。収納した剣や刀の性能によって、場合によっては金属鎧よりも防御効果が高くなるという便利アイテムです」
「でもねぇ、重量軽減してくれないから収納するだけ重くなるし、いくら収納しようが武器を振るう腕の数は決まっているし、作成の難易度がやったらめったら高い上に希少素材まで要求されるって趣味装備だろ。普通に金属鎧を着て剣を複数持った方が早いんだよね」
「ううん?ユキは酔狂なプレイヤーなのかい」
「否定できないのが悲しい所です。ジュリア、武器鑑定はできますよね?これを見て貰った方が早いと思います。一流には届かない、そこそこの品ですが」
なめらかな手触りの木製の鞘を持ってジュリアに剣を渡す。
受け取ったジュリアは両刃直剣に分類される剣を鞘から引き抜き、ほぉ…と感嘆の息を漏らした。
「石剣とは珍しいな。見た目や装飾も良いが、鉄とかの金属でないという割に実用品か。何度も実戦に使った形跡がある。良い品だが格別と言う程では………は!?」
木の芯を持ち、石の刃を埋め込んだ石製の両刃長剣を見ていたジュリアが突然声を上げる。きっと武器鑑定で表示される情報の中の不自然さに気がついたんだろう。
「まて、待ってくれ。木も石も採集者がユキ、加工者もユキ。剣自体も装飾も鞘ま…いや、魔力付与まで全部ユキが1人でやったのか!?馬鹿なのか?いや、馬鹿だろう!」
馬鹿と断定されてしまいました。悲しいものです。
「ねぇ、ユキ。剣を1人で作るのは凄いと思うけど…ジュリアは何でそんなに驚いているんだい?」
「ああ、それはですね―――」
アイリスに世界の黎明の複雑怪奇かつ、製作者の偏愛を多々感じる生産システムについて説明をする。
世界の黎明において、『武器屋の店主』のような機械的な販売NPCが存在しない為、プレイヤー達による生産は生活していく上でも大切なものだ。だが、その生産システムは気軽に触ってみた的な初心者の心を叩き折るレベルで複雑なものなのだ。
まず、生産に使う素材。木系統なら樫の木や古代樹の木材など種類がある。ここまでは普通のVRMMOと大差ない。
だが、余計な事に。生産活動が好きな職人プレイヤーにとっては素晴らしい事に。素材に対して幾つものパラメーターが付随しているのだ。
木材であれば剛性、柔軟性、破壊耐久、収縮性、耐熱変化度など数々のパラメーターが付随している。
同じエリアの同じような場所で採取すれば、ほぼ同一の素材を入手できるのだが。育った土壌、成長中の日照や雨、気温などの環境、切り倒した者の伐採スキル値や木材加工してからの保存状態などで、またパラメーターが変動すると言えば、どれだけ偏執的な労力が注がれているか分かって貰えるだろうか。
素材がいくつものパラメーターを持つという事は、同じ素材でもパラメーターが違えば、素材として最適なものが変化する事になる。
石剣で例えるなら、グリップの部分は剛性が強い事が求められ、曲がってはいけないので柔軟性は低くなければいけない。一番力がかかる場所なので衝撃耐性や圧力耐性が高いほど良い。
刀身の芯になる部分になると剛性は高すぎず低すぎず、柔軟性が高い方がいいが、石の刃部分との兼ね合いがあるので素材レベルで調整する必要がある。斬りつけた時にしならせる為に圧力耐性は低めで柔軟性が高い素材が良い。
魔力付与は耐久性上昇に自己修復と効果も難易度も高くないものを付けているが、刻印式という、アイテムに付与魔道式と呼ばれる規則に従った溝を掘り、適切な魔術媒体を溝に埋め込んだ後に、もう一度武器として鍛え直す必要がある。
また、グリップ、刀芯、刃の各パーツにするのにもパーツとして組上げる為の小さな部品の作成もしなくてはいけない。
この石剣を1つ作るのに約23種類の素材を使い、19の1次部品を作成し、1次部品から3つの2次部品を合成する必要がある。
さて、世界の黎明はスキル制であり、そのスキルは個別に熟練度を持ってる上でスキル自体も細分化しているのを覚えているだろうか?
ここまでの作業を1人で行うとすれば、最低限。『伐採』『木材鑑定』『木材加工』『木材研磨』『木材細工』『石材探査』『石材切り出し』『石材鑑定』『石材研磨』『石材切断』『武器作成』『武器部品作成』『付与魔法』『刻印魔法』『刻印式知識』『刻印術』『魔術媒体知識』『魔術媒体作成』『魔術媒体合成』『魔法武器作成』と、最低これだけのスキルとスキル熟練度、そして知識と経験が必要になる。
普通なら刀身なら刀身だけ作る職人、森の奥から必要な木材を切り出してくる木こりなど分業をするものだ。
素材集めから全ての生産を一人で行うのは器用貧乏を超えて、酔狂すぎる行為とも言える。
「酔狂なんてもんじゃないからな。酔って狂ってるなら、氷火酒漬けになって泥酔死してるだろ、これ」
ジュリアの冷静なツッコミが耳に痛い。
「と言う訳でして。生産から生活、戦闘からお茶の煎れ方まで、やれる事は多いと思いますよ。何かに特化した一流のエージェントの得意分野ではそうそう勝てませんけどね」
「そうだろうな…で、その器用なエージェントさんはお嬢に何をさせる気だい?お嬢はスキルも殆ど無い白紙状態だから、いっそどんな方向にも伸ばせると思うけどさ。情報操作技術資格3級って壁は結構厚いもんだ」
「経験を重ねての定期チェック待ちでは遅すぎるから、定期収入を…としても。定期収入を得るのはなかなか難しいですし、美味しい話があればもう誰かが飛びついているでしょうからね」
「が、頑張るとも!」
手を胸の前で握り締めて、ふんす。と意気込みを見せるアイリス。
アイリスの生活を録画して売れば結構行けるんじゃないか、お色気も混ぜればいや十分だろう…と。生々しい方向に行きそうになった思考を呼び戻す。
「そうですね。まずは現状の確認からでしょうか。アイリス、固有情報の共有化をエージェント対象で規制を緩くして貰えますか?」
「分かったよ、少し待つと良い」
半不可視化されたAVRCウィンドウを呼び出すアイリス。情報保持の為に、私からはのっぺりとした灰色の半透明の板の上にアイリスが指先を走らせているようにしか見えない。
横から覗いてみれるようなザルなセキュリティにはしてないな、と満足していると、私のAVRCに情報が転送されて、アイリスが持っている固有情報が開示されていく。
まずは周囲にAVRCマーカーが大量に見えるようになった。これはアイリスが自分用に設置したものだろう。岩小屋の上に『↓おうち』と書かれたマーカーや、湖の近くに『泳ぐな危険』、ジュリアと出合った水際の平たい岩の上に『↓ジュリアのお昼寝ベッド』など表示されていく。
アイリスの行動範囲はそう広くないのだろう。岩小屋周囲にはマーカーが沢山あるが、そこから離れるとまばらになり、丘陵の麓にある大森林の方にはほぼマーカーがついてなかった。麓の大森林近くにある『これ以上行くと迷う』と書かれたマーカーが行動範囲の狭さの理由を物語っていた。
次にアイリス自身のプロフィールカードの情報がほぼ開示されるようになった。淑女の嗜みか、体重やバスト周りなどの身体情報こそ隠れているものの、所持スキルと熟練度が全て表示されていく。
職業表示が村娘だったから覚悟はしていたが、所持スキルの数も少ない上に熟練度も高くない。どんぐりの背比べ状態の低空飛行をしているスキル達だが、剣術と礼儀作法だけ多少ましな値をしていた。剣術はジュリアが護身程度に教えたのだろうか?村娘なのに家事・料理系スキルが見るに耐えない値なのは聞かない方がお互いの為だろう。確認していると一つ、気になる所があった。
『固有スキル:リジェネーションⅦ』
固有スキルは基本スキルとは扱いがまったく別だ。熟練度もなく育つ事も基本的にない。固有スキルシステムは世界の黎明も採用している汎用VRMMOパックについているもので、肉体的・精神的な資質から、ボーナス的な特殊効果を与える特殊スキルを選んで与えてくれるものだ。
リジェネーションの効果は体力回復力増加という単純なもので、決して珍しいものではないが、大抵のプレイヤーは無印、たまにⅡを持ってる程度の中でⅦは破格に過ぎる。
魔物プレイヤーとして戦闘するなら、まず間違いなく役に立つものだが、素直に喜ぶ事が出来なかった。
現実世界できる、ほぼ全ての悪行が実行可能な世界で「大抵の傷ならすぐ治る」上に、基本的に魔物プレイヤーは人間に人扱いされない事を考えると、デメリットの方が強く感じずにはいられない。
歪んだ欲望や願望を持つ人間(同類)達にとって、アイリスは極上の玩具になりえてしまう。出来るだけ早い時期に対処しておかなければいけない。
「………おや」
資産の中に予想外の大物があった。
『所有構造物:守護されし墓』
これはアイリスが魔物プレイヤーになった時についてきたものだろう。
魔物プレイヤー同士の子供として生まれるのではなく、人間から魔物プレイヤーに変化するは自然発生と呼ばれているが、自然発生する時、何かを守護する魔物として生まれる事がある。
別に守護しなくてもいいのだが、有用な効果があるものが多く。その中でも『守護されし墓』はかなりの大物だった。
『竜の財宝』と同じく、中に蓄えた資産を増やす利殖系の構造物で、初期状態だと確か土葬された人間の墓の形状をしていたはずだ。
竜族専用の『竜の財宝』に比べれば資産の増加率は低いものの、中に入れる財宝の量と質によって進化する特殊能力を持っている。
私が前に見た事のある『守護されし墓』は、アンデット系の強力な魔物プレイヤーが所持し、呪われた装備やらいわく付きのものを大量に突っ込んだ結果。
逆ピラミッド型の大ダンジョンを形成した上、そのダンジョンの中に所有者が管理できるアンデット系魔物をかなりのハイペースで生成する凄まじいものになっていた。
まぁ…所有者が外出した際に、聖職者系で固めた冒険者パーティと鉢合わせして、さくっと抹殺されて所有権を失ってしまい。もう本人にも操作できず財宝も取り出せず。ひたすら暴走状態のアンデットを周囲に垂れ流す代物に成り果てたというオチもついていたが。
「アイリス、この『守護されし墓』はどこに設置してありますか?」
「『守護されし墓』かい?……えっと」
アイリスはAVRCのウィンドウを呼び出して操作をし。
「あっ、これの事だったのかい。家のすぐ裏にあるから案内するよ」
ともあれ、アイリスが粗末な生活をしているのは資産を『守護されし墓』に入れているせいかもしれない。もし、随分と成長させてあるならかなりの期待が持てる。
アイリスに案内された先には高さ50センチ程度の石地蔵があった。
石地蔵は長い間風雨に晒されたたように、つるりとした個性が薄い外見をしているが、それ故に地蔵が見守ってきた年月を感じさせ、地蔵の表情はまるで慈しむような―――
「墓?いやこれ地蔵ですよね。もっと禍々しいものに変化するパターンばかりだったはずなのに、どうして慈愛に満ちた笑みを浮かべる地蔵になっているのでしょうか。何故良い感じに苔むしてわびさびを演出しているんですか……」
思わず膝から崩れ落ちてしまった私は悪くないと思う。そうかぁ…竜族は地蔵の守護者にもなれるのか。知りたくなかったなぁ……。
「ど、どうしたんだい、ユキ。この地蔵は凄いんだぞ!見た目よりずっと凄い、うん、間違いない!」
慌てて駆け寄ってくるアイリス。そうだ、確かに見た目で判断してはいけない。地蔵だからといっても『守護されし墓』だ。きっとかなりの効果が。
「この地蔵は何と、朝夕の2回。飛び切り美味しい菓子を出してくれるんだ!しかも日替わりで洋菓子や和菓子だったり飽きないバリエーションなんだ!……ユキ、ユキ!何で涙を浮かべているんだい、ここは凄いって驚く所で泣くところじゃないぞ!」
泣かせて下さい。ここは男の子でも泣いて良い所だと思います。
拝啓、母上様。先ほど誓ったばかりですが、このお嬢様を育てるのはいささかばかり手がかかりそうです―――