5話:本物の青空を
ジュリアさんがなだめに行ったが、結局依頼人が落ち着くのに2時間ほどかかった。
確かに親しい知り合い以外にあの格好を見られるのはダメージが大きそうだ。
串焼きにした魚が良い感じに焼けて来た頃、2人が岩小屋の方からやってきた。
「初めまして、ボクはアイリス。エージェントの依頼人だよ。よろしくね」
漆黒のドレスをひらりと回せて上品な挨拶をするアイリス。先ほどとのギャップが凄い。
「…え、エージェントのユキです。エージェント経験は十回以上、お役に立てると思…います」
決して目の前の少女の美しさに見惚れて喋り辛い訳ではない。そうだったらどれほどよかっただろうか。
先ほどの事をなかった事として振舞おうとするアイリスはにこやかに愛嬌を振る巻いているが、それよりも後ろで口元を押さえ、必死に爆笑しそうなのを我慢しているジュリアさんに視線が釘付けになりそうだ。
「アタシはアイリス…嬢の護衛みたいな…っ…事をしているジュリア。改めてよろ……プフッ」
とうとう我慢できなくなって、噴き出してしまうジュリアさん。そのまま肩を震わせてお腹を押さえつつ座り込んでしまう。
「ジュリア、それはいくらなんでもないだろう!ユキさん、ねぇユキさん。何でボクの方から目を逸らしているんだい!?」
ごめんなさい。私も今直視するとジュリアさんと同じ状態になりかねません。
「ジュリア、ジュリアったらぁぁぁ、ねぇ、笑ってないでさぁ!」
がくがくと半泣きでジュリアを揺するアイリス。
結局3人が落ち着くのにもう30分ほど余計に時間を使うことになった。
「えー……では、改めまして。エージェントのユキです。エージェントの契約内容については、プロフィールカードと一緒に添付した契約条項をご確認下さい」
落ち着いたアイリスにもプロフィールカードを渡し、エージェント契約書を提示する。アイリスとジュリアは説明を受けながら私の作った魚の串焼きを食べている。
凶悪なアゴとか尖った背びれとかの見た目を差し置けば、頑張って上げた調理スキルと、調理スキルから派生する天然塩作成スキル、香辛料作成スキル、香辛料使用スキルで味付けしたので、かなり良い出来だと思う。料理は結構得意なのだ。
現に2人とも必死になって魚の串焼きを食べている。20本は準備したのにそろそろ無くなりそうそうだ。
「美味し…!ただ焼いただけなのに香りもいいし…美味しい!」
「うまっ、生で食べるのとはまた違った芳醇な香りが、酒が欲しくなる…!」
…あの、説明聞いているでしょうか。少々不安になります。
私が説明しているエージェント契約は複雑なものではない。契約書なので硬い言い回しになっている所もあるが、以下の通りだ。
・エージェントは依頼人が希望する内容を教導し補助するものである。
・契約は依頼人の任意で破棄する事ができる。エージェントからの契約破棄は契約更新期間の時のみ可能である。
・エージェントに対する報酬は政府補助金の金額を基本にする。依頼人がそれ以上を支払うのは自由である。
契約書にも何種類かパターンがあるが、私が提示したのは一番シンプルなものだった。
信用できなかったり油断できない相手にはもっと細かい契約条項が大量についたものを使うが、少なくともアイリス相手にはいらないだろう。
「契約内容はこれで良いでしょうか?」
「……はぐ?」
「…食べおわってからで良いです」
魚の串焼きを頬張るアイリスは小動物的な雰囲気で実に可愛らしい。
広い場所で見るとアイリスは随分と若い。資金力さえあれば生体ポットによる成長促進や成長停止処置が出来るこのご時勢、外見年齢と中身が噛み合ってない事もあるので油断は出来ないが、肉体年齢は10代前半程度に見える。
見た目の年齢に関しては人の事を言えないものの、私よりも年下に見えるのは間違いない。
「……ふぅ、幸せ」
魚の串焼きで実に幸福そうな顔になれる少女であるなら、尚更の事だ。
「アイリス様、契約前に質問があるのですがよろしいでしょうか?」
「質問?うんいいよ。後ボクの事は敬語とか様なんて付けずに呼んで貰えるかな。慣れてなくて変な感じがするんだよ。さん付けも慣れてないから、ユキって呼んでいいかな?」
「分かりました、アイリス。質問はとても大事な事です。あなたは私というエージェント(補助)を得て、何を目的とするのでしょうか」
これだけは契約の前に聞いておかないといけない。AVRCで確認すると、アイリスの種別は『Uniq Monster Player/幼竜(希少種魔物プレイヤー)』だった。
エージェントを求める初心者プレイヤーの望みは様々だ。見聞を広めるための旅行への同行だったり、強くなる為の訓練であったり、生活していく為の家の建設であったり。
アイリスは竜系統に属している。その中で思いつく最大難易度の目標となると、やはり有名な『竜の財宝』の設置だろうか。
竜を含む一定以上の力を持つ、強力な魔物プレイヤーには制限がかかっている。幼竜に分類されているアイリスが人型であるように、普段は人と大差ない力しか発揮できないのだ。
強力な魔物プレイヤーとしての能力を発揮するには専用の変身スキルを使用するのだが、これが非常にコストが悪い。強力な魔物プレイヤーほど魔物としての姿を維持するのに膨大な資産を消費していく事になる。
強力な魔物ほど前に出て人と争えない理由がここにあった。余程相手から奪える装備や資産が良くないと、魔物として戦えば戦うほど赤字になるという悪循環を起こすのだ。
魔王を自称するような魔物プレイヤーも幾つか心当たりがあるが、彼、彼女らは城やダンジョンの奥底でじっと身を潜め、戦闘は部下に任せるばかりだ。気軽に戦闘すればすぐに財政破綻を起こすのだから。
―――何と世知辛い仕様だろうか。
竜族は特に魔物化状態の能力の高さとコストパフォーマンスの悪さで知られているが、他の種族と違い『竜の財宝』を生産出来るのも有名な話だ。『竜の財宝』はエリア設置型建造物に分類される部屋や小屋タイプの構造で、見た目は金銀財宝が詰まった部屋であるが、中に入ってる財宝の量を時間経過で増殖させるという非常に稀有な特殊効果を持っている。
貯蓄するだけではなく、増やすことが出来るのだ。銀行の利率なんて目じゃない程に。こうして竜族は蒐集した財産を『竜の財宝』に入れて、増えた分をやりくりして魔物化したり、『竜の財宝』を守る部下を増やしたりするのだが、当然のようにデメリットも存在する。『竜の財宝』で増殖する財産の量が増えれば増えるほど、理不尽にバレるのだ。
この世界にはPC、AIC(AIプレイヤー)、AI(AI操作オブジェクト)の3種類があり、比較的単純なルーチンで動いている、AIが問題になってくる。
『竜の財宝』が大規模化すればするほど、遠くにいるAIが『~で空を飛んでる竜をみかけたよ』『~にいる竜がたっぷりと財宝を集めているって噂さ』など、余計な事を魔物プレイヤーの天敵ともいえる人間プレイヤーに情報提供し始めるのだ。
情報提供だけならまだいいが、返り討ちにあう人間プレイヤーが増えたりすると『~に巣くう竜を退治して欲しい』などと報酬付きのクエストが発行される、かゆい所に手が届いてしまう仕様だ。
そして、人間プレイヤー達にとって『竜の財宝』の中に詰まっている現金や宝石、宝具の数々は命の危険を忘れさせる程の魅力を持つ。
このように『竜の財宝』を大規模運用するのは至難だが、自分の生活費や少人数で快適な暮らしを過ごす程度の小規模につつましくやる分には悪くないものでもある。
なので、私もアイリスの希望は『竜の財宝』の設置だろうかなどと思っていたのだが、その予想は斜め上方向に裏切られる事となった。
「ユキ、ボクは本物の青空を見たいんだ。その為に力を貸してくれないかい?」
「……なるほど、いや予想外でした」
口調は勤めて冷静に返したものの、頭の中はあまりの内容に真っ白になっていた。あまりにも困難な目標、それが選択肢の一つにあるのは知っていたけれど、それを目指す人がいるとは思わなかった願いだった。
「どうしたよユキ、口元が笑ってるぞ?随分悪そうな笑顔だな」
ジュリアの怪訝そうな声が聞こえる。口元が笑ってる?ああそうか、今私は笑っているのか。
「いや、アイリスがここまで大きな希望を出して来るとは思いませんでしたからね。ハハ、そうですか―――アイリス、もう一つお尋ねします。今まで何人のエージェントに依頼を断られましたか?」
「………11人。ユキが12人目に依頼したエージェントだよ」
図星なのだろう、途端に顔から精彩が薄れながらも、しっかりとした口調で答える。
11人連続で断られる。それもそうだろう。アイリスの願いは簡単にそうに見えて至難。11人のエージェントが自分の手におえないと断るのも納得するレベルのものだった。
本物の青空がを見たい、つまりアイリスが目指しているのは情報操作技術資格3級の取得。一般にはログアウト権や成人認定資格と呼ばれるものだ。
情報操作技術資格3級(ログアウト権)の取得方は2つある。
一つ目は政府が運用している教育判定システムの定期チェックによって、VRMMOの中で目覚め、育った子供達が「十分な経験を積んだ」と判断された場合だが、それがいつになるかは判らない。アイリスに色々な体験を片っ端からさせれば認められる可能性もあるが、確かな方法ではない。年月が解決するかもしれないが、通常のエージェント依頼よりもずっと長期のものになるだろう。
なので取れる手段は必然的に二つ目の資格取得手段、「現実通貨に換算して生活に十分な定期収入を持ち、かつ半年以上生活可能な資産を持つ事」という事になる。
VRMMOの中で現実世界で生活できる収入を得れるプレイヤーなら、既に社会で生活する事が可能だと認められるのだ。
「―――相当困難な事ではありますが、このような事で間違いありませんか?」
「うん、その通りだよ、ユキ」
情報取得資格や収入による資格取得の説明をすると、間違いないとアイリスは頷いた。
「アイリスに定期収入や資産を貯めさせるサポートをするなら、その方法をエージェントが行えばもっと楽に、かつ収入は自分のものになる。アイリスの条件を承諾するエージェントが居なかったのはごく当たり前の事だと分かりますか?」
「分かってるよ、ユキ。最後まで教えて貰えなくてもいい、契約更新の時に打ち切って貰っても良い、なんなら作り上げたものを奪われたって良い。ボクは―――」
一度言葉を区切ったアイリスが顔を上げ、覗き込むように私をじっとみる瞳には強い意思が宿っていた。
「ボクは無力だ、世界の事もほとんど知らない。だから、どうやれば良いか少しずつ覚えて行く。もしやられたら…辛いけど、割に合わないと思ったら、最後に全部奪われたっていい、それまでの経験をボクのものにするから」
参った。私の予想よりずっと大物らしい。嘘や欺瞞に敏感な私の勘が、この子はただひたすら真摯に本音を語っていると感じている。
「アイリス、あなたをそこまでさせる理由を聞いても良いですか?」
「うん、ユキ。これを見て」
渡されるアイリスのプロフィールカード。いっそ無防備すぎて心配になるほど様々な情報が記載されているが、ひときわ目を引いたのは『職業:村娘』の一文だった。
世界の黎明で職業はあまり重点を置かれていない。職業によって装備品からスキルまで制限を受けるVRMMOもあるが、世界の黎明にとっては、スキル熟練度の高さや所持している種類によって変化し、些細なボーナスを受ける程度のものでしかない。
基礎スキルの料理、そこから派生する香辛料使用、炒め術など料理関係のスキル熟練度を上げていけば料理人や調理師などの職業が表示される。
そして、村人や村娘は殆どのスキル熟練度が低い、いわば一般人の証明のような職業だった。
だが、それはおかしい。竜族は非常に強力な魔物プレイヤーだ、魔物プレイヤーとして生まれたなら別だが、人間側から竜族へ変化するには、名前があちこちで売れるレベルの悪行が必要になる。少なくとも村娘の職業のまま出来るような内容ではない。竜族の子供として生まれたなら、英才教育で村娘のままでいさせては貰えない。
だからこそ、いくつか思いついた。一般プレイヤーの村娘に竜族レベルの魔物プレイヤーに転生させる業を背負わせる外法の数々に。
思いつく一番「まし」な手段が、瀕死のプレイヤーを大量に準備し、最大限の苦痛を味あわせて殺害させる事を強要するというものだ。一番ましでそのレベルなのだから、どれ一つとしてまともな手段ではありえない。
「魔物プレイヤーになる時に、酷く辛い目に会いましたか?」
私の問いにアイリスは小さく、しっかりと頷いた。
「凄いね、ユキ。そんな事まで知ってるんだ。魔物プレイヤーになる時に、とても、とても辛い目にあったよ。だけどね、辛い目にあってる時に恨みとか痛みとかよりも、胸の中に溜まった後悔の方が辛かったんだ」
「後悔、ですか?」
「うん、ボクはそれまでただの村娘で…きっと、他の人達とは違う、退屈だけど、平和な暮らしをしていたんだ。だけどね、ボクにはいつだって手元に選択肢があったんだ。やりたい事をやれて、理不尽に抵抗できるような力を手に入れようとする事が」
それは結果論だ。そう口から出そうになったが、アイリスがそう思っているなら否定してはいけない事だった。
「だから、もう後悔するような生き方をしないって決めたんだ。いつだってやりたい事を目指して頑張りたい。夢物語に夢見るだけじゃなくて、登場人物になろうと足掻きたいんだ」
まったく、たいした子だ。もしこの言葉、瞳に浮んだ強い意思と決意。仮にこれが演技だったら、きっと歴史に残る悪女になれるだろう。
「困りましたね」
「ボクがユキを困らせてるのかい?」
「ええ、アイリスのような子を放っておけない損な性格を自覚しているのです。大変に困りました」
アイリスやジュリアにも見えるように可視化させた、AVRCに表示されたエージェント契約書。エージェント側の受諾項目にサインをして認証印をアクティベート。後はアイリスのサインと認証印をつけるだけの状態にした。
「ログアウト権を手に入れたとしても、現実世界はそんなに良い所ではありませんよ」
「うん、聞いている。でも、知りたいんだ」
「大変な事も、辛い事もきっと沢山経験する事になりますよ」
「頑張る。泣いて座り込むかもしれないけど、立ち上がってみせるよ」
「ここは平和で、今のアイリスは平和に生きているみたいです。全てを失うことになるかもしれません」
「出来るだけなくしたくない。けど、失うのを恐れて動けなくなるのはもっと怖いんだ」
「意志は固いようですね。諦めるのは簡単なのに」
「ありがとう、ユキ。ボクの事を心配してくれて。ボクを認めてくれて」
「……仕事を失敗しない為に確認しただけです。これに、サインを」
契約書をアイリスへと挿し出す。
「認証印を指先で押してアクティベートしながら、願いを」
「こう…かな。『ほんものの、青空を見たい』」
アイリスが願いを口にしながら、認証印を指先でタップすると羊皮紙風だった契約書が光沢を持った金属板風へと変化して実体化、アイリスの手の中に納まる。
「契約成立です。では…」
その場に肩膝をつくいて手を胸に当てて一礼し。
「あなたの夢を叶えましょう。あなたの努力を支えさせて下さい。あなたが全てを諦めてしまうその瞬間まで、エージェント、ユキはアイリスの味方です」
「うん、よろしく、ユキ!」
感極まったアイリスが飛び込み抱きついて来る。
アイリスを受け止め、そっと背中手を回して支えながら、この小さな体に大きすぎる願いを持ったこの子を守りたい。この胸に宿った決意を忘れないように、しっかりと心に刻むのだった。




