1話:とある追跡者と逃走者。セタガヤ大森林
獣道すら存在しない静寂に包まれた森の中。
木々が伸ばした枝葉の天蓋から射し込む柔らかな木漏れ日が照らす地表は背丈の小さな草花や苔むした岩が広がり、生命の気配が薄い森独特の緩やかな停滞感が漂っていた。
永遠に続くかと思われた停滞を無粋に打ち破る雑音を立てる者達が土を踏みしめながら幾つもの足音が森の奥から移動してきていた。
追手の足音は複数、対して逃げる者は単独。
逃げているのは灰色のロングコートとジャケットを着込んだ小さな人影。
衣服に近い色をした混ざりの銀色をした長髪が風に流れるたびに、うっとうしそうに広がった髪を手で押さえている。
容姿は中性的をやや越え、背の低さも相まって可愛らしい少女に近く、近くでじっと顔を観察する機会があっても女性と勘違いするレベルだろう。
年齢的には青年ではあるが、かなりの童顔で10代前半と言っても違和感がないほどだ。
容姿は少々特殊だったが、衣服のセンスとなど現代の若者とそう変わりはなく。ここが街中から10人中8人は振り返る程度で済んでいた。
しかし、両足に光で出来た鎖のようなものが巻きつき束縛されているせいか、ひどく妙な移動方法をしていた。
手足を交互に激しく動かすまっとうな走り方ができない代わりとばかりに、両足をそろえて跳躍、空中で反転して太い木の枝や幹に張り付くように着地。
それを地面のかわりに蹴り飛ばし、進行方向先の地面や木の側面に着地を連続で繰り返す立体機動。
おおよそまっとうな人間が行える移動手段ではなかった。
灰色の少年の後を追うように動いているもう一組は5人の軽鎧姿の人間達。
中世の騎士のように全身を覆うような全身甲冑ではなく。
厚い胸甲に手足の要所を護る部分甲冑にその隙間を守る鎖帷子と、動きやすさと実用性を重視したもの。
頭にはサレットと呼ばれる現代の軍隊で使われるヘルメットに近い兜を被り。
2人が槍を持ち、2人が長剣を、最後の1人は先端に宝石のようなものが付いた金属杖を持っていた。
立体的かつ飛び跳ねるように移動する灰色の少年の移動速度はかなり速く、追いかけてる者達は息を切らて走っていた。
追跡者の中でも先頭で槍を持ち追いかけている、野生的な顔つきをした30代の男が後方で杖を持った人物に荒げた声をかける。
「おい、ミリシャ!移動阻害かかっているんだろうな。まだ追いつけねぇってどういう事だ!」
「ちゃんと発動させたわよ、移動歩行妨害に走行妨害の二重掛け!その証拠に走って逃げてないでしょう。飛び跳ねてもあれだけ速いのは予想外よ!」
キンキンと高い声で苛立った声で返事を返す、杖を持った女性の言葉通り。
確かに灰色の少年は歩行も走行もしていない。
他に方法がないとばかりに跳躍で移動している。
流石に両足を縛り上げられた状態のせいか、全力で走っている5人組の一行よりはやや遅いものの、十分すぎる程早い移動速度だった。
このままでは追いつく前に見失うのではないかと焦った30代の男性が声を荒げる。
「追加で妨害かけてやれ、ちぃと大盤振る舞いでも逃がしたら丸損だ!」
「大盤振る舞いで疲れるのは私だってのに!分かったわよ、術式起動!」
女性が声を上げると手にした杖の先へ半透明の板が開く。
板に円の中に五亡星が描かれた魔法陣が浮び、さらに女性の周囲に半透明の板が何枚も浮び、板の表面を高速で文字列が流れていく。
女性の周囲に浮んだ板の表面で文字列が流れるほど、正面の板に浮んだ板に描かれた円や五亡星の周囲へ文字や図形が次々に追加されていく。
走りながらその作業を行っている女性の表情からは、肉体的な疲労とは別種の苦痛が浮んでいたが、周囲に浮んだ半透明の板に流れる文字列が消え、完了と表示が全て浮ぶと、高らかに声を上げる。
「妨害術式系、一時行動阻害、”影縫いの槍”!」
それを声として認識し辛い、独特の響きを持った女性の声が響く。
灰色の少年へ突き出した杖の先端に浮んでいた板に描かれた魔法陣らしき図形が細やかな複雑な変化をし、円の中に五亡星が描かれていた図形から、円の中に逆三角形が描かれた図形が複数浮び、それぞれを複雑な文字が接続している図形へと変化する。
魔法陣は一拍の後に僅かに膨張、すぐに収縮し闇色の槍に形を変えて灰色の少年へ向けて飛翔する。
。
少年も太い幹を持つ古木から跳躍し、隣の木の幹を蹴って反転などを繰り返して回避しようとするが、闇色の槍は回避されるたびに薄いガラスを割ったような音を立てて、直角に曲がりながら少年を追いかける。
小さな広場に出てしまい、地面へ降り立った少年の近くにあった岩にと突き刺さると、木漏れ日が作り出す影とは別の、非常に色の濃い影が少年と槍を繋ぐように浮かび上がる。
「浅い!増幅器入れて200魔力入れたってのに手ごたえ薄いわ。急いで!」
黒い槍を放った女性の声が響く。
灰色の少年は急いで跳躍をしようとするが、体中を鎖で縛り上げられたように不自然な体勢で動けなくなった。
動けなかった時間は20秒に満たない時間だったが、すぐ近くまで迫っていた軽鎧をまとった5人組が灰色の少年を取り囲み、それぞれの武器を突きつけるには十分すぎる時間だった。
取り囲まれた灰色の少年―――ユキは心中溜息をついた。
「(これは困ったな、移動中に遭遇する不幸もあるが、なかなかに手強いですね)」
視界の左上には半透明のプレートが浮び、そこには『ステータス異常:肉体系能動行動全阻害 13sec(秒)』『ステータス異常:歩行・走行阻害 1min(分)21sec(秒)』と見えていた。
「(そして見逃す理由はない、ですよね)」
視界の右上にある板に視界を動かせば、対外的な―――他のプレイヤーから見える自分のステータス表示が浮んで見える。
『Uniq Unknown Named Monster Player/Type demi-human(希少固有名付き未確認魔物プレイヤー/亜人タイプ』
5人組の彼、彼女等は冒険者または狩猟者と呼ばれる生き方を選んだプレイヤー達だ。
彼等の大半は豊かとは言えない地味な生活をし続けながら、一攫千金のチャンスを常に狙っている。
倒す―――いや、狩る事が出来れば大きな収入が見込める、ごく希少なネームドモンスター(固有名詞付きの魔物)や、一定以上の財産を持つユニークモンスターがいれば目の色を変えるのが当たり前だ。
その両方がついていれば見逃す手はない。
しかもまだ打倒された事のない新種や、一部の極希少種に付く未確認という単語が彼等の理性を狂騒に駆らせるのだろう。
現に彼等のリーダーだと思われる30過ぎの槍を持った男性は、降って湧いた幸運への興奮に目は血走りぎらついた光を放ち、口は隠し切れない歓喜に歪み荒い息を吐いている。
それは目の前の男性だけではなく、彼の仲間4人も表現の差異こそあれ、欲に浮かされた似たような状況になっていた。
「……あー……駄目か」
思わず口から間抜けな声と苦笑いが漏れてしまう。
遭遇と同時に束縛魔術が飛んで来たので、無理だろうと思っていた話し合いで解決という手を忘れる事にした。
自分が彼等の立場なら絶対に見逃すはずがない。
見逃すどころか最後の1人になろうとも攻撃を止める事はないだろう。
それだけ彼等のライフスタイルにとって、ネームドモンスター討伐による一攫千金は飛び切りの魅力でもあるし、それ以上に高収入を得る事はこの世界に生きる全てのプレイヤーにとって切実な問題でもあるからだ。
「(相手するしかなさそうですね。あまり寄り道はしたくないのですが、無抵抗でやられるなんて酔狂な趣味はしていませんしね)」
灰色の少年ユキは魔物のプレイヤーとして、まだ満足に動かない口の変わりに心中で溜息一つつき、欲に目が眩んだ人間達を狩る事を決めたのだった。