オトノシセン
最初は。
気のせいだと思った。
夜。
自分の部屋。
時計の針だけが動いている。
静かな部屋だった。
だから。
その音は。
はっきり聞こえた。
……コツ。
私は顔を上げた。
窓の方から。
音がした。
……コツ。
もう一度。
窓。
誰かが。
叩いているのだろうか。
私はカーテンを見た。
白い布。
その向こうは。
真っ暗だった。
……コツ。
「……誰?」
返事はない。
当然だ。
こんな時間に。
私の部屋の窓を叩く人なんていない。
私は。
ゆっくりとカーテンを開けた。
誰もいなかった。
窓の外には。
暗い庭。
風に揺れる木。
それだけ。
「……」
気のせいだ。
そう思った。
カーテンを閉める。
ベッドに戻る。
そして。
電気を消した。
暗闇。
時計の針。
静かな部屋。
……コツ。
今度は。
窓ではなかった。
*
次の日。
学校へ行った。
昨日のことは。
誰にも話さなかった。
話したところで。
気のせいだと言われるだけだと思ったから。
授業中。
先生の声を聞いていた。
黒板に文字が書かれる。
ノートを取る。
普通の時間。
普通の教室。
……トン。
後ろから。
小さな音がした。
私は。
振り返った。
「どうしたの?」
後ろの席の友達が聞いた。
「今、机叩いた?」
「え?」
「トンって」
「叩いてないけど」
「……そっか」
聞き間違い。
そう思った。
前を向く。
先生の声。
チョークの音。
ページをめくる音。
……トン。
また。
後ろ。
私は振り返った。
誰も。
机を叩いていない。
「……」
その時。
気付いた。
昨日。
窓の方から音がした。
私は。
窓を見た。
そして。
音は。
違う場所から聞こえた。
今日。
後ろから音がした。
私は。
後ろを見た。
そして。
次の音は。
また。
別の場所から聞こえた。
……トン。
今度は。
教室の前。
先生の机の方。
私は。
動けなかった。
見たくなかった。
でも。
見てしまった。
先生の机。
誰もいない。
……。
何もない。
*
それから。
音は。
毎日聞こえるようになった。
学校。
……トン。
廊下。
……コツ。
家。
……コン。
お風呂。
……トン。
どこにいても。
音がする。
小さな音。
でも。
聞こえたら。
無視できない。
だって。
音がする。
だから。
見る。
見て。
何もいない。
それだけ。
最初は。
そうだった。
*
三日目。
音が。
近くなった。
朝。
洗面所。
鏡の前。
歯を磨いていた。
……コツ。
後ろ。
私は。
振り返った。
誰もいない。
そして。
鏡を見る。
……コツ。
今度は。
鏡の中。
「……え?」
鏡の中の。
私の後ろ。
何かが。
動いた。
私は。
振り返った。
誰もいない。
もう一度。
鏡を見る。
何もいない。
……コツ。
私は。
歯ブラシを落とした。
音は。
鏡の中からではない。
もっと。
近かった。
*
四日目。
私は。
音を無視することにした。
聞こえても。
見ない。
振り返らない。
気にしない。
……コツ。
朝。
部屋。
窓の方。
見ない。
……コツ。
ドアの方。
見ない。
……コツ。
ベッドの下。
見ない。
……コツ。
すぐ後ろ。
見ない。
私は。
ただ。
目を閉じた。
大丈夫。
何もいない。
音なんて。
ただの音。
……。
静かになった。
私は。
ゆっくり。
息を吐いた。
「……ほら」
何もない。
そう。
思った。
その時。
「どうして」
声がした。
私は。
息を止めた。
音ではない。
声。
耳のすぐ横。
「どうして、見ないの?」
私は。
振り返らなかった。
振り返ってはいけない。
見たら。
何かが起こる。
そんな気がした。
「ねぇ」
声。
近い。
「前は」
私は。
目を閉じた。
「ちゃんと」
動けない。
「見てくれたのに」
……コツ。
耳のすぐ横。
……コツ。
……コツ。
……コツ。
何かが。
こちらを呼んでいる。
見ろ。
と。
振り返れ。
と。
私は。
動かなかった。
すると。
声が。
笑った。
「そっか」
静かに。
優しく。
「やっと気付いたんだ」
何に。
そう聞きたかった。
でも。
声が出なかった。
「音がした方を」
……。
「ずっと見てたもんね」
……。
「だから」
私は。
嫌な予感がした。
「気付かなかった」
……。
「反対側から」
何かが。
近付いていたことに」
……コツ。
今度は。
音がした。
私の。
すぐ前から。
目を閉じている。
それなのに。
分かった。
何かが。
いる。
目の前に。
……コツ。
私は。
目を開けなかった。
開けたら。
終わる。
そんな気がした。
「見ないで」
私は。
初めて。
声を出した。
「お願いだから」
返事はない。
ただ。
……コツ。
音がした。
今度は。
どこからか。
分からなかった。
前。
後ろ。
右。
左。
違う。
もっと。
近い。
……コツ。
私は。
ゆっくり。
自分の胸に手を当てた。
心臓が。
鳴っている。
どくん。
どくん。
どくん。
……コツ。
違う。
心臓じゃない。
もう一度。
……コツ。
私の中から。
音がした。
私は。
初めて。
振り返った。
もちろん。
誰もいなかった。
後ろには。
誰も。
いない。
……コツ。
それでも。
音は。
聞こえた。
……コツ。
……コツ。
……コツ。
そして。
声がした。
「見つけた」
私は。
その声が。
誰のものなのか。
知っていた。
ずっと。
聞いていたから。
毎日。
どこかで。
聞こえていたから。
窓。
教室。
鏡。
後ろ。
耳元。
そして。
今。
私の中。
あれは。
音なんかじゃなかった。
ずっと。
私を。
見ていた――オトノシセン。




