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二重の虹

作者: 傍観者ヒロタ
掲載日:2026/01/19

僕にはずっと気になっている人がいる。


隣の席の田中さんだ。


2年に進級して初めて同じクラスになった彼女だが、未だに会話をしたことがない。


このクラスになってから2か月も経つが、何気ない挨拶ですら交わしたこともない。


僕自身がコミュ障であるのが原因ではあるのだが、ここまで話しかけられないとなると彼女は他人には興味がないのかもしれない。


彼女と接点を持つことは早々に諦めるべきなのかもしれない。


でもそれはしたくなかった。


なぜなら、彼女はとても面白い人だと思うからだ。


ぼさぼさの長髪にあまり良いとは言えない目付きと表情、喉から発せられるか細い声、猫背……

普段の彼女はとにかく負のオーラを身にまとっているのだ。


しかも、基本的に授業中は寝ているし、先生に指されたところで起きやしない。


面白いどころか印象は最悪の部類に入るだろう。


でも、僕は知っている。


彼女は負に包まれた人間ではないことを。


むしろその逆だ。



それは、2か月前のとある晴れた日のことだった。


始業式が終わり、帰宅の途についていると1人の少女がそこにいた。


ぼさぼさの長髪を風に靡かせ、桜並木の下で立ち尽くしていた。


すると両手を桜の木の方に目一杯伸ばし始めた。


そして、風と共に舞い散る桜吹雪を体いっぱいに浴びていた。


両手にはたくさんの花びらが集まっていた。


それに目をやると、彼女は屈託のない笑顔を浮かべた。


見るもの全てを魅了する、まるで女神のような慈愛に満ちた笑顔。


(本当に田中さんなのか?)


妙な違和感が頭を駆け巡る。


教室で見た彼女はいかにも根暗な感じだったのに


不思議な感覚だ。


こんなの今まで経験したことなかった。


それだけ彼女の笑顔は魅力的だったのだ。


しばらくして、田中さんは楽しげにスキップしだした。


それを僕はただ見つめるだけだったが、気分は一層晴れやかになっていった。



やっぱり、教室での田中さんはどうしたって暗いイメージがまとわりついていた。


あの日見た彼女は一体誰だったのかと思うぐらいだ。


だからこそ、彼女に聞いてみたい。


あの日の彼女は五感を最大限活用してこの世界を感じていた。


それが羨ましいと思った。


それを学校でも前面に出してほしいと思った。


別に隠す必要なんてないと思う。


そんな思考を巡らせているうちに、6時限目の終了を告げるチャイムが無情にも鳴り響く。


同時に田中さんは忽然と姿を消してしまう。


これもいつものことだった。


結局今日も話しかけられず1日が終わってしまった。


ヘタレすぎる自分が情けなく感じる。



玄関へと向かうと外から雨音が聞こえた。


「マジか……」


天気予報では気象予報士が自信満々に今日は1日中快晴だと言っていたのに。


降水確率だって0%だったのに。


土砂降りの雨がアスファルトを打ち付けていた。


一応折り畳みの傘は常備しているので、特に影響はなかったが外で活動していた運動部の人たちが大慌てで玄関へと駆け込んできた。


それを横目に玄関をあとにしようとした時だった。


軒下でそれを眺めて立ち尽くしている人がいた。


その後ろ姿は紛れもなく田中さんだった。


傘を持っていないようだった。


これは大チャンスだ!


壊れた時の予備用にもう1本折り畳み傘を入れているのだが、それがようやく陽の光を浴びる時が来た。


雨だけど。


機は熟した。


「傘ないの?良かったら貸すよ。」と笑顔で話しかけるのだ。


そして彼女と会話しながら帰宅するのだ。


別れ際には「傘は明日返してもらえれば良いから」と言うのだ。


我ながら完璧な計画だ。


ところが、その計画は瞬く間に破綻してしまった。


田中さんは、土砂降りの雨の中を走りだしたのだ。


驚きのあまり、口をポカンとあけたまま立ち尽くしていたが、すぐさま僕も傘を刺さずに手に持ったまま走り出した。


女の子を雨にさらしたままに何てできない。



相変わらず雨脚は弱まらなかった。


正直視界も最悪で田中さんをとらえるのがやっとだ。


かなりの距離を走ったと思う。


田中さんのペースは全く落ちない。


運動不足の俺は正直限界が来ていた。


脈の速さは最高潮に達し、息苦しくなっていく。


正直これ以上追うのは無理だと思ったその時、ちょうどあの桜並木の道あたりにたどり着いた。


彼女は、いったん静止するやいなや、今度は緑で覆われた桜並木の下で踊りだした。


あれだけ走ってきたのに軽やかにステップを踏んでいる。


両手を広げて雨粒を身体全体で受け止めている。


そして、あの屈託のない笑顔。


ああ、あなたはどうしてそんなに楽しそうなのですか。


五感で世界を感じることができるのですか。


人ではないものと感情を分かち合えるのですか。


どうしてこんなに僕の心を惹きつけるのですか。


僕はただ、ひたすら今を全力で楽しむ彼女を見つめていた。


それだけで心が満たされていく。


あの春の日と全く同じ感覚に襲われた。


そして……


彼女がターンしたタイミングで思わず目が合ってしまった。


初めて見た彼女の瞳、少し茶色がかっているその目はまるでトパーズのように輝きに満ちていた。


普段の目付きの面影はどこにもない。


あなたはいったい誰なのですか。


そんな束の間の余韻もむなしく、彼女はいつの間にか踊るのをやめてしまった。


しまったと思った。


自分の世界に浸っている所を誰かに見られたら恥ずかしくてたまらないだろう。


それも、一言も交わしたことのない男子生徒に。


(嫌われちゃっただろうな……)


お近づきになるどころか、むしろ疎遠になること悟った僕は咄嗟に退散を決めようとした。


ところが、彼女はいつもの機嫌の悪そうな顔でこっちに向かってきた。


(まずい……)


とりあえず、適当な言い訳でもいってそそくさと逃げよう。


彼女はもう目前にまで迫っていた。


「ああっすいません!たまたま通りがかっただけなので!」


いかにも気後れした声と早口でまくし立てる。


「あの……」


「本当にごめんなさい!見なかったことにするので許してください」


「あのっ!!!」


不意を突かれた。


あの田中さんからこんなに大きな声が出るとは思っていなかったからだ。


そしていつの間にか俺の制服をつまんでいた。


「見てたんだよね?」


「はい……」


僕は彼女に何を言われようと受け入れる覚悟を決めていた。


もう嫌われたのは決定的だと思っていたからだ。


「じゃあ、一緒に踊ってくれる?」


「はい?」


思わず気の抜けた返答をしてしまった。


嫌われたわけではなかったみたいだとわかり、ひとまず胸をなでおろす。


彼女は訝しげに僕の顔を覗き込んだ。


「気の抜けた顔してるけど、どうかした?」


「いや、何でもないよ。」


「それなら良かった。」


そう言って彼女はたちまち僕の手を握ったのだ。


形容しがたい感情に襲われる。


女子に手を握るのは初めての経験だった。


でも、彼女は気にしている様子は全くない。


何だか自分が情けなく感じた。



「君、ダンスは得意?」


「あ、あの……初めてです。すいません。」


「じゃあ私がエスコートしてあげるから。」


彼女の動きに合わせて踊り始める。


「そういえば、君の名前は?」


「佐藤です。」


「佐藤君か。二人ともありきたりな苗字だね」


土砂降りの雨の中、他愛のない会話をしながら、デュエットをする二人。


とてもおかしかった。


でもそれが良かった。


彼女は終始僕をリードしてくれた。


常に視線に移るその笑顔はあまりにも眩しくて直視するのが難しく感じたくらいだ。


僕も彼女の動きに合わせて、不格好ながらも踊る。


全身で世界を感じる。


ああ、これが君の見ている世界なんだ。


雨なんて鬱陶しくて仕方としか思っていなかったのに、今はとてもそうは思わない。


ただ、世界に身を委ねていく。


僕たちは踊り続けた。


そのうち雨は小康状態になって、日が差してきた。


それは、僕達のデュエットの終わりを告げるのだった。


もっとこの時間が続いたらいいのに。


名残惜しさを感じていると田中さんがそれに向かって指を差した。


「佐藤君あれっ!」


その方向に視線を向ける。


そこには大きな虹が二重に架かっていた。


まるで、2人の出会いを祝福するかのように。


「綺麗ですね。」


「そうだね。」


終始僕らは自然からの祝福を体いっぱいに浴びていた。


「きっと明日は良いことがあるね。」


嬉々とした声で彼女が言った。


明日だけじゃない。


これからもずっと、良いことが僕たちを待っていますよ。


そう言おうとして寸前でやめた。


こんなクサいセリフを吐くのはガラじゃないからだ。


でも、本当にそう思えるぐらいの壮大な光景だった。


虹が消え、夕日が沈む。


その瞬間、僕たちは手を握ったままだったことに気付く。


思わず手を引っ込める2人。


そして気恥ずかしそうに僕たちは笑うのだった。


酷く濡れた醜い姿のままで。



翌日、案の定高熱を出して僕は学校を休む羽目になった。


田中さんも同様に風邪をひいて寝込んだらしかった。


後日その話をして、僕たちは思わず笑ってしまうのだった。


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