伊吹の少年期
咲弥が亡くなった後も、伊吹の生活は変わらなかった。
美哉は髪の毛が少し茶色くて、陽に当たると光り輝くかのように見える。
橘香は黒髪でストレート。烏の濡れ羽色という言葉がピッタリと言える。
二人は伊吹の事を守るべき大切な存在として扱い、伊吹は前世の事もあってか、二人を実の姉のように思っていた。
美哉と橘香は物心がついたかどうかの小さな頃から、武術を習っていた。美子と京香曰く、優秀な侍女になる為には男の子を守る力をつけなければならないとの事。
伊吹がメイドかお手伝いさんかと思っていた美子と京香は、正式には侍女と呼ぶのが正解だったらしい。それも、伊吹の身の回りの世話をする為の侍女だ。
(男が希少な世界だからか。まるでラノベの主人公だな。それもR18寄りの。
こんなクソみたいな世界ではそれくらいの楽しみがないと釣り合わないよな)
咲弥が亡くなってから、伊吹は出来るだけバカな事を考えて気を紛らわしていた。
美哉と橘香は伊吹を守る為にと、屋敷の離れにある道場で美子と京香によって鍛えられている。
侍女なのに守るとは、と不思議に思う伊吹だったが、男が希少なこの世界ではそういうものなのだろうと思うようにした。
当初、伊吹は稽古に連れて行ってもらえなかったが、咲弥の死をきっかけに伊吹も加わる事になった。
「こう?」
「もっと腰に力を入れるの」
「足の親指にも力を入れるの」
伊吹が望む娯楽がない為、武術の稽古に打ち込む事が出来た。
心乃春はもしもの時の自衛の為になるかと思い直し、自らも伊吹に対して積極的に稽古をつけるようになった。
伊吹は美哉と橘香が学校へ行っている間は、美子と京香から勉強を教わる。
多少の違いはあれど、小学校程度であれば元の世界で習った内容とそう変わらない。
文字の書き取りや計算など、飲み込みの早い伊吹に驚く二人。私の孫は天才ね、と喜ぶ心乃春。
美哉と橘香は学校から帰宅すると、おやつを食べながら学校に通わない伊吹に今日はこんな出来事があった、友達とこんな話をした、何を習ったなどを教える。
「夜になると二宮金次郎の目が光るんだって!」
「モーツアルトが校庭を走るんだって!」
「それって逆じゃないの?」
そしておやつを食べ終わると伊吹も交えて宿題をして、武術の稽古の続き。その後、美哉と橘香の手でも出来る範囲で料理を手伝い、六人で夕食を摂る。
伊吹が料理の手伝いをする事は、大人達だけでなく美哉と橘香からも反対されているので、伊吹は皆が料理支度をするところを後ろから眺めている事が多い。
夕食後は心乃春か美子か京香のうちの誰か一人が、子供三人をまとめてお風呂へ連れて行く。咲弥が元気だった頃は同じようにお風呂担当に加わっていた。
赤ん坊の頃から当たり前のように一緒に入っているので、伊吹は恥ずかしいとも嫌だとも感じる事はない。当たり前の日常となっている。
入浴が終わればもう寝る時間だ。三人で伊吹の寝室へ向かう。キングサイズのベッドで伊吹が真ん中、両隣に美哉と橘香が寝転ぶ。
「悪の十字架!」
「恐怖の味噌汁!」
「開くの十時か?
今日、麩の味噌汁」
「すごい!」
「何で分かったの!?」
幼い頃からの当たり前の光景。自分も美哉も橘香もまだまだ幼い。
伊吹が変な気を起こす事なく、早々に夢の世界へと旅立つ。
そして翌朝早くから、道場にて武術の稽古を受ける。
伊吹はそんな毎日を送っていた。
六歳になり、女性であれば義務教育を受ける年齢となったが、伊吹は学校に通う事はなく、日中ほとんどの時間を屋敷内で過ごした。
家庭学習を続けており、内容は同年代よりも高レベルで、美哉と橘香が習っているよりも先を進んでいる。
伊吹の前世知識があるのはもちろんだが、侍女である美子と京香の教え方がとても上手で丁寧。そして付きっきりで指導している事も理由の一つだ。
また、心乃春は伊吹が自ら望んで学習と向き合っている以上、それを止める必要はないと判断し、どんどん内容を先へ進めるよう美子と京香に指示を出していた。
ある時、そんな伊吹の日常に大きな変化が起きた。美哉と橘香に第二次性徴が訪れたのだ。
身体が女の子から女性へと変化していく。もちろん月経も始まった。
どことなく避けられているな、と伊吹が感じる日が増えていった。
美哉だけが伊吹の後に一人で入浴をする。橘香だけが別の寝室で寝る。食事も別室で済ます。
元の世界の常識とは違うとはいえ、さすがに避けられ過ぎて寂しいなと感じる伊吹。
そんな時に、たまたま心乃春が二人に対し、『けがれ』がどうのこうの言っているのを耳にした。
一緒に生活している家族なのに、汚いも何もないだろうと伊吹は憤る。
思春期で、異性である自分に対して嫌悪感を覚えての自らの行動であれば、伊吹も受け入れた。
しかし、実際は心乃春が生理中の美哉と橘香に対して「汚いからうちの孫に近付くな」と言い付けていたのだと思ったのだ。
そのやり取りを聞いてしまった日の夕食時、伊吹はまた一人別のテーブルへ座ろうとする美哉に声を掛け、いつもの席へ座るよう誘った。
「みぃねぇ、いつも通りこっちで食べよ」
「え? でも……」
「無理にとは言わないけど、離れて食べるの変だよ」
美哉が心乃春の顔色を伺いながらオロオロしていると、心乃春が伊吹を諭すかのように話し始める。
「伊吹、美哉は今穢れを纏っているの。
だから一緒にご飯を食べたら、伊吹に穢れが移ってしまうのよ」
そう話す心乃春に対し、伊吹は心乃春こそが汚いものであるかのような表情を浮かべてしまう。
(何を言っているんだこのばあさんは。
田舎の古いしきたりじゃあるまいし)
伊吹が住んでいるのは山奥の田舎で、穢れとは古いしきたりの中にある考えであり、心乃春は伊吹の血縁上の祖母(四十八歳)である。
(何て目で見るのよ……)
何も間違ってはないが、今まで伊吹からそんな表情で睨まれた事がなかった心乃春は、大きな精神的衝撃を受けた。
「伊吹、聞いて?
貴方は、穢れに触れちゃダメなのよ」
伊吹に何とか言い聞かせようとする心乃春だが、伊吹は全く相手にせず、美哉に歩み寄る。
「みぃねぇはお腹痛いだけでしょ?
ほら、おいで?」
伊吹は美哉を抱き寄せてお腹をさすってやる。
心乃春も侍女二人も、もはや伊吹のする事を止められず見守るしかない。
(((あんな顔で睨まれたら立ち直れない)))
「みぃねぇ、嫌じゃない?」
「嫌じゃない、温かくてほっとする」
「みぃねぇさえ良かったら、夜もこうして温めてあげるからね」
「うん、ありがとう……」
美哉はただでさえ辛い生理中に伊吹から遠ざけられ、とても寂しく心細い想いをしていたので、伊吹の心遣いに感じ入り、涙を流して喜んだ。
「きぃねぇが辛い時は同じように温めてあげるからね?」
「うん! いっちゃん大好き!!」
もちろん橘香も美哉と同じように喜んだ。
その日から、生理中であっても食事するテーブルを分けたり、別室で離れて寝たり、触れ合わないようにする事はなくなった。
入浴については本人の希望に従い、生理中は別で入る事に決まった。




