並行世界には神々がいない
伊吹の未来転生説は勘違いであったとすぐに判明した。
(なるほど、並行世界ってヤツか)
この世界は伊吹がいた世界ではなく、ある時期に何かが起こり、元あった世界から分岐して別の歴史を辿った並行世界なのだと理解した。
並行世界であると判断した理由その一、男がいない。
もちろん全くいない訳ではないだろうが、テレビを見ても外に出ても女性ばかりで、男を見かける事がない。
男かな、と思ったら歌劇団の男役スターみたいなメイクをした女性だった、という経験を何度もした。
並行世界であると判断した理由その二、伊吹が生まれた年は西暦二六八四年ではなかった。
テレビを見る機会が増え、よくよく聞いていると、アナウンサーらしき女性が今の年を表わす際に『西暦』ではなく『皇紀』と付けているのが分かった。
皇紀とは明治政府が定めた日本独自の紀年法だ。
伊吹は前世のサブカル知識で皇紀自体は知っていたが、西暦とどれだけのズレがあるのかまでは覚えておらず、前世で死んだ年とそう変わらないだろうと思った。
後に皇紀二六八四年は西暦で表わすと二〇二四年であると分かった。
並行世界であると判断した理由その三、大河ドラマのストーリーが理解出来た。
祖母に抱かれながら見た大河ドラマの主人公は、伊吹の前世知識と同じような描かれ方をしていた。
ただし演じているのは女性だが。
この歴史はある時点まで、伊吹の前世世界と同じ足跡を辿っている。
まだ自分でお座りも出来ない伊吹には、分岐した時期がいつなのか調べる事は出来ない。
分岐した時期は恐らく、この世から男が激減した時期と同じなのではないだろうかと予測を立てる事は出来た。
そんな事よりも、伊吹にとって非常に重大な問題が発覚した。テレビの中に神々の存在を感じられないのである。
(何だ、この動きの少ないアニメは。構図が単調なドラマは。躍動感のない映画は)
ストーリーも男が激減する前の話か、女生徒ばかりの学校に男が入学して来る系の話か、それらに似通ったパターンが多く見られる。
伊吹からすれば観るに耐えないものばかりだ。
(まさか、そんな事があって良いのか……!?)
しばらくして伊吹は、この世界の真実に気付いてしまう。
この世界には円谷英二がいない。
ゴジラもウルトラマンも生み出されなかった。
この世界には黒澤明がいない。
七人の侍も隠し砦の三悪人も制作されなかった。
この世界には手塚治虫がいない。
アトムもブラックジャックも生み出されなかった。
この世界には藤子・F・不二雄も藤子不二雄Aもいない。
ドラえもんも忍者ハットリくんも生み出されなかった。
この世界には石ノ森章太郎がいない。
サイボーグ009も仮面ライダーも生み出されなかった。
先ほど挙げた神々がこの世に生まれた可能性はある。しかし、後世に影響を与えるような作品を残さなかった事は確かだ。
男が減ってしまった後の世界で、彼らは活躍する機会が与えられなかったのだろう。
そして問題はそれだけではない。神々が後世に影響を与える事が出来なかったという事は、影響を受けてクリエイターになったはずである無数の天才達もまた、活躍する事が出来ないという事だ。
不思議な事にパソコンが開発されていたり、家庭用ゲーム機が普及していたり、携帯電話が存在していたり、チグハグな印象を受ける。
しかし伊吹にとって重大だったのは……。
(【悲報】あの漫画の続きもあの映画の続きもあのアニメの二期も見れない)
この世界はクソであると気付いた伊吹は、泣き喚きながら手足を無茶苦茶に振り回した。
「伊吹、どうしたの!?」
咲弥が必死になだめようとするが、伊吹は自らの爪で顔や身体中に引っ掻き傷を作った。
「伊吹の身体にこれ以上傷を付ける訳にはいかないわ!!」
心乃春はメイド達にタオルケットを持ってくるよう指示を出し、伊吹が手足をバタ付かせられないよう全身を包んだ。
一般的に、赤ん坊は手足が自由に動かない状態の方が落ち着いて、穏やかに過ごす事が多いのだが。
「ぎぃやぁぁぁぁぁぁぁ~~~!!」
伊吹はこの世界がクソであると気付き、絶望し泣き叫んでいるのだから、そんな事は関係ないのである。
「伊吹、落ち着いて! お願いだから!!」
その後、伊吹は母乳を吐き戻し、声が枯れ熱が出るまで泣き続け、咲弥達をパニックに陥れたのだった。
◇
この世に神々が存在しない事を知ってしまった伊吹だが、それでもそれなりの幸せを感じながら、すくすくと育った。
母親である咲弥と祖母の心乃春。
住み込みで働いている辰巳美子と娘の美哉。
同じく住み込みで働いている乾京香と娘の橘香。
伊吹達は七人で、山奥にある人口の少ない村に建てられた屋敷でひっそりと暮らしていた。
前世の家族と二度と会えない悲しみも、今の家族が癒やしてくれた。
屋敷内では皆が和装で過ごした。伊吹は甚平や浴衣。美哉と橘香は紬と呼ばれる普段着。大人達も外出の用事がない限りは着物姿だった。
前世では洋服しか着ていなかった伊吹にとって、新鮮な生活だった。
「これ、新しく縫ったので、良かったら着て下さい」
「いつもありがとうございます!」
近隣の住民との関係も上手く行っており、高齢の女性が多い事もあって、伊吹と美哉と橘香はみんなに見守られてすくすくと育った。
中には伊吹に向かって拝む者もいたが、男が希少な世界においてはそういうものなのだろうと笑って手を振り応えるようにした。
「「行ってきます!!」」
「いってらっしゃい!」
美哉と橘香は六歳になると、小学校へ通い出した。近くにはないので、いつも美子か京香が車で送り迎えしていた。
洋服を着て車に乗り込む二人を追って伊吹が着いて行こうとすると、毎回咲弥に止められた。
伊吹は大きくなったら僕もいくのかと咲弥に尋ねると、男の子は行かないのよと頭を撫でられた。
◇
やはりこの世界はクソだと再認識したのは、伊吹が五歳の頃。咲弥が病気で倒れ、入退院を繰り返した。
病院は山を下りて街へ行かないとなく、男である伊吹は見舞いに行く事も許されなかった。
いつもは物分かりの良い男の子なのに、見舞いに行く支度をする心乃春を僕も着いて行くと言って困らせていた。
咲弥は自宅で療養している時、ベッドに伊吹を呼んで手を握り、大きく強く育ってね、優しく愛ある男性になってねと、まるで死期を悟ったかのように微笑んだ。
その後またすぐに入院し、それが咲弥の最期の言葉となってしまった。
咲弥が亡くなったと知らされた伊吹は、ある程度の覚悟は出来ていたはずだった。
しかし、咲弥の遺体がこの屋敷に戻って来る事がないと聞かされると荒れに荒れた。
「何で僕はお母様と最後のお別れが出来ないの!?」
(お通夜は、お葬式は、家族の最後のお別れは!?
この世界のやり方は知らないが、そう変わる事ではないはずだ!)
おかしい、どうして、嫌だ、ふざけるな。心乃春に縋り付いて叫ぶ伊吹。
そんな伊吹を挟み込むように抱き着く美哉と橘香。
二人も涙を零し、嗚咽を抑える事が出来ないが、伊吹を安心させたくて声を掛ける。
「大丈夫、みぃがいるよ!」
「きぃもいるよ!」
(違う、そういう事じゃない!)
怒鳴り、喚き、この世界の何もかも壊してやりたい衝動に駆られる。もうどうでもいい。どうなったっていい。
「いっちゃんを一人になんてしないよ!」
「ずっとずーっといっしょにいるからね!」
けど、この美哉と橘香を傷付けてしまうのは違う。
そう思い直し、伊吹はただただその温もりに身を任せて泣き続ける事しか出来なかった。




