役員と株主
どっぷりと絞り取られた伊吹は、美哉と橘香に手を引かれてシャワールームで丸洗いされた。
久しぶりの三人でのシャワーだが、伊吹には反応する元気がない。まるで吸血鬼に血を吸われた被害者のような表情だ。
身支度を整えられた伊吹は、二人に連れられてVividColorsの事務所へ入る。
「美子さん! 京香さん!」
事務所で待機していた侍女達を見て、伊吹は二人に抱き着いた。無事で良かった、とまた泣き声を漏らす。
「伊吹様もご無事で良かったです。聞くところによると、偶然宮坂家のご令嬢と会われたとか」
美子はやんわりと伊吹を離し、事務所内に藍子と燈子、そして喫茶店のママさんである福乃がいる事に気付かせる。
「おっと、失礼しました。
昨日はあのまま寝てしまったようで、お部屋を借りる形になってしまいました。
ご迷惑をお掛けして申し訳ありません」
伊吹が三人に頭を下げた事で、藍子が慌てて立ち上がる。
「そんな! 迷惑だなんて思ってません。このビルを改装した意味があったんだって思えて、嬉しいです」
いえいえ、こちらこそいえいえ、と伊吹と藍子のやり取りが続き、福乃が口を開く。
「伊吹様。今後の対応について伊吹様にご説明しないとならないので、そろそろお掛けになって下さいな」
福乃に促され、伊吹はソファーへと座った。侍女達四人は伊吹の背後に控えている。
自分の屋敷であれば全員に座るよう声を掛ける伊吹だが、ここは出先であり、他人の目もある。
伊吹は正面に座る福乃と藍子と燈子に相対し、説明を始めるようお願いする。
「まず、ご存知ではなかったようですが、私達宮坂家は元を辿ると三ノ宮家の分家筋になります。
心乃春様からは、伊吹様の身に何かあればよろしく頼むと、常々お聞きしておりました」
「そうだったんですね」
伊吹にとっては初耳の情報だ。
伊吹は自分の父親の事を含め、親戚などの話を母親からも祖母からも聞かされていない。
京香が東京へ向かうと決断した際、男性保護省を頼ると共に、万が一保護省が信頼出来ない場合に備えて宮坂家にも連絡を入れていたのだ。
その判断は正解であり、保護省内部に他国に通じるスパイがおり、三ノ宮家襲撃に関わっている事が判明している。
心乃春が亡くなった事が引き金となり、三ノ宮家の家中が混乱している今であれば伊吹の確保はそう難しくないだろうという目論見であったようだ。
すでにスパイは排除済みだが、男性保護省は内部調査中であり、正常に機能しているとは言い難い状況だ。
従って、伊吹が藍子と出会ったのは非常に幸運であった。
「まだどこに他国の者が潜んでいるか分かりません。ご実家へ戻られるのをちょっと遅らせた方がよろしいかと。
ですので、しばらくこのビルを使って下さいな。周りの警備は宮坂警備保障が担当させて頂きますよ」
福乃の申し出があった事とは別に、伊吹は藍子との件で話を詰める為にも、このビルに残った方が都合が良いと考えた。
「藍子さん。このビルの改装工事の費用、支払いは明日までですよね?」
伊吹の身が危険に晒されていたと知った今、藍子は自分の会社の危機など二の次であると考えていた。
しかし、伊吹に話を振られた以上、答えるしかない。
「……はい、そうです」
伊吹は藍子と燈子と親戚関係にあると聞かされ、親近感を覚えた。
自分の身の安全を保障してもらう以上、それに見合ったお返しも必要であると考えた。
「じゃあもうその工事代金を支払ってしまいましょう。
昨日は会社の株を購入させろなんて偉そうな事を申し出ましたが、とりあえず僕のお金で立て替えて支払いを済ませ、少しずつ返済してもらうって形でもいいですし」
「そんな!? ですが……」
その伊吹の提案に、藍子は難色を示す。伊吹がVtunerとして世の女性に広く受け入れられるであろう事はほぼ確信している。
しかし、そうなると伊吹がVtunerとして上げた収益から会社の取り分(仮に三割として)を受け取り、そこから会社が伊吹へ返済する形となる。
VividColorsとしては非常に有り難い話だが、伊吹に取っては特定の会社に所属せず、一人でVturerをした方が手っ取り早いし、取り分も多くなる。
また、会社に所属した伊吹の稼ぎで食べさせてもらうという、言わばヒモのような状態になってしまうのを藍子は恐れている。
戸惑っている藍子を見て、福乃が声をその背中を押すべく声を掛けた。
「伊吹様、貴方は今自分の実印を持っておいでかい?」
福乃に尋ねられた伊吹は、振り返って美子と京香を見やる。
「手元にございます」
美子が伊吹を追って東京に来るに際し、実印を含む貴重品は持ち出したとの事だった。
「じゃあ問題ないね。
藍子、伊吹様に株を買い取ってもらいな。そして伊吹様に役員になってもらうんだ。二人代表の形にしてしまえばいい。
なぁに、気後れする必要はないさ。先に会社を興したのは藍子なんだ。この会社の機器や技術がなければ、Vtunerってのは出来ないんだろ?
環境を用意した藍子と、その環境で活躍する伊吹様。それで対等じゃないのかい?」
「福乃さんの仰る通りですね」
福乃の提案に伊吹が賛同した為、藍子は伊吹の申し出を受ける事にした。
こうして福乃の仲介により、伊吹の個人口座からVividColorsの口座へ二億一千万円が振り込まれた。藍子の持ち株を購入するのでは株価算定に時間が取られるので、新たに株式を発行し、それを伊吹が買い取った形となる。
ビルの改装工事費用を払ってもおつりが来るが、資金は多い方が後々動きやすいだろうという伊吹の判断があった。
福乃から燈子に対し、今のうちにあるだけ出しておけという助言があり、燈子の口座からも五千万円が振り込まれた。
これは会社の株式全体の発行済み株数を考慮しての助言となる。
元々あった藍子の持ち株数が二億二千五百万円分で四十五万株。肩書は代表取締役社長。
持ち株比率が四十五パーセント。
伊吹の肩書は代表取締役副社長となり、持ち株数が同じく二億二千五百万円分で四十五万株。
持ち株比率が四十五パーセント。
燈子の肩書は平の取締役となり、持ち株数が五千万円分で十万株。
持ち株比率が十パーセント。
以上のように、VividColors株式会社は役員が三人いて従業員がゼロ。資本金五億円という一風変わった企業となった。




