辰巳美哉・乾橘香
「お疲れ様」
「もう一回やっとく?」
「いや、もう良いよ。あんまり負担掛けたくないし」
伊吹は法律で義務付けられている精液提供の為、美哉と橘香の部屋へと訪れ、橘香の手によって精液を採取された。
精液採取は正常に精液を採取する必要がある事、そして男性自身に負担を掛けない事を理由に、国家認定一級侍女師以上の資格を有する者にしか行えない独占業務に指定されている。
伊吹は皇族であり、精液提供義務の対象者かと問われると、法的には曖昧な部分となる。
しかし男性人口が極端に少ない現在、伊吹はその義務を無視するつもりはなかった。
二人の母親である美子と京香でも行えるのだが、伊吹が母親代わりだと思っている二人にはお願い出来ないと泣きついて、妊娠している今も美哉と橘香に任せているのだ。
ただ、美哉も橘香もまだ安定期に入っておらず、伊吹もあまり負担は掛けたくないと思っているので、今は必要最低限である週に一回のみに留めている。
「つわりは大丈夫?
何か欲しいものとかあれば頼んでおくけど」
橘香はそれほどつわりで苦しんでいないが、美哉はつわりがひどく、近頃は寝て過ごす事も多い。
「うん、横になってればマシだから」
「美哉はトマトばっかり食べてるの。
体重が落ちちゃうからお腹の子にも良くないって言われてるの」
「ちょっと橘香、余計な事言わないで」
「いっちゃんがあーんしてくれたらお粥とかうどんとか食べられるかも」
「気にしないで。ちゃんと食べるから」
美哉が伊吹に余計な心配を掛けまいとしているが、橘香が美哉とお腹の子の為にもしっかりと報告する。
「トマトばっかは良くないね」
つわりの際は、味覚や臭覚が変わってしまう場合がある。
食べたい物、匂いすら嗅ぎたくない物など人によってバラつきがある。
妊娠前は大好物だった物が嫌いになったり、それほど好きではなかった物が無性に食べたくなったりと、食の嗜好が変化する。
「ちゃんと食べるから、大丈夫だから」
「ダメ、いっちゃんに食べさせてもらうべき」
「いいよ、あーんするよ。
本当は僕がお粥なりうどんなり作ってあげたいけど、きっと他の侍女さんが許してくれないだろうから、そこは見逃してね。
トマトうどんは良いとして、トマト粥ってあるかなぁ」
そう言って、伊吹が自分の精液が入った採取器を持って、二人の寝室を出て行った。
「スマホで連絡すれば良いのに」
「いっちゃんはそんな事しないって分かってる癖に」
伊吹が侍女に何かをお願いする時、決して命令口調では言わない。
あくまでお願いとして頼む。そして、可能な限り直接自分の口で伝える。
これは咲夜や心乃春がそう躾けた訳ではなく、それが当然であるかのように、小さい頃から伊吹が自ら行ってきた事だ。
二人にはそれが前世の記憶があるからだと分かっているが、それでも今世の伊吹の生まれ、身分でも増長せずに変わらずにいられるのは、伊吹自身の人柄だと美哉も橘香も思っている。
だからこそ、二人は伊吹の事を心から愛しているのだ。
幼馴染だからという、単純な理由だけではない。
「ねぇ、橘香」
「何?」
「もし私達のどちらかが男の子を生んだら、いっちゃんみたいな子になるように育てようね?」
「そうね、そうしたいと思う」
「決して男性様だっていう過保護な育て方はしたくない」
「でも皇太孫として育てろって言われるかも」
「いっちゃんが言われるがままにするとは思えないけど」
「三ノ宮家の跡継ぎも必要なのかな」
「今は宮家だから、跡継ぎとかはちょっと違う気がする」
「でも会社の株を受け継ぐ男の子がいないと困るはず」
「……私達二人で男の子を二人は産まないと」
「宮坂家にはすでに跡取りがいるだろうし、そっちの心配は藍子さん達に任せとこっか」
「宮坂だけで今、七人?
まだ増えるかもだし、大丈夫じゃない?」
「それを言うなら皇宮は十人。それほど頻繁じゃないけど」
「じゃあ私と橘香は三ノ宮担当」
「つわりひどいのに何回も産める?」
「……頑張る」
ちなみに、同じ女性でも妊娠のたびにつわりがひどかったりマシだったり変化し、食べ物の嗜好も毎回変わる場合がある。
つわりがひどいと男の子、などという迷信もあるが、科学的な根拠はない。
「ん? 美哉、拳握ってどうしたの?」
精液採取器を京香に託し、食事担当の侍女に妊婦が食べやすく体力が付くようなうどんを、と抽象的なオーダーで頼んで来た伊吹が戻って来た。
「いっちゃん、美哉がもう次の妊娠の話してる。
早くいっちゃんに抱いてほしいって」
「違う! けど違わない」
「どっちだよ……」




