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第一村人刑事〈非戦力系刑事シリーズ〉

作者: 吟遊蜆

「ようこそ、ポリクルベリーの町へ!」


 初めて足を踏み入れた町で最初にそう話しかけてきたのは、トレンチコートの襟を立てたいかにも怪しげな男であった。その言葉とは裏腹に、笑顔など微塵もない。それどころか男は眉間に深い皺を寄せ、警察手帳らしきものをつきつけながらそう言ってきたのであった。


 そうなると旅人でありひとりの冒険者であるわたしも、いったんは立ち止まらざるを得ない。まずは軽く会釈を返し、男からの質問を待った。もちろん悪事を働いた憶えはないが、だからこそ訊かれたことには正直に答える必要がある。近ごろこの町で、なにか事件でもあったのだろうか。


 しかし待てど暮らせど、男から続く質問が来ることはなかった。それどころか相手の刑事らしき男は、まるで最初からわたしなどいなかったかのように、目の前を右へ左へうろつきはじめた。その様子は新たな獲物を探しているようでもあり、それでいてただうろつくことそれ自体が純粋な目的であるようにも見えた。


 するとこれは事情聴取や職務質問の類ではなかったのか。そう解釈したわたしが、念のために「あ、ではお疲れさまです」と言い残してその場から立ち去ろうとすると、男は再びグッと近寄ってきてから、「ようこそ、ポリクルベリーの町へ!」と、どういうわけかまた同じことを言ってくるのだった。


 途端に気味が悪くなったわたしは、男に向けて無理やり笑顔だけ拵えると、そそくさと逃げるように町の中へと歩を進めた。そうなるとあれは刑事でもなんでもなく、単なるコスプレ趣味の素人ということなのか。


 気を取りなおしつつ石畳の大通りを歩いてゆくと、目の前にどうやら町のシンボルらしき大きな噴水が見えてきた。その周辺は賑やかで、手前には人だかりができていたが、それはいかにもピクニック気分の牧歌的な光景というわけではなかった。周囲の人々はいずれも落ち着きがない様子で、なんだか妙にざわついている。


 気になったわたしが人混みをかきわけて進んでゆくと、やがて目の前に制服姿の警官が立ち塞がり、その向こうには噴水の前に倒れている人の姿が見えた。


「何があったんですか?」


 わたしは警官に尋ねてみたが、シッシッと追い払うように手首を返すばかりで何も答えない。まもなく倒れている人間の上にはブルーシートがかぶせられ、その周囲には警察関係者らしき人々がわらわらと集まってきた。加えてわたしを遮っている警官の背後に規制線が張られたことも考えると、これは単なる病気や事故ではなく、なんらかの事件であるように思われた。


 それにしても初めて訪れた町のど真ん中で、いきなり事件に遭遇するとはなんとも落ち着かぬものだ。とりあえず何が起こっているのかだけでも知っておきたいと考えたわたしに、ある考えが降りてきた。そういえばいま目の前に見えている人たちのほかにも、わたしにはすでに出会っている警察関係者がいるではないか。


 わたしは早足で来た道を戻ると、あいかわらず町の最南端を左右へうろうろしているトレンチコートの男を見つけ、「先ほどはどうも」と話しかけてみた。すると男は、わたしがそれしか言っていないにもかかわらず、


「そういえば近ごろ、真夜中に宿屋の二階から妙な物音がするって話でね」


 と、急に向こうから思わせぶりな話題を振ってくるのだった。しかしいま見てきた事件のことばかり気になっているわたしには、これは何かしら事件解決へとつながる重要なヒントを指し示しているようにも思えてくる。それになによりも、先ほどまでは「ようこそ、ポリクルベリーの町へ!」としか言わなかった男が、ようやく別のことを言ってくれたことにはなんらかの意味があるように思われた。


 これは男が明らかに余所者であるわたしに対して、ようやく心を開いてくれたということなのか。だとしたらもう一歩踏み込んでみようと勇気を出したわたしが、「それって、噴水前の事件と何か関係があるんですか?」と訊いてみると、男は再び「そういえば近ごろ、真夜中に宿屋の二階から妙な物音がするって話でね」と繰り返すだけで、再び路上を右へ左へ往復する作業に戻っていってしまった。


 この男は果たして親切なのか不親切なのか。だが今晩はこの町に滞在すると決めていたわたしは、いずれにしろ宿屋を探さねばならなかった。とはいえ、もちろんそんな物騒な噂のある宿屋はできれば避けたいところだが、町をぐるりと一周してみたところ、宿屋は一軒しか見あたらなかった。だとすると、必然的にその宿屋が噂の宿屋ということになる。


 宿屋の受付でそのことを尋ねると、たしかに近ごろその手の苦情が客から入ってはいるが特にこれといった被害もなく、しかもいま空いているのは二階の部屋だけだという。わたしは仕方がないのでその部屋を借りることにした。


 しかしこれはどうも話ができすぎていやしないか。逆にこの流れで、わたしがその二階の部屋を借りないという選択肢があり得るだろうか。むろんそれは不可能ではないだろうが、そうした場合、物語はそこから先へはいっこうに進まないに違いない。きっとその状態で例の刑事らしき男に再び話しかけても、先ほどと同じ台詞を繰り返すだけだろう。


 わたしがその部屋に泊まり、そこで何かしらの問題が起こり、それをわたしが解決することによってはじめて、噴水前の事件につながる何かが判明する。それはおそらくは事件の原因や動機につながる何かであるはずだし、犯人を特定する何かでもあるだろう。そして結局のところ、刑事でもなんでもないわたしが、犯人を捕まえることになるに決まっているのだ。


 しかしそんなわたしのプランも、旅の疲れには勝てなかった。二階に上がり部屋に入ったわたしは、なんとなくベッドの上へ横になると、そのまま朝までぐっすりと眠ってしまったのである。あるいは夜中に何かしらの物音はあったのかもしれないが、だとしてもわたしの眠りの深さがそれを凌駕したものと思われる。


 身支度を調えて宿屋を出ると、空は雲ひとつなく晴れており、空気は前日よりも澄み渡っているように感じられた。そういえばいつも脳内に流れているBGMも、いつのまにか爽やかなメロディーに切り替わっているような気がしないでもない。気になって噴水前に足を運んでみると、すでに一夜明けてすべてが何事もなかったように綺麗に片づいており、特に人が集まっている様子もない。


 わたしはなんとなく嫌な予感がして、村の最南端まで歩を進めた。そこに依然として刑事らしき男が右往左往しているのを認めて、わたしは安堵した。そしてわたしが「おはようございます」と挨拶をすると、男は何事もなかったかのように、


「ようこそ、ポリクルベリーの町へ!」


 と言った。そしてわたしはにわかに混乱に陥った。これはいったいどういうことなのか。事件がすでに解決して物語がひとつ先へ進んだということなのか、あるいはすべてがふりだしに戻ったということなのか。


 しかしわたしには、この町で事件を解決した憶えなどなかった。なにしろわたしはこの町に来て、ただひと晩じゅう眠っていただけなのだから。逆にふりだしに戻ったのだとすれば、あの事件が再び起きるはずなのだが、改めて噴水前に足を運んでみても、そこにはただ平和に水が噴き上がっているだけで、周囲に誰も倒れたりはしていなかった。


 だとすると考えられるのは、すでに事件はすっかり解決済みであるということだ。しかもそれはわたしではなく、別の何者かの手によって。そして物語は一歩前に進み、次なる展開を迎えているということになる。


 ならばわたしは、どうしてまだここにいるのか。それはわたしが、物語の展開からすっかり取り残されてしまったからであるに違いない。


 つまりわたしは、物語を寝過ごしてしまった。そしてその間に別の何者かが事件を解決し、物語を前に進めてしまった。そうなれば物語の主役はわたしではなく、彼であるということだ。いつからそうであったのかはわからない。あるいは初めから、わたしはこの世界の脇役でしかなかったのかもしれなかった。


 わたしはすべてを一新するような気持ちで、いったん町の外へ出てから再び町に入ると、改めて刑事らしき男に、「またお会いしましたね」と話しかけてみた。


「ようこそ、ポリクルベリーの町へ!」


 わたしの冒険の旅は、すでに終わってしまったのかもしれない。

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