第十七話「再会」
「 ぼ き 」
ゆうたは呟いた。
「いかん」
カラクモはゆうたのただならぬ様子にいち早く気付き、ヤクソクとルナに呼びかけようとした。
「二人とも、逃げ――」
「死ね」
ゆうたは呟き、左腕をルナへと振るった。だが二人の距離は数mも離れており、とうてい腕は届かない。
「!」
ルナは希薄な感情を灯す瞳を小さく絞った。首を小さく動かし、違和感の正体に目を向けると、巨大な緑の装甲に覆われていたはずの彼女の右肩は、根元から消し飛んでいた。
「一体何が起こっ……!?」
「……」
カラクモとヤクソクは、その異常な現象に驚き、ルナの失われた右肩をまじまじと見つめている。
しかし当のルナはさほど動じず、逆に鷹のような眼光でゆうたを見やった。彼の振るった左腕がもげて無くなっている。つまり、振るった勢いで自らの腕をちぎり飛ばして攻撃したのだ。誰にも視認できないスピードで。
「ルナくん!この場から離れるんじゃ!ヤクソクくんも!」
「逃すと思うか?」
左腕を再生し、邪悪に笑うゆうた。
カラクモは確かな殺意を身体にみなぎらせる。
「あぁ、見逃して貰うともさ」
「ふん」
次の瞬間、カラクモがゆうたの目前に現れた。 美しい瞳と、炎の双眼が睨み合う。
「ル、ルナ!!逃げるぞッ!!」
「あ」
その時、ヤクソクは困惑からやっと立ち直り、素早くルナの手をとって、屋上から高い跳躍力を持って離れた。
間を置かず背後から、激しい衝撃音の応酬が二人の耳を追ってくる。シスターは振り返らず、されるがままの機械少女をお嬢様抱っこの要領で抱えて、建物から建物へと飛び移り続けた。
「ルナ、ルナ。聞いていますか?生きていますか?」
「……」
意識はある。だがルナは答えなかった。彼女はヤクソクの腕の中で揺れながら、内から湧き上がるような声へと耳を傾けていた。
『姉さん、俺は大丈夫だから』
優しく、心に確かな芯を持った青年の声が、ルナの体の損壊を補っている緑の装甲から響いてくる。
「……心配なんてしてない。少し黙って」
ルナは身体の中の弟へと冷たく返しながら、欠損した右腕を憂わしげに見つめた。
_____
カラクモとゆうたの闘いは、一進一退の拮抗状態に持ち込まれていた。
ゆうたはその比類なき素早さで、カラクモへと拳を叩きこもうとする。それに対してカラクモの鋭くも麗しい目は、その軌道を完全に読み切り攻撃を受け流すと、流れるように反撃を繰り出す。
ゆうたはその反撃を甘んじて受け、衝撃で一歩後退するものの、その身体にダメージの痕跡は見られない。
「じじぃの時よか確かに強いねぇ、ぼきの敵じゃないけどさぁ」
「……」
カラクモはこの状況を好ましく思わない。ゆうたは恐らく本気を出してはおらず、それに若くなる効果にも時間制限があるからだ。
短期決着をしようにもゆうたはその不死身性で何度でも立ち上がってくるだろう。”個”に対する”個”として、カラクモは己の弱さを悔いた。
(ヤクソクくんはどこまで逃げられたじゃろうか、出来るだけ離れてくれよ。ワシもいつまで持つか……)
ゆうたはカラクモの頭を叩き潰そうと、闇を纏わせた拳を弓のように頭の後ろまで引いた。
(ええい何を弱気な事をワシは言っておるんじゃ!ヤクソクくんだけでは無い、この街を守れるのはワシらだけなんじゃ……!ここで食いしばれんと男が廃る!)
その時、そんなカラクモの決意を嘲笑うかのように、異常事態が起きた。
「あ?」
ゆうたは引いた拳をわざわざ下ろし、攻撃を辞めたのである。
「……?」
突然動きを止めたゆうたに対し、カラクモも同じく手を止め、困惑した。
「何だ?これは」
ゆうたは自らの胸に手を当てて初めて、己の心臓が高なっている事を自覚した。いつからかは分からない。そして同時に違和感をも覚える。今彼が対峙しているこの状況は、少なくともそんな高揚感を感じるに値しなかったからだ。
では何故、そのような感情的高揚に見舞われるのか。そんな疑問をゆうたは頭の中に浮かべた。そして、考える事にした。
(目の前のクソ野郎はどうでもいい。この高なりに、ぼきは何か大事な意味を感じる)
「……!」
ゆうたの意図が読めないカラクモは、攻撃の手をこまねいている。
そんな彼を置き去りにして、ゆうたは思考の海へと脳を沈ませた。
すると脳電極の宇宙の彼方から、全くこの事情と関係の無さそうな、気まぐれな文字列が現れた。考え事をすると時折起こる、なんてことはない現象だ。
脳内に提議していた、その疑問を何食わぬ顔で横切っていったその気まぐれな文字列は、単純なカタカナ三文字。
――ナシャ――
「!!!!」
ゆうたは突然、電撃に打たれたかのような衝撃を受けた。第六感じみた――説明不可能の超自然的感覚が働いたのである。
彼は目をぎょろりと恐ろしく、街並みの一角へと向けると、それきり目の前のカラクモなど無視して、集中の極地へと旅立ってしまった。
「?……」
カラクモはその不自然な動きに、眉を寄せる。そして彼はついに無防備なゆうたの顔を打とうと、腕に静かに力を込めた。
「ぼきのぉ……ぼきのおよめざん”っ!!!!!」
「!?」
ゆうたは黒翼を広げた。一つ大きく羽ばたくと、地面に打ち付けられた突風が周囲へと拡散し、カラクモの構えを打ち崩した。
「ぐ」
カラクモは手を地面につき、なんとか吹き飛ばされないようにすることが精一杯であった。
ばさり、ばさりと大きく豪快な羽音が頭上で聞こえる。
ゆうたは空へと舞っていた。そして、ある一点まで高く飛び上がると、急に動きを止め、先程恐ろしい目を向けていた街の一角へと、高速で滑空していった。
「何なんじゃ、一体……」
風の暴威から解放されたカラクモは、四つん這いのみじめな格好から立ち上がり、腰に手を当てて、ゆうたが飛んでいった方向を眺めた。
(あの方向……ヤクソクを追ったわけではない。ますます意味不明じゃ)
(なに、意味不明は今に始まったことじゃないが)
長く美しい、色気をも感じさせる黒髪をはためかせ、火の粉の舞う炎の街に佇む彼の姿は、まるで絵画の一枚のように、見事で完成されている。
(腹が立つ。奴にも、自分にも……)
だがその心中は、敗北感で埋め尽くされていた。
______
イタヤ街の大通り。道沿いの、かつては立派な店が建てられていたはずのその場所は、今や瓦礫が無秩序に積み重なっているだけの、ただのレンガの山にすぎない。
そんな壊滅的な光景が、視界の彼方までずっと続いている。
「たす……けて……」
女性のものらしきか細い声が、微かに、瓦礫の山の一角から上がった。その山をよくよく見れば、血に塗れた手が、助けを乞うように突き出しているのが分かるだろう。
だがそんな小さな声が、果たして――
「生存者はっっけーーーん!!」
驚異的な聴力だった。そんな僅かな声を聞き取り、廃墟の遥か向こうから、砂埃を盛大に立ち上げて疾走してくる人影がある。
ワンダと離れ、手分けして救助活動をしていた魔王サタン・アビニシアは、小柄な身体を必死に動かし、声のした瓦礫の山へと向かっていた。
「この魔王に任せておれぇーっ!!」
その似合わない必死さは、罪悪感の裏返しでもある。
「今助けるぞーーーーっ!!!……」
(……?)
内心、シニアは警戒心をまた強くしていた。彼女は今、目を瓦礫の山ではなく、己が走る地面に向けていた。一つの影が、先程から自分を追うような動きで真っ直ぐ迫ってきていたからだ。
(やはり、そうであるな……!追ってきているのは間違いない)
そう分かっていながらも、シニアは振り向くことに躊躇していた。本能的な恐怖が、背後を包むように理性を支配している。
何が、何が、そう考えている内に、地面の自分を追いかける影はぴたりと自分の影と重なり、そして、肥大化しはじめた。
つまり、影の主は地面へ近付いている。次の瞬間、ぐんと、急に、影が大きくなった。
「ナ”シ”ャ”アッ!!!」
「なっ!?」
影の主は田中ゆうたである。黒翼をいっぱいに広げて、まるで獲物を捕らえる猛禽類のように、赤く光る腕を伸ばしてシニアを捕まえようと迫っていた。
シニアは驚愕し、そして同時に彼がこの街を破壊した元凶である事を察し、次に覚悟を決めた。
一閃。
「げへへぇ!!」
ゆうたは地面に四肢を突き刺すように着地した。彼はシニアを胸の中へと収めたのだと確信し、強く抱きしめようとしたが、腕は虚しく空振った。
「あれ?」
「……」
禍々しい真紅の翼を広げ、シニアは空に飛んでいた。黒く染まった右腕を伸ばして、彼女は背後のゆうたに振り返る。黒い指先から、血が滴り落ちた。
「ナシャたんん!!かわいい翼だねぇ!!!」
胸に痛ましい斬撃の傷を付けられながらも、ゆうたはそれを一切気にせず、空を舞うシニアを炎の眼で卑しく見上げ、吠えた。
シニアは迫る影へ振り返った瞬間に、これまでのツキルらとの旅で着々と取り戻しつつあった力を全て解放していた。
かつてカイサ街を壊滅させたあの魔王の力と比べれば見劣りはするが、それでもこの世界の基準から言えば十分な力である。
(しかし血は出させたが、効いているとは思えん。つまりこやつは、やはり……)
「ナシャたんッ!!!結婚しようねぇ!!」
ゆうたは意味不明な妄言を吐き散らしながら翼を羽ばたかせ、地面から勢いよく離れた。
「ッ」
シニアはゆうたを迎え撃とうとしたが、彼は余りにも速い。
「まずは逃げられないようにしてあげようねぇ!!」
ゆうたの赤く発光した腕から放たれる正拳突きは、シニアの赤い右の翼を貫いた。
「ぬぅっ……!!」
痛みに顔を歪めるシニア。しかし、細めた目の奥にある闘志はまだ消えていない。片翼を破壊され、飛行姿勢を大きく崩した彼女は、空中でひっくり返った。そしてその姿勢を逆に利用し、ゆうたの股間めがけて強烈なキックを見舞った。
「おほッ」
「女性に甘くない男は、心底気に入らん」
シニアはそう吐き捨て、目を白黒させるゆうたを尻目に、蹴りの衝撃によって地面へと急降下していく。
(と、決めてやったはいいものの、ここから先に何か策があるわけでも……)
片翼では空中で体制を立て直す事は困難であり、シニアは重力に任せて地面との衝突を待つばかりであった。
「おおっ!?」
不意に、重力に逆らって背中が吊り上がった。間をおかず、今度は身体全体が上に引っ張られ、シニアの身体は落下を免れたのである。
「ねぇ大丈夫!?」
聞き覚えのある声だった。シニアが見上げると、空飛ぶ箒に跨った犬耳眼鏡少女が、心配そうな表情でこちらを伺っていた。
シニアは嬉しさと安堵で思わず息を漏らしてから、涙ぐみながら、目の前の親友の名前を口にした。
「ワンダ……!」
続く




