8.もうひとつの手紙
目を覚ます。
今日も気持ちのいい朝だ。
レティシアは、ベッドから起き上がる。
身支度を済ませると、朝食のため食堂へ降りる前に、扉を開けた。
やっぱり。
いつも通りの位置に、いつもの手紙。
笑顔で手に取る。
今日は花がない。どうしたのだろう。
疑問に思いながら、部屋に戻って手紙の封を切った。
彼女は気づかなった。
いつもと封蝋の形が違うことに。
『平民をいじめる女は国母にふさわしくない』
身に覚えのない罪を非難する言葉から始まっていた。
『お前はダメ人間だ。マナーもなってない。よくそれで外を歩けるな』
「……っ」
レティシアを否定する内容に、思わず手紙を手放す。
それはひらひらと宙を舞い、絨毯の上に落ちた。
いったい誰がこんなひどいことを。
心当たりなどない。
しかし、この学園でその噂を知らない者はいないだろう。
コンコン
音を立てた扉に、レティシアはビクリと肩を揺らしてそちらを見る。
この手紙の主が?
まさか。
わざわざこんな手紙をよこすくらいだ。
きっとこうして前に出てくるほどの度胸はない。
一応護身用の短剣を持って、扉の前に立つ。
ふうっと息を吐いて、そっと扉を開けた。
「レティシア?」
そこにいたのは、レスリーだった。
「なんだ、起きてるじゃない」
レスリーはいつも通りの調子だ。
「返事がないから、まだ寝てるのかと思ったわ」
「……えぇ……」
少し戸惑っていると、
「どうかしたの?」
レスリーの方がレティシアの異変に気付いた。
しかし、ここでは言えない。
「……なんでもないわ。大丈夫よ」
レティシアは自然な笑顔を作った。
「そう?それならいいけど……」
レスリーは言葉ではそう受け入れながらも、顔は納得していない。
ここでは言えないことだと察しているから、言葉にしていないのだろう。
「あぁ、そうだ。これ」
レスリーから手紙を差し出された。
「なに?」
「また落ちてたわよ。今日の分じゃない?」
『秘密の協力者』からの手紙だった。
いつ誰に見つかるかもわからない、部屋の前に置かれている手紙。
今日は主からの命を受けたレスリーが、直接手渡しているとは、レティシアも夢にも思わない。
「ありがとう」
今はこれを読む気にもなれない。
机にそれを置いて、レティシアは部屋を出た。
それから毎日、レティシアの部屋の前には、2つの手紙が置かれるようになった。
といっても、『秘密の協力者』からの手紙は、レスリーが見つけてくるのだが。
だから部屋の前に置かれるのは、決まってレティシアを非難する手紙だけ。
見なければいい。
そう思っているのに、中身が気になって結局は見てしまう。
そして落ち込む。
毎朝これの繰り返しでは、レティシアも体調に不調をきたすようになった。
レティシアを批判するだけだった手紙は、だんだん過激化していく。
そんな中でも、『秘密の協力者』からの手紙だけは、レティシアの支えだった。
『今日もキミのことを考えていた。キミにこの想いを伝えられる日を待ち遠しく思っているよ』
『最近元気がないね。疲れているのかな?ゆっくり休めるように、香りのいい花を添えておくよ』
レティシアを気遣ってくれる短い手紙に、レティシアは支えられる。
それでも疲れてきたレティシアは、ついにレスリーに相談した。
「レスリー、聞いてほしいことがあるの」
「うん、どうかした?」
その時を待っていましたとばかりに、レスリーは話を聞いてくれた。
「実は……手紙、が……」
やっと解放される。
その安心感からだろうか。
レティシアの頬を涙が伝った。
レティシアが保存しておいた手紙を見せられたレスリーが、怒りを押し込めた溜息を吐く。
「……こういうの、嫌いだわ」
いつもよりもずっと低く冷たい声で吐き出したレスリーが、レティシアの頭を撫でる。
「レティシア、泣いてないで怒っていいのよ」
「だって……っ」
怒れるはずがない。
この手紙を書いた人物だって、きっとレティシアが愛するべき国民なのだ。
愛すべき国民に怒りを覚えるなど、あってはいけない。
それでも止まらない涙に、レティシアは戸惑うばかり。
「誰かに相談しましょう。レティシアのお父様はどうかしら」
「とてもじゃないけれど、言えないわ。お父様がなんておっしゃるか……」
微妙な関係の父はもちろん、兄にも相談はできない。
レスリーだから相談ができたのだ。
「お願い。誰にも話さないで」
「……わかったわ」
今はまだ実害がない。
警備に相談したところで、脅迫くらいでは動いてくれないだろう。
そう判断して、レスリーも頷いた。
それから数日後のこと。
レティシアはついに、はっきりと脅迫と取れる手紙を受け取ってしまった。
「レティシア、おはよ」
「レスリー、入って」
いつものように呼びにきたレスリーを部屋に連れ込み、さっそくその手紙を見せる。
『お前みたいなやつは社会の悪でしかない。抹殺してやる』
「……この人……また……」
呆れたレスリーが、レティシアの手からその手紙を受け取る。
「気にしちゃダメよ、レティシア」
「それはわかってるわ……でも……」
これほどまで強い言葉で脅迫されたことは、今までない。
ただの脅しとはわかっていても、気にせずにはいられなかった。
「大丈夫、ただの脅しよ。真っ向から来られない人が、襲撃なんてできるはずがないわ」
「……そう、よね」
レティシアもそう信じるしかない。
「それに、これは立派な脅迫罪。証拠として、この手紙、わたしが持ってても?」
「え、えぇ……」
なぜかレスリーに手紙は没収される。
強制的にでもレティシアにこの手紙の存在を忘れさせたいのだろう。
友の気遣いに感謝しながら、レティシアは手紙を渡した。
それは、その日の午後のことだった。
手紙のことなどすっかり忘れて、レスリーと図書館へ歩いていた時のこと。
その途中でレティシアは感じた。
自分へ向けられる、真っ直ぐな敵意を。
「……っ」
とっさに足を止める。
ほとんど反射的な行動だった。
が、次の瞬間。
ひゅんっと目の前を通り過ぎる風。
それが矢だと気づくのに、わずかな間があった。
「レティシア!」
慌ててレスリーが駆け寄り、その肩を支える。
そして、矢を放ったらしい相手を見つめた。
「待ちなさい!」
走り去っていく人影を追うために立ち上がる友人を、
「レスリー!」
レティシアが制した。
「……っレティシア、どうして……!」
「大丈夫。殺意はなかったわ」
「そういう問題じゃ……!」
殺意がないとはいえ、弓矢を人に向ける。
それがどれだけ危険なことか。
この学園に通う人間ならば、いや、アカデミーに通っていなくても、わかっているはずだ。
「大丈夫、大丈夫よ」
レティシアはそう笑ってみせた。
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「アークヴィースト嬢が、攻撃を受けたと……」
少年の声は怯えるように震えていた。
「申し訳ございません……!」
従者のひとり、レスリーが、その場に手をつく。
「わたしがそばにいながら、このような……!」
「幸い大事にはいたらなかったんだ。顔を上げて」
金髪の主は、柔らかい声で言った。
しかし、レスリーにとっての彼女は、ただの守るべき対象ではない。
友人なのだ。
大切な、たったひとりの友人。
だからこそ、今日のような失態は、自分を許せなかった。
「学園では?」
「既に噂になっています」
主の問いに、少年が答える。
当然だ。
筆頭公爵家の娘が攻撃されるなどという衝撃的なニュースは、国内を騒がせてもおかしくない。
それが学園のみにとどまっているのは、そう指示した人間がいるということだろう。
「……放っては、おけないね」
金髪の主が顔を歪ませる。
「コンラッド嬢が怪しいに決まってます!お願いします、彼女に正当な罰を……!」
友人の安全のためにそう願い出るレスリーを、
「まだ証拠がないだろう?」
金髪の主は優しくなだめる。
「その件ですが……」
少年が言った。
「アイリス・コンラッド嬢が、アークヴィースト嬢の部屋の前に手紙を置いていたことの目撃者が判明しました」
「……そう」
大切な証拠の1つだ。
「じゃあ、レスリー」
「はい」
「彼女の安全が第一だ。……わかっているね?」
「はい。お任せください」
レスリーの返事は決まっている。
それを聞いた金髪の主は、口元に弧を描いた。