7.レスリー
レスリーは変わり者だった。
トラヴィス伯爵家。といえば聞こえはいいが、貴族とは名ばかりの借金だらけの家。
浪費家の先代のおかげか、お人好しな現当主のせいか。
侍女もおらず、かろうじて雇えているのは父の秘書代わりの侍従1人だけ。
この侍従がやり手で、主のことだけでなく家のことまでやってくれる。
家庭的な母のおかげもあって、トラヴィス伯爵家は何とか貴族として保てていた。
そんな家庭で育ったレスリーはというと、伯爵令嬢でありながら平民の子どもたちの遊び相手を趣味とする、いわゆる庶民的な性格。
レスリーの人生の転機となったのは、14歳の時だ。お人好しな父が、やり手の侍従にそそのかされて、レスリーのアカデミー入学を取り付けてきた。
莫大な入学金から、バカにならない学費で有名な王立アカデミー。家の財政状況を知っているレスリーは、アカデミーに通うことなんて諦めていた。というより興味がなかった。
領地で子どもたちと遊び、少なくはあるが面倒を見てくれたお礼としてお金や食材を領民たちから受け取る。そうすることで、家の助けにもなるのだから。
だから、父と侍従には真っ向から反論した。
それでも侍従に騙されてアカデミーに入学。なけなしのお金を払っているのだからと、渋々アカデミーで勉強を続けていた。とある人物から声がかかったのは、そんな時だった。
『アカデミーに必要な費用を負担する』
レスリーにとってはありがたい申し出。それでも興味がないレスリーは、さらに条件を提示した。
『トラヴィス伯爵家にも必要な支援をしてくれること』
『支援者』はそれを受け入れてくれた。だからレスリーは、彼のために働くことを承諾した。
それが、ほんの数ヶ月前のこと。
レスリーは、『支援者』に言われるがまま動いた。
今まで必要ないと避けていた友人も作った。筆頭公爵家の公爵令嬢レティシア。気高く美しく、近寄り難かった彼女は、意外な人物だった。
どこか弱く、儚く、まさに深窓の令嬢。表の姿は強がりだったと知った。
やがて『支援者』の指示がなくても、彼女のそばにいるようになった。
レティシアの許婚者は他の女を侍らせるろくでなし。そう判断し、レティシアの目を他の男に向けようと幼い頃から知っているサミュエルを紹介したりもした。
それでも、彼女は公爵令嬢としての誇りなのか、ただ頑固なだけなのか、王太子妃候補という肩書を破り捨てるような行動はしなかった。
「ねぇ、レスリー?」
ある日、レティシアが聞いてきた。
「今朝もお手紙が来ていたの」
「押し花の君?」
「やめてちょうだい。押し花はわたしが勝手に作っているだけ。彼は生花を添えているのよ」
レティシアが、王太子以外の男に気を引かれている。しかもそれは、レティシアに恋心を抱いているらしい、レスリーの『支援者』。
「で、今朝の手紙はなんて?」
その手紙を毎朝レティシアの部屋の前に置いているのは、まぎれもないレスリーだ。さらに手紙の内容まで相談されるのだから、知らないはずはない。
「『貴女を傷つけるような心無い噂を流す犯人は、必ず僕が捕まえます』ですって」
「ヒーロー気取りね」
我が主ながらくさいセリフしか言えないのか。
「レスリーったら……」
レティシアが不満そうにする。これでも王太子の許婚者だけはやめないというのだから、頑固だ。
もちろん彼女には彼女の、レスリーにもわからない事情があるのだろうが。
しかし、アークヴィースト公爵家が、娘を王太子妃として差し出さなければいけないほど困窮しているとも思えない。
考えられるのは、筆頭公爵家の力を借りなければいけないほど困窮しているのは、王家側の方か。確か、現国王の子どもは王太子1人だけ。その王太子も、婚約内定前とはいえ、許婚者がいる身で他の女に夢中になるくらいの人間だ。こちらの方が頷ける。
だとしたら、レティシアが王太子妃にこだわる必要はないはずなのに。
プラチナ色の髪が風に揺れる姿は、綺麗なんて言葉では片付けられない。神秘的というか、どこかの女神様が降りてきたと言われても、疑わないと思う。
「レティシア」
だからこそ、許せなかった。こんな彼女を傷つけようとする人間がいることが。
「レティシアは気にならないの?噂を流してる人物」
「どうして?」
レティシアはきょとんと首をかしげる。
「わたしは気になるよ。どうして悪意ある噂を流してるんだろうって」
「……気には、ならないわ」
嘘だ。レティシアの顔がやや曇る。
「レティ」
「いいの」
レティシアがレスリーの話を遮るなんて、初めてだ。いつも丁寧に話を聞いてくれるのに。
「私自身に実害はないし、レスリーやサミュエル様みたいに親切な方もいるもの。それに、このお手紙……『秘密の協力者』様も……」
そんな陰から出てこないだけの男が何の役に立つというのだろう。ただ王太子からレティシアを奪う勇気のない意気地なしな男なのに。
「でもさ、心当たりとかないの?レティシアを恨んでる人」
少しでも主の手がかりになれば。といっても、主も心当たりはありそうだったが。
「……ないことはないわ」
彼女自身というより、彼女の家に恨みを持つ者なら、大勢いるだろう。公爵家の没落を願って画策しているとすれば、彼女の悪評を流すのも頷ける。
「ねぇ、一緒に探しましょうよ」
レティシアがやる気になれば、公爵家の力を使える。そうすれば、わからないことなんてないのだ。
「探す……って何を?」
「犯人。わたし、友達をバカにする人って許せないの」
「そんな悪者捜しみたいな……」
「悪者よ。わたしの友達の悪評を立ててるもの」
わかってる。レティシアはきっと、こういうことは苦手だ。
誰かを疑うことも、嫌うことも、きっと彼女はできない。そんな優しい人間なのだ。
だからこそ、彼女が悪く言われていると腹が立つ。
関わったこともない相手をいじめているなどできるはずがないことを、どうして信じてしまうのだろう。誰一人として、その現場を見ていないのに。
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『一緒に探しましょうよ』
大切な友人から誘われた、悪評を流す犯人捜し。
今まで気にならなかったわけではない。なんとなく推測もできている。
しかし、正直レティシアは、人を疑うということが苦手だった。王太子妃として国民は信じるものと教わってきたから。
そんなレティシアの元に届いた、一通の手紙。『秘密の協力者』からの手紙だった。
『キミは何も悪くない。キミのすることに、きっと間違いはないと信じているよ』
いつも通りの優しい言葉。柔らかく背中を押してくれるような言葉。
彼のためにも、犯人を捜してみようか。彼が信じる、自分自身のために。
そうとなれば話は早かった。
まず疑うのはアイリス・コンラッド。彼女は、夢の記憶の中で一番、レティシアの断罪で得をした人物だ。
今もロードリックに気があるようだし、その許婚者であるレティシアを陥れようとしても、おかしくはない。
アイリスは警戒するべき人物。レティシアはそう記憶した。